『週刊少年ジャンプ』の主な読者層だけでなく、大人も巻き込み、社会現象にまでなった、漫画『鬼滅の刃』。
人気が大爆発したかと思ったら連載が終了――という従来のジャンプらしからぬ去り際もまた話題となりましたが、それもまた納得できるものかもしれません。
本作は、少年漫画の枠を超えた意欲作と感じます。
「悪を倒してスッキリ爽快!」
そんな単純な話ではなく、特に宿敵である「鬼」に注目すると、色々と歴史的なことも考えさせられてしまいます。
いったい本作の“鬼”とは?
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“鬼”とは“吸血鬼”なのか?
本作の「鬼」は、西洋モチーフの「吸血鬼」に似ているという指摘があります。
・日光に弱い
・人間の生命を奪うことにより、己の生命を維持している
・不老不死
・驚異的な身体能力を持つ
・鬼が作為をもって、別の鬼を増やすことができる
・人間を元にして新たな鬼を生み出す→つまり、人型である
ただ、こうした「吸血鬼」をざっくりと「西洋のもの」と言い切ることは、実は無理があります。
由来や性質に特性があり、上記のような設定が確定したのは19世紀以降です。
なぜ、この時代(19世紀)と言えるのか?
というと、当時の世相が影響しているからです。
具体的に列挙しますと……。
・識字率が高まり、ジャーナリズムや娯楽が広がった
・異文化への人種差別的な目線がある
・モデルとなったのは封建制度の君主
ドラキュラにせよ、カーミラにせよ、こうしたホラー作品は、近代において印刷物が流通する中で広まりました。
実在の人物がモデルとされていますが、いずれも東欧由来。作者が西欧出身であることをふまえると、東への蔑視をも感じさせる設定です。
ヴラド・ツェペシュの故郷では「なんであの人がホラーの題材になったのか?」と戸惑う声がある一方、観光資源になっていることも確かなのでした。
また、封建制度が生み出したモデルもおります。
ジル・ド・レにせよ、バートリ・エルジェーベトにせよ、大量連続殺人犯だろうが、君主であれば犠牲者が多数出ても見逃されてしまっていた――そういう暗部が人類の歴史にはあります。
命が軽い時代はどこの国でもあった。このことは重要でしょう。
※以下はジル・ド・レやバートリ・エルジェーベトの関連記事となります
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いいからもっと直球の『鬼滅』考察しろよ。
そんな声も想像できますが、もう少しだけお付き合いください。
21世紀のエンタメは楽しいだけじゃない
2010年代のヒット作である『鬼滅の刃』に対しては、上の年代からこんな意見があります。
「昔ならではの少年漫画ですね。修行して、必殺技を使って。子どもが夢中になるのもわかるし、懐かしい」
「私もハマってましたからね。ああいう無茶苦茶な和風ファンタジー」
「懐かしくて、よくある設定を使っています」
ノスタルジーをこめたこの手のご意見はもちろん理解できます。
しかし、本作には2010年代の世界的な作品に通じるヒット要素があります。
今時の若い世代が熱中するヒット作を見てみましょう。
◆J・K・ローリング『ハリー・ポッター』シリーズ
連載開始から、何度も映像化をされ、大ヒットを記録しているシリーズ。
魔法が使えるし、主役のハリーは選ばれた存在だし、おとぎ話なのかと思えば、そう甘くはありません。
作者が作品を通して伝えたいメッセージは明確です。
マグル出身者を「穢れた血」と罵倒するドラコには、現実世界にいるレイシスト、人種差別主義者の姿が重なって見えます。
そんな差別主義者がいかに愚かであるか、気がつけば学べる作品となっているのです。
ローリングは、かなりストイックな性格。
完結後、自作の展開に「あれは甘い設定だった」と批判することもあるほどです。
また、創作を通して社会をよくすることに強い意志があり、支持政党が労働党であることも明言。『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』は、硬派な社会批判小説になっています。
何かと発言が取り上げられるローリングですが、本人の意志がこれだけ強固ならば当然の帰結でしょう。
◆HBO『ゲーム・オブ・スローンズ』
2010年代は『ゲースロ』以降と言えるほど、世界的ヒットを遂げたこのシリーズ。
日本ではそこまで人気が出ていない部類に入ります。
いろいろ問題を引き越し、最終シーズンは荒れに荒れましたが、現代人の知見で中世西洋史を批判的に見た、興味のつきない作品です。
憂鬱な展開もしばしば引き起こしながら、そこまで考察する価値のある傑作でしょう。
この作品に登場するドラゴンは、ファンタジーのお約束というだけでもありません。
核兵器の暗示であるという指摘もなされています。最終シーズンで殺戮を繰り返すドラゴンには、確かにそんな悲劇的な力がありました。
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ディズニーにせよ、マーベルにせよ、韓国ドラマにせよ、中国の映画にせよ。
ただ笑ってぶっ飛ばすだけのエンタメ作品は消えつつあります。
作品を通して問題提起をし、よりよい世界を目指すこと、人類の歴史まで見直すこと――そんな流れであり、楽しけりゃいいじゃん!ってわけではない。
その辺を踏まえず、古いイメージの「ハリウッド映画」と比較して日本の漫画やアニメを語っているばかりでは、世界から遅れをとる懸念が湧いてきます。
社会問題。
虐げられてきた存在。
そうした存在を救い、世界をよりよくするためにはどうすればよいのか?
そう考える作品が増えてきましたが、『鬼滅の刃』は、まさしくその中心に切り込んでゆく力があります。
作者・吾峠呼世晴先生のスタンスを考えますと……。
『週刊少年ジャンプ』には、和風ファンタジーはつきものでした。吾峠呼世晴先生も読んで楽しんだこうした作品と『鬼滅の刃』には、共通するところもあれば、異なる点もかなりあります。
1990年代の『るろうに剣心』。
2000年代の『BLEACH』と『銀魂』。
そこを世界のエンタメが変わった2010年代の流れをふまえつつ、考えてみたいと思います。
エンタメの持つ力の使い方
吸血鬼エンタメが確立された19世紀から時を経て、今ではすっかりジャンルとして定着しました。
イケメン吸血鬼と禁断の恋……なんてアプリも多数ある。
しかしこのジャンルには大きな特徴があります。
前述したファンタジーによって社会問題を描くエンタメのように、吸血鬼には現代社会や歴史の暗部に切り込む使い方があるのです。
それを踏まえまして、一つこんな問いかけをしてみたいと思います。
「ヨーロッパ舞台では東欧が発祥の地とされる吸血鬼もの。一方でアメリカを舞台にした吸血鬼ものは、南部舞台が多い。なぜか?」
その答えの一つに、奴隷制度があります。
アメリカ南部では、黒人奴隷制度が確固たるものとしてある。
そんな土地では、人命なんて安いもの。黒人奴隷の血を吸って殺して放置したところで、誰が気にするというのでしょう。よくあることなのだから――。
『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作者であるG・R・R・マーティンも、そんな設定で1982年『フィーヴァードリーム』を発表。
2010年代には、セス・グレアム=スミスが小説『ヴァンパイアハンター・リンカーン』を発表し、2012年には『リンカーン/秘密の書』として映画化もされました。
リンカーンの奴隷制根絶への思いの背景には、吸血鬼への復讐があったという、鮮烈な設定です。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のHBOも、アメリカ南部と吸血鬼を題材にしてドラマを作っています。
2008年に放送が開始された『トゥルー・ブラッド』です。
2000年代にヒットしたシャーレーン・ハリスの「南部吸血鬼ミステリーシリーズ」を原作としています。どちらも日本語訳があります。
原作の日本語版の表紙を見れば、よくあるイケメンヴァンパイアと恋をするハーレクインロマンスのように思えます。
けれども、これはある意味ジャケット詐欺。中身はなかなかスリリングです。
ドラマになると、HBOらしさ全開で、原作を飛び越えて政治的な皮肉や社会批判てんこもりに突っ走っていきます。
女性蔑視と差別、異質なものへの強い迫害、貧困、犯罪、偏見……現実とリンクする問題を、吸血鬼を使えば描くことができます。
特定の人種が収容所送りになるような描写は、HBOだろうと流石にできません。
それが吸血鬼収容所ならば、エンタメとして描くことができる。
そこを逆手に取り、差別がいかに愚かで破滅的であるか、この作品はグイグイ切り込んでゆきます。
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