横山光輝『三国志』1巻/amazonより引用

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不朽の名作『横光三国志』はいわば日本の町中華? その成立を考察してみた

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日本はアジアの盟主という幻想

明治以来、脱亜入欧をひたすら目指してきた日本は、やがて人種、宗教、文化の壁につきあたります。

日本の皇室をヨーロッパの王室がもてなし、勲章なども贈ってくる。

それでも婚姻関係は成立しない。

洋服を着て踊る日本人を見て、表面的には認めても「猿真似じゃないか」と冷笑している。

すると脱亜入欧から、東アジアの盟主としての地位を目指す動きが出てきます。

結果、アジアはひとつであり、その頂点に立つのが日本人であるという認識が生まれました。

日本の皇室は、満州皇族や朝鮮皇族と婚姻関係を進めていく。

中国古典受容のための動きが出てくる。

「そうだ、我々日本人にとって中国のものがスゴイと思えて当然だ。だってアジアの仲間だからね!」

日本単一民族説とは、実は戦後のもの。それ以前は「大東亜共栄圏」建設をめざしていたのです。

東アジアがひとつなのであれば、中国古典由来の知識や知恵も、日本人が自分たちのものとしてもよいはずである。そういう考え方でした。

 

満洲映画協会は、中国名を名乗る日本人スター・李香蘭を生み出しました。

日本の軍人と、中国の姑娘(クーニャン)が恋をする映画は、プロパガンダの定番です。

たくましい男性である日本が、か弱い中国という女性を守り、支配することこそ幸せである――そんな世界観です。

むしろ日本に中国や朝鮮半島由来の出身者がいるとか、知識や文化があることは、歓迎すべきものであったのです。

ただし、それはあくまで日本人目線でのこと。

この大東亜共栄圏は、あくまで日本人が頂点に立つものであり、踏みつけられる他の民族がどういう想いを抱いたのか。そこが重要になってきます。

日中戦争へ向かう中、中国を見下しているようで、憧れている。相反する感情がありました。

こうした吉川英治のような教養のある層の中国観に対し、庶民の間にあった中国観はどんなものだったのか。

 

中華街を見て育った横光先生

明治維新のあと、日本には中国由来のルーツを持つ人々がやってきます。

そんな彼らがもたらしたものとして、中華街や中華料理があります。

◆日本の三大中華街

横浜中華街
(神奈川県横浜市)

南京町
(兵庫県神戸市)

長崎新地中華街
(長崎県長崎市)

「むむむ…」と思わず唸った方もおられるかもしれません。

そうです、横山光輝の出身地です。

兵庫県神戸市なんですね。

 

横光先生は、日本の中にある中国文化が身近にあり、それに影響されてもおかしくはない環境で生まれ育ちました。

そんなルーツを踏まえつつ、ちょっと日本の中にある中国文化を考えてみましょう。

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“町中華”も日本の歴史

2020年代末期、ノスタルジーを持って流行しているジャンルがあります。

“町中華”です。

どんな町にもある小さな中華料理店。食品サンプルが飾ってあって、丼は四角形がグルグルしている模様(雷紋)がついている。

しかし店員は日本人で、ラーメンと焼き餃子が定番メニューとなっている。店の名前は、漢文の授業に出てきそうな名前とか、ナントカ軒とか……。

日本の中華料理には長い歴史があり、キッチリ遡るとなると稲作となりましょう。

大河ドラマ『平清盛』では「唐菓子」を食べていました。

番組中にも登場した「清浄歓喜団」は奈良時代まで遡れるのですから、相当古い。

日本人が一から考えた食文化となりますと、範囲が狭まるのでなかなか大変です。

地域別でいいますと、沖縄県、長崎県、鹿児島県の料理は中華料理由来のものが多くあります。

肉食を禁忌とすることが和食の特徴とされる中、上記のようなエリアには美味しい豚肉料理が多数あります。

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町中華に話を戻しまして。

そのルーツを遡ると満洲国に突き当たります。

日露戦争後、日本政府が満洲国を作り上げ、そこに大勢の入植者を送り込みました。その後の敗戦によって、命がけの帰国を果たした引き揚げ者は、満洲で食べていた味のことを思い出します。

香ばしい餃子。ラーメン。焼肉。

あの味を、もう一度食べたい……そう思う日本人だっているはずだ。

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そこで自身の記憶を頼りに、自分たちが作り上げた味――それも“町中華”ルーツの一つです。

もちろん他のルーツもありますが、満州は避けて通れない(→link)。

ちなみに焼き餃子のことを中国語圏では「日式餃子」と呼びます。

餃子は本来、水餃子として食べるものでした。

焼き餃子の起源は「余った餃子を焼いて食べていた賄いから始まった」とか諸説あるものの「日本人が食べるやり方」であることは確かなのです。

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