空前の大ヒットを果たし、2020年流行語大賞にもノミネートされた『鬼滅の刃』。
ハロウィンを機にコスプレ姿をSNS投下する芸能人も多数あらわれ、今となっては逆にネガティブな意見まで出てくるようになりました。
最たる批判がこれでしょう。
『鬼滅の刃』は“パクリ”漫画ではないか?
はははは、そんなバカな。と笑ってしまいそうになりますが、ネット上にはその手の意見や記事がゴロゴロ転がっています。
アンチは好きの裏返し――とはいえ、最近は作品の質や作者の人格にまで批判が及ぶような、心ない言葉まで飛び交うのですからシャレになってません。
そこで検証してみたい。
『鬼滅の刃』のどこにパクリの要素があり、その指摘は妥当なのか?
特に今回は『ジョジョの奇妙な冒険』との関係性を考えてみたい。
作者のワニ先生も好きだと明言し、かつ共通点が多く、掲載誌も同じ。『ジョジョの奇妙な冒険』も、1、2、7部は歴史漫画と呼んでもおかしくないほどの作品です。
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では本題へと参りましょう!
両者ともに【吸血鬼モノ】です
ジョジョのパクリだと批判するアンチコメ。
その最たるものが次のような意見でしょう。
「あれって『ジョジョ』をパクってるよな。だって、敵がゾンビみたいだし、日光に弱いし、血で仲間が増えるし!」
これに対する反論は一行で済みます。
両者ともに【吸血鬼モノ】ですから
吸血鬼伝説そのものは、古くからありました。
それを現在でも通用するルールが決まったのは19世紀後半とされています。
代表作としてはブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)、ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』(1872年)ですね。
『鬼滅の刃』のベースとなった『過狩り狩り』(『吾峠呼世晴短編集』収録)は、「着物のドラキュラもの」を描きたったとワニ先生が明言しています。
連載では平安時代が由来の鬼に変更されておりますが、設定上似ているのは当然のことと言えます。
◆「鬼滅」作者の投稿作「過狩り狩り」紹介 「ジャンプ編集部がザワついたのをよく覚えてる」(→link)
ちなみに19世紀の作品は、当時の西欧からみて異国情緒がある東欧の歴史を元としています。
そこにひとひねりを加えて、アステカ文明や古代文明由来としたのが『ジョジョの奇妙な冒険』。
キリスト教文明圏から切り離したことも踏まえ、倒す武器を銀の銃弾や十字架から変更し、“波紋”にしたところが作者の工夫です。
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同じ工夫を、ワニ先生の場合は日光と同じエネルギーを秘めた「日輪刀」に込めたのです。
21世紀以降に出現した新たな流れ
19世紀から20世紀ならば、吸血鬼とキリスト教や西洋文明のみを結びつけることに、さして疑念は持たれませんでした。
けれども、時代が降るにつれて、キリスト教以前にあったのではないか、他の文明や宗教圏でもあったのではないか――そんな想像がさらに膨らむようになっています。
そして21世紀以降にもなりますと、吸血鬼モノには次のような流れもでてきます。
◆白人以外の吸血鬼ハンター登場
→マーベル・コミック『ブレイド』が典型例
◆文明の利器で倒す
→液体硝酸銀の噴霧、紫外線発生装置を使う
◆なまじ長生きできる吸血鬼だから、人類史における理不尽を語れる
◆人間社会の不条理も描く
◆ただ吸血鬼を倒すだけではダメだから恋愛や友情も入れてみよう
ここまで踏まえますと、どうなるか?察しの良い方はお気づきでしょう。
『鬼滅の刃』だけでなく『ジョジョの奇妙な冒険』にしたって、
「ブラム・ストーカーのパクリじゃんwww」
ということも可能となり、そんな言い分が真っ当な指摘になるでしょうか? そんなこと言い出したらキリがありません。
ちなみに私は吸血鬼モノが好きで、かなりの数の作品を鑑賞しております。
それをふまえて指摘させていただきますと、確かに複数の吸血鬼モノと似ている設定を『鬼滅の刃』には感じます。
ただ、マイナーなのでなかなか指摘されていません。
もちろんパクリなんかではなく、あくまでワニ先生のインプット量が相当に豊富であり、かつ21世紀最先端の吸血鬼モノのトレンドを踏まえているだけのことです。
それはそれで賞賛されるべきことでしょう。
なまじそういう【吸血鬼もの】、海外の作品も踏まえた歴史や作品成立を踏まえないと判断しにくいため、誤情報が流れている印象を受けるのです。
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ちなみに【吸血鬼モノ漫画】であり、独自のルールとセンスが突出した作品といえば松本光司氏の『彼岸島』があります。
・最強武器は丸太
・ありとあらゆるところに日本刀が自生している
・彼岸島の面積が拡張し続けているとしか思えない
・やたらと豚汁を作りだす
・文房具屋は何でも発明できる
・ハァハァハァハァといつも息が荒い
・あまりに独自な言語センス(「みんな丸太は持ったな!!、行くぞ!」等)
では独自ルールが多いから!ということを理由に、『彼岸島』が『鬼滅の刃』よりもプロットが盤石で、ヒットを見込めるか? というと……そこは各自で比較検証をお願いします。
※「あったよ! よくわかる動画が!」「でかした!」
ちなみに「ラスボスが美形というのもパクリ」という指摘も見受けられますが、本作に限らず、フィクションの定番ではありませんか。
近代が舞台である
ここまで考えてきて改めて気づくことがあります。
『ジョジョの奇妙な冒険』がいかに革新的であったか――。
当時、イギリス舞台でイギリス人主人公であるということは、斬新極まりないことでした。
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『ジョジョの奇妙な冒険』は、連載当時から一世紀前さかのぼって開始し、3部で追いつく構想がありました。
当初は三部作であったと推察できます。ゆえに19世紀末が第1部の舞台となるわけです。
『鬼滅の刃』は、関東大震災前の大正期を舞台としています。『ジョジョの奇妙な冒険』と比較的時代が近い。
しかも、両者ともに時代の暗部から逃げないで描こうという意識がある。
ゆえに、暗い世界観や価値観が似てしまうのは必然であるともいえます。
役に立たなければ生きている価値なし!
そういうしばきあげ、根性論、マッチョイズムが読んでいて辛くなるほどではありますが、近代とはそういう時代でした。
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【アブダクション】を使いながら戦う
『鬼滅の刃』を読んでみて驚いたのは、作品そのものよりも少年少女たちを含めた多くの読者がその内容についていけるようになったことでした。
というのも、本作はかなり難易度が高く、ややこしい作りをしています。
1話目において冨岡義勇が発揮するするややこしい【アブダクション】については、以下の記事にて解説させていただきました。
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観察して、仮説を見出し、検証する――アブダクションとはそういう科学的思考のことです(詳細は専門書をどうぞ)。
この手の【アブダクション】を使いこなせる人物は、乱世を舞台にした作品での軍師参謀役とか、『DEATH NOTE』におけるLのような探偵役が特技とすることが多いものです。
義勇のように、戦闘しながら【アブダクション】を同時に使う人物がいると、話の難易度が格段に上がる。
そこをふまえると『鬼滅の刃』は連載年代が現在だからこそ通じているのでは?とも思えます。
『ジョジョの奇妙な冒険』は、当時の『週刊少年ジャンプ』における王道・典型の作風ではありませんでした。むしろ小難しいと敬遠されがちなところがあった。
スタンド能力が複雑化していくようになると、その傾向は強くなってゆきます。
例えば、5部の主人公であるジョルノは……
・敵のスタンド能力を踏まえ、どんな戦術を利用しているのか?
・どの無生物に生命を与えるか?
・行動や特徴を踏まえ、どんな生物にするか?
といった点を最低限でも常にふまえなければ、ゴールド・エクスペリエンスを使いこなせません。
ジョルノはそれを即座にしているのですから、かなり頭が切れます。
“アバッキオの茶”をクラゲでどう処理したのか、現在でもファンが混乱している。そんな使い方もありました。
打ち切りにならなかったのは、当時の編集部の英断もあるのでしょう。
そのためかアニメ化も飛び抜けて遅く、息が長くなった作品でもあるのです。
どうしてそうなのか?
荒木先生ご本人の性格なのでしょう。彼はシャーロック・ホームズに夢中になり、影響を受けたと語っております。
「だから【アブダクション】って一体なんなんだ?」
そう問われた場合に、典型例として持ち出すキャラクター像がシャーロック・ホームズです。
どうして初対面のワトソンを、アフガニスタン帰りだと見抜いたのか?
それこそがホームズの思考術なのです……と、説明するとわかりやすいわけです。
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【アブダクション】使いが敵味方含めて複数名同時に出てくるような、複雑なプロットを構成する――それがどれだけ特殊であったかことか!!
コミカルなようでいて、1部はまだ抑えられていたものの、2部ジョセフは敵の動きを先読みし、トリッキーな策で戦っている。
邪道まではいかずとも、王道でもない、そういう個性的な作風でした。
むしろ2部当時は、ゴリ押しでともかく強いという方が多かったものです。
典型例として『魁!!男塾』の江田島平八をあげましょう。
彼が塾長として名乗るだけでなんだか解決するようなノリがありましたが、彼がなんでそんなに強いのか、「EDAJIMAがあと10人いたらアメリカは敗北していただろう」といわしめた理由は何か、結局わかりません。
塾長は塾長だから偉いのである‼︎ 以上。
理由を追い求める方が野暮というものでした。
これは少年漫画だけのことでもなく、水戸黄門の印籠とか、お白洲で刺青を出す奉行とか、そういう大雑把な約束が令和よりも通じやすい時代ではあったのですね。
ジョジョの世界では、江田島平八のような一喝は通じません。『ドラゴンボール』のスカウターのように、強さが明確に数値化できるわけでもない。極めて複雑な駆け引きが必要とされます。
『ジョジョの奇妙な冒険』が長いこと王道扱いというわけでもなく、かつ青年誌に移籍したのに対して、『鬼滅の刃』は少年誌連載のままヒットした。
これは作品そのものの力のみならず、複雑な設定や思考回路を受け入れる読者が形成されたということではありませんか?
呼吸を使う
呼吸を使うというのも、これまた独自のようで、実はそうでもない。
瞑想の際、思考力を高める際に呼吸をすることは基本です。
「競技をする前に準備運動をしている、これはパクリだ!」
なんて言う人がいたら、神経を疑うでしょう。「柱」という名称についてもそうです。
『ジョジョの奇妙な冒険』といえば、思い出したことがあります。
筒井康隆『薬菜飯店』という短編をぜひお読みになってください。
ゴゴゴゴゴゴ……とあるスタンドとそっくりの能力がでてくるッ!
こういう一致は、あるものなのです。
ワニ先生にせよ。荒木先生にせよ。インプットが十分だという証拠です。
その他の漫画はどうなのか?
では、その他の漫画とも比較検証してみましょう。
◆『BLEACH』の柱と護廷十三隊が似ているのではないか?
和装、武技により治安維持を担う組織ということで、新選組あたりの史実をモデルとしていると考えられます。
そうなれば似てしまってもむしろ当然です。
こういう組織は、効率的に運用するとなると似た構成になることはごく当たり前のこと。
幕末の諸隊同士も、構成が似ていることが往々にしてあります。
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◆才能がある者に技が継承される、血統による継承
これも別に不思議でも何でもなく、人類が普遍的にしていることでしょう。
むしろ血統継承がほとんどである『ジョジョの奇妙な冒険』に対し、『鬼滅の刃』では血縁でなくとも継承できる点が違いかもしれません。
お隣・中国の武侠でも定番の設定でした。
要は、東アジアのエンタメには、伝統的にそういう要素が多いということでしょう。
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◆『進撃の巨人』との共通する要素は?
巨人と鬼は、元となる神話や妖怪の性質が違うこと、ヨーロッパをモデルとした舞台と日本が舞台であることから、異なる点が多いと思われます。
ただ、近代史要素が共通する点はあります。
『進撃の巨人』も難解ですので、いつか考察したいと思います。
要は「同工異曲」ですよね
散々検証しておいてなんですが……『鬼滅の刃』パクリ批判については、こんな言葉で一刀両断できたりします。
理屈と膏薬はどこへでもつく
いわば
パクリ疑惑はどこへでもつく
ですね。
【吸血鬼モノ】のルールに沿っていること。
「呼吸」、「柱」、「炎」、「雷」のような一般的な概念が共通していること。
こういうことまでパクリと言い出したらばキリがありません。
それが通じるのであれば、
「滝沢馬琴の『八犬伝』、あれ『水滸伝』のパクリじゃんw」
とも言えますし。
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「シェイクスピアの『リア王』、あれ、『ブリタニア列王史』のパクリじゃんw」
とすらなりかねない。
「やはり微塵のパクリも感じさせない斬新さと独創性を考え抜いて欲しいっす! それがプロでしょ!」と言われたところで「滝沢馬琴もシェイクスピアも、そんなことしてません」で終了です。
「パクリだ!」と熱くなる前に、数多の作品に目を通して人生を謳歌したほうがよいと思いませんか?
そこで注目したいのが「同工異曲」という四字熟語です。
韓愈(かんゆ)『進学解』(しんがくかい)が由来で、以下のような意味になります。
音楽や詩文などで、その技量が同じでも味わいや趣がまちまちであること。転じて、見た目は異なるが、内容は似たり寄ったりであること。
▽「工」は巧みさ・技量。「異曲同工(いきょくどうこう)」ともいう。(goo辞書)
パクリを堅苦しく言い換えたような否定的な意味で使われるケースが多いですが、本来はそうではありません。出典である『進学解』では褒めるニュアンスで使っています。
古人と同じような文章や意趣でありながら別の作品として立派に成立している。先人の作品をインプットしながら、別の味わいの作品に仕上げているということです。
『鬼滅の刃』は、先行する作品を吸収し、影響を受けています。作風やテーマが同じようでありながら、別の作品として成立しているのです。
元の意味での「同工異曲」と言えます。
あたかもゼロから作られたような作品だって、その著者が別の作品から何らかの影響を受けてないわけがありません。
なんでもかんでもパクリ認定し続けると、ご自身の心の幅まで狭くしてしまい、せっかくの世界観が台無しです。
「同工異曲」を楽しむ姿勢で、よいのではないでしょうか。
あまり触れたくはありませんが、先行作品ではもっと際どいパクリ問題があります。
『るろうに剣心』とSNKや司馬遼太郎、『サムライスピリッツ』と『魔界転生』、横光三国志と吉川英治版などなど。
よろしければ以下の記事も併せてご覧ください。
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ちなみに国境をまたぐと、無意識のうちにパクリや侮辱を働いていることも増える傾向があります。
◆『鬼滅の刃』も…ドイツ在住ライターが「日本アニメ、すごいのに残念」と言う理由(→link)
あの名作『ベルサイユのばら』ですら、ツヴァイク『マリー・アントワネット』の影響が濃過ぎて、歴史モノとして信じ込むと弊害があるとされています。
オーストリアへの思い入れが強すぎるため、その反動でルイ16世の描写が偏ってしまったのです。漫画を楽しむ一方で、心のどこかで『史実はどうなのだろう』というちょっとした疑問を持つことも大切かもしれません。
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『鬼滅の刃』は、鬼という実在しない怪物と戦い、かつ実在する歴史人物を作中で登場させていないだけに良心的な配慮がある作品です。
読んで楽しむ読者の姿勢も、作品を構成する要素になりえます。
【パクリパクられ論争】は一旦やめにして、歴史について調べることもきっと楽しいですよ。
良い作品は人生を豊かにしてくれるものですから。
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【参考】
『鬼滅の刃 しあわせの花』(→amazon)
『鬼滅の刃』アニメ(→amazonプライム・ビデオ)















