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『鬼滅の刃』はパクリ漫画なのか?巷に溢れるアンチな批判を逆に一刀両断だ!

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鬼滅の刃はパクリ漫画なのか?
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近代が舞台である

ここまで考えてきて改めて気づくことがあります。

『ジョジョの奇妙な冒険』がいかに革新的であったか――。

当時、イギリス舞台でイギリス人主人公であるということは、斬新極まりないことでした。

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『ジョジョの奇妙な冒険』は、連載当時から一世紀前さかのぼって開始し、3部で追いつく構想がありました。

当初は三部作であったと推察できます。ゆえに19世紀末が第1部の舞台となるわけです。

『鬼滅の刃』は、関東大震災前の大正期を舞台としています。『ジョジョの奇妙な冒険』と比較的時代が近い。

しかも、両者ともに時代の暗部から逃げないで描こうという意識がある。

ゆえに、暗い世界観や価値観が似てしまうのは必然であるともいえます。

役に立たなければ生きている価値なし!

そういうしばきあげ、根性論、マッチョイズムが読んでいて辛くなるほどではありますが、近代とはそういう時代でした。

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【アブダクション】を使いながら戦う

『鬼滅の刃』を読んでみて驚いたのは、作品そのものよりも少年少女たちを含めた多くの読者がその内容についていけるようになったことでした。

というのも、本作はかなり難易度が高く、ややこしい作りをしています。

1話目において冨岡義勇が発揮するするややこしい【アブダクション】については、以下の記事にて解説させていただきました。

『鬼滅の刃』呼吸で学ぶマインドフルネス~現代社会にも応用できる?

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観察して、仮説を見出し、検証する――アブダクションとはそういう科学的思考のことです(詳細は専門書をどうぞ)。

この手の【アブダクション】を使いこなせる人物は、乱世を舞台にした作品での軍師参謀役とか、『DEATH NOTE』におけるLのような探偵役が特技とすることが多いものです。

義勇のように、戦闘しながら【アブダクション】を同時に使う人物がいると、話の難易度が格段に上がる。

そこをふまえると『鬼滅の刃』は連載年代が現在だからこそ通じているのでは?とも思えます。

『ジョジョの奇妙な冒険』は、当時の『週刊少年ジャンプ』における王道・典型の作風ではありませんでした。むしろ小難しいと敬遠されがちなところがあった。

スタンド能力が複雑化していくようになると、その傾向は強くなってゆきます。

例えば、5部の主人公であるジョルノは……

・敵のスタンド能力を踏まえ、どんな戦術を利用しているのか?

・どの無生物に生命を与えるか?

・行動や特徴を踏まえ、どんな生物にするか?

といった点を最低限でも常にふまえなければ、ゴールド・エクスペリエンスを使いこなせません。

ジョルノはそれを即座にしているのですから、かなり頭が切れます。

“アバッキオの茶”をクラゲでどう処理したのか、現在でもファンが混乱している。そんな使い方もありました。

 

打ち切りにならなかったのは、当時の編集部の英断もあるのでしょう。

そのためかアニメ化も飛び抜けて遅く、息が長くなった作品でもあるのです。

どうしてそうなのか?

荒木先生ご本人の性格なのでしょう。彼はシャーロック・ホームズに夢中になり、影響を受けたと語っております。

「だから【アブダクション】って一体なんなんだ?」

そう問われた場合に、典型例として持ち出すキャラクター像がシャーロック・ホームズです。

どうして初対面のワトソンを、アフガニスタン帰りだと見抜いたのか?

それこそがホームズの思考術なのです……と、説明するとわかりやすいわけです。

シャーロック・ホームズが19世紀の英国に生まれた理由~名探偵渇望の時代

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【アブダクション】使いが敵味方含めて複数名同時に出てくるような、複雑なプロットを構成する――それがどれだけ特殊であったかことか!!

コミカルなようでいて、1部はまだ抑えられていたものの、2部ジョセフは敵の動きを先読みし、トリッキーな策で戦っている。

邪道まではいかずとも、王道でもない、そういう個性的な作風でした。

むしろ2部当時は、ゴリ押しでともかく強いという方が多かったものです。

典型例として『魁!!男塾』の江田島平八をあげましょう。

彼が塾長として名乗るだけでなんだか解決するようなノリがありましたが、彼がなんでそんなに強いのか、「EDAJIMAがあと10人いたらアメリカは敗北していただろう」といわしめた理由は何か、結局わかりません。

塾長は塾長だから偉いのである‼︎ 以上。

理由を追い求める方が野暮というものでした。

これは少年漫画だけのことでもなく、水戸黄門の印籠とか、お白洲で刺青を出す奉行とか、そういう大雑把な約束が令和よりも通じやすい時代ではあったのですね。

ジョジョの世界では、江田島平八のような一喝は通じません。『ドラゴンボール』のスカウターのように、強さが明確に数値化できるわけでもない。極めて複雑な駆け引きが必要とされます。

『ジョジョの奇妙な冒険』が長いこと王道扱いというわけでもなく、かつ青年誌に移籍したのに対して、『鬼滅の刃』は少年誌連載のままヒットした。

これは作品そのものの力のみならず、複雑な設定や思考回路を受け入れる読者が形成されたということではありませんか?

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