そのイメージは時代によって変わり、例えば江戸時代のように「火事と喧嘩は江戸の華でぇ!」と言われたところで、現代人からすれば一体何のことやら……と、戸惑ってしまうでしょう。
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では、明治初期を舞台とした『るろうに剣心』の世界ではどうか?
それはなんといっても相楽左之助だ!
そう言い切れそうです。
レギュラーメンバーであり、快男児そのものと言える――本稿では相楽左之助について考えてみたいと思います。
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佐幕倒幕バイブリッド
左之助は、まさに本作の特徴と言えるでしょう。
名前の元ネタは二人います。
一人目は……。
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最後は西郷に見捨てられた 相楽総三と赤報隊は時代に散った徒花か
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二人目は……。
佐幕派・新選組の原田左之助
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この組み合わせというのは、なかなか倒錯があり、平成ならではの設定と言えます。
討幕派と佐幕派の記憶が生々しく残る時代でしたら「混ぜるな危険!」と炎上しかねないものでした。
そしてこれは、和月先生の価値観そのものでもあります。
司馬遼太郎の大ファンである和月先生は『燃えよ剣』や『翔ぶが如く』がお気に入りのはず。
もしも和月先生にゆかりの深い土地だったり、あるいは両親の出身地だったり、特定のエリアに影響された歴史観で幕末史を描いていたら、なかなかこうはならなかったのでは?
しかし、入口が司馬遼太郎であれば、納得のいくハイブリッドです。
相楽総三と原田左之助の組み合わせという時点で、平成当時の歴史観が反映されています。
赤報隊、昭和の悲劇
『るろうに剣心』で、相楽総三が取り上げられたことには大きな意義がありました。
というのも、それまでの赤報隊には、マイナスイメージがこびりついていたのです。
昭和末期の1987年(昭和62年)から平成初期の1990年(平成2年)にかけて起きたテロ事件。
実行犯たちは「赤報隊」を名乗りました。
もともと赤報隊は幕末に活動した集団ですが、よほど歴史に詳しい人でなければ名前すら知らず、ゆえにその名前には強烈なマイナスイメージが付き纏っていたものです。
歴史人物や団体名の流用は、ネタ元にされた対象についても悪印象を与えかねずに危険。
「赤報隊といえばテロリストでしょ。元になった相楽って男も、処刑されたんだって。偽情報を流したらしいよ……」
かくして赤報隊は幕末のみならず、昭和にまで悪名を轟かせておりました。
赤報隊、幕末の隠蔽
相楽は幕末を描いた作品でも、戦前はタブーでした。
慰霊すら、子孫の代になってようやくできるようになった――そんな悲しい存在でもあります。
なぜなら明治新政府を樹立した維新サイドの黒い一面を暴いてしまう存在であり、大河ドラマですらほとんど扱われなかったのです。
では、なぜ、そんな扱い方だったのか?
これがなかなか面倒な背景がありまして。
・赤報隊は悪くない! 偽官軍は言いがかりだ!
・しかし、そのことを語ろうとすると、京都の大商人とつながった明治新政府という黒い側面が出てきてしまう
・大衆が知りたいのは、無血開城とか、そういうスカッとする話で、冤罪処刑なんて見たくない
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ゆえに歴史の陰に追いやられてきたんですね。
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