ゴールデンカムイ鶴見中尉

『ゴールデンカムイ30巻』/amazonより引用

この歴史漫画が熱い! ゴールデンカムイ

ゴールデンカムイ鶴見中尉を徹底考察!長岡の誇りと妻子への愛情と

慶応2年(1866年)12月25日は鶴見中尉こと鶴見篤四郎の誕生日です。

漫画アニメ『ゴールデンカムイ』における最重要キャラの一人であり、見た目のインパクトもさることながら、彼の背にのしかかる過去がきつい。

「ラスボス」鶴見中尉の背負わされた宿命を考えると、とてもフィクションとは思えない重く複雑な感情にとらわれてしまいます。

いったい鶴見篤四郎とは何なのか。

史実と照らし合わせて考察してみました。

 


長岡藩――敗者の誇り

鶴見篤四郎は何歳で、いつ生まれたのか?

劇中では41歳頃から始まったと推察できます。

旧幕時代の記憶が強い人物は、ファンブックで出身地を国名表記。

鶴見は「新潟県」とされていますが、逆算すると明治維新前夜、慶応2年(1866年)あたりの生まれとわかります。

新潟県は、複数の藩から成立しました。

村上
新発田
長岡
高田
など

このうち鶴見はどの藩の出身か?

推察するに、長岡藩と思われます。

幕末の長岡藩を代表する人物といえば、家老であった河井継之助が有名ですね。

彼はガトリング砲を用い、西軍をさんざん苦しめ、西郷隆盛の実弟・吉二郎も長岡の攻防で戦傷死を遂げています。

※以下は西郷吉二郎の生涯まとめ記事となります

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それだけではありません。

後に陸軍の元老としても知られる山縣有朋が、長岡では褌一丁で逃げたと語り残されています。

山県有朋
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劇中の鶴見は、機関銃を放ちながら恍惚とした表情を浮かべます。

ああも目立つように機関銃を出してきて、かつ、幕末史からの影響も強いとなると、長岡藩出身と考える方が自然でしょう。

奥羽越列藩同盟の中でも、この長岡藩は独自の個性と誇りがありました。

河井継之助がそうしたように、立ち塞がる連中を薙ぎ倒してやる――そんな思いを鶴見も強く持ち合わせていたのではないでしょうか。

 


“中央”に、なぜ従う必要が?

長岡藩出身と考えると、“中央”こと政府に反旗を翻す鶴見の人格形成の根底も浮かんできます。

戊辰戦争に敗北した――と言っても諸藩で温度差はあります。

悲劇の主役、京都の治安を守るうちに勝てるわけもない戦いに巻き込まれた理不尽さへの恨みがある、いわば敗者のスタンダードが会津藩。

大藩ゆえに、見過ごせず立ち上がったものの、どこか鷹揚であったと味方からすらみなされがちな仙台藩。

敗者とはいえ、実は連戦連勝、負け知らずだった庄内藩。西郷隆盛から寛大な措置をとられ、そのことに感謝し、西南戦争で西郷に味方する者が多くおりました。

そして庄内藩同様、戦術的には敵に勝っていた長岡藩。

前述の通り、西郷の弟を討ち取り、山縣を褌一丁で敗走させたことは痛快事!でした。

このように知名度や認識の上でかなり差があり、かつ、その土地の人々が語り継いで来た内容も当然のことながら違いがあります。

長岡藩には、敵に「死を覚悟させた」という勝利の記憶があり、ガトリング砲を手にしていたという、先見の明への誇りもあります。

政治的な詐取で押し寄せ、長岡藩から資産を掠め取って行った――そんな官製の大泥棒にしてやられたという不信もありました。

プライドの高さ、負けてられないという感情。そして自分たちの知性への確信すら感じさせます。

話は少々脱線しますが、そうした長岡目線で見る「幕末と明治時代」を知りたいのであれば、半藤一利の著作がおすすめ(→amazon)。

仁義なき幕末維新
菅原文太兄ぃは仙台藩士の末裔だった『仁義なき幕末維新』に見る賊軍子孫の気骨

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彼は司馬遼太郎の熱心なファンでありながら、幕末維新史については支持していません。

『幕末史』(→amazon)をはじめとする幕末維新の関連書籍を読んでいくと、その根底に流れる冷たい目線と、熱い誇りが伝わってきます。

幕末に生まれ、明治に生きた鶴見篤四郎という人物にも、同様の冷たさと熱さが備わっていたのでしょう。

ただ、彼には長岡出身者らしからぬ一面もあります。

日本屈指の酒の名産地であり、贈答品に日本酒が欠かせない新潟県。その土地に生まれながら、下戸で甘いものが好きだというのは彼なりの個性です。

 


“賊軍”の土地から士官学校へ進む

教育水準が高いことに誇りを抱いていた長岡。

となれば、勉強のできる若者はさぞかし周囲の期待を集めたことでしょう。

そうした大人たちの言葉の端々には、政府への不信感と軽蔑も含まれていたはず。話の合間には、みっともない逃げ方をした山縣有朋への嘲笑も挟まれるわけです。

中央の連中に、長岡出身者がガツンと言わせる。そのためにはどうすべきか?

当時、鶴見のような賊軍出身者の出世ルートは限られていました。

研究者か、軍人か。

なんせ政治家への道は薩長で占められていた時代。お国に尽くして故郷へ錦を飾るため、鶴見篤四郎は周囲の期待を背負いながら、陸軍士官学校へ進んだことが推察できます。

篤四郎という名前からして、長男でない可能性は高い。

それでも士官学校へ進んだ。

あの年代で洋琴(ピアノ)を弾けて、ロシア語をこなせる上に柔道もできる。

鶴見という人物がどれほど優秀で、期待を集める存在であったか。その背後には、彼に期待を寄せる長岡の人々の想いまで、想像したくなります。

同じ士官学校卒の花沢勇作や、鯉登音之進と比較すると、より鶴見の特異性は見えてきます。

まず、金銭感覚です。

当時の士官学校は制服を自前で調達しなければなりません。例えば軍服は、色などの規定を守れば、ある程度アレンジができます。

金があれば上等な生地を使う。欧州から取り寄せることだってできる。

一方で貧しければ一張羅となり、摩擦でテカテカになってしまっても、着続けれなければならない。

薩摩閥のボンボンと、賊軍長岡藩出身者では、見た目から異なっていても不思議はありません。

後年の鶴見は、謎の陰謀仲間なり、スポンサーでも見つけていたかもしれませんが、士官学校に入った当初は貧しかったことでしょう。

故郷の誇りとして、学費をかき集められて、送り出された鶴見。彼にはそんな苦難の時代があっても全く不思議ではない。

そういう生育環境からすれば、鯉登に対してどこか冷たい目線があってもおかしくありません。

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鯉登が目をキラキラさせて「鶴見中尉殿にも教えてあげたい!」と菓子の話をするとき。

鶴見の胸には、どんな思いがよぎっていたか……。

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