本郷和人東京大学教授

本郷和人の歴史ニュース読み

ビジネスにも歴史が必要な時代!? つなごう、社会と学問! 本郷和人(東大教授)の「歴史キュレーション」

日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。

今週は、世界情勢を知るための歴史をプッシュする早稲田大学院の川本裕子先生に注目だ!

※編集部注:本郷先生も今晩、林修先生のテレビ番組に出演し、歴史対決をしてくれる模様です(1月19日の歴史テレビ番組表

 

【登場人物】

本郷くん1
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太

 

himesama姫さまくらたに
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ

 

 


文化庁長官、京都常勤へ…文化財保護部署も移転 読売新聞 1月15日

本郷「ありゃ、まあ」
「消費者庁が徳島へ、というニュースも出ているけれど、そちらは結構反対論が強いわね。でも、こちらは今のところ、それほどの反対はないようね」
本郷「そうかあ。反対が出ないということは、あんまり大きな声では言えないけれど、まあどうでもいい役所ということなんだろうな」
「こらこらこら。そうじゃないでしょ。大事なお仕事をしていらっしゃるわよ」
本郷「いま史料編纂所は所蔵している島津家文書(国宝)の修理をしているんだけど、文化庁は折に触れて指導に来ているんだ。京都に移転となると職員も京都常駐でしょう。指導のために来所する経費はそっちで持て、なんて話にならないだろうな」
「うーん。それはありそうな話ね~」
本郷「いや、まあ、そんなみみっちい話はさておいて、ですね。ぼくは賛成だな。首都機能は分散すべきだよ。列島の活性化につながる。とくに日本の歴史を考えれば、東と西が競い合うかたちで歴史が動いているんだものね」
「鎌倉時代は幕府は東。室町時代は西。江戸時代は東。加えて朝廷はずっと京都。江戸時代なんて、政治の江戸、経済の大坂、伝統の京都、っていうふうに棲み分けがあったのよね。それを考えると、今の東京一極集中の方がへんよね」
本郷「そうそう。今は競争相手が世界だから東京に権限を集中して効果的に戦わなくちゃ、という理屈も一理あるけれど、まあ、文化とか教育とか、移せるものから移してもいいんじゃないかな」
「あと3年、4年はかかる、とも言われてるけれど、推移を見守りましょう」

 


今なぜビジネスで「歴史」を学ぶことが必要なのか? 川本裕子・早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授 ダイヤモンドONLINE 1月15日

本郷「わーい、大賛成!」
「でも、川本先生が言われているのは、世界情勢を知るための歴史。世界史よ」
本郷「いや、それでも、歴史を大事にしてくれるだろうしね。歴史は役に立つんだということを分かってもらえるとうれしいなあ」
「ヨーロッパのテレビでニュースをつけると、「歴史哲学」という学問分野の先生がよく出演されていて、状況説明をして下さるわね。なんかこう、立派な研究者って雰囲気で。芸能人に混じって名所旧跡の解説しているおっちょこちょいとは大違いね」
本郷「ほっといてくれよ。ああやって、社会と学問をつないでるんだから」
「ほんと??うそくさいなあ。まあいいわ・・。ああ、日本では最近、ライフネット生命CEOの出口治明さんがそうした世界史の話を積極的にしていらっしゃるわね。あなた、お目にかかったこと、あったでしょ?」
本郷「うん。対談をさせていただいた。もうね。ヨーロッパ圏・中国のみならず、イスラム圏のリーダーの話がものすごく豊かでね。ぼくねえ、お話するまで、ちょっと警戒していたんだ。ビジネスの最前線にいらっしゃって、しかもあの該博な知識。できすぎでしょ。だから・・。でも、会ってみたら、本当の紳士でね。ものすごく謙虚で、奥が深いお人柄。いっぺんにファンになっちゃった。「すごい人」「できる人」っているもんだねえ」
「感心してないで、少しは見習うように」

 


豊前国苅田歴史物語 町教委・小野さん発刊 戦国時代から近代、先人の息遣い感じて /福岡 毎日新聞 1月15日

本郷「おお、すばらしい。こういう地道で、だけど堅実な取り組みが、大きな歴史を語るときに生きてくるんだよね」
「なるほどー。何か説明してよ」
本郷「いや、ぼくなんかが付け足すことはないな。でもそれじゃあ、あんまり役立たずになってしまうから、苅田にあった松山城の話をしようか」
「あんまり聞かないお城ね」
本郷「そうだね。だけど、博多を手中に収めていたい山口の大内氏にすると、山口と博多のある筑前国を結ぶ豊前国を防衛するためのとても重要な城でね。重臣の杉氏を筑前守護代に任じて、松山城主にしたんだ」
「とても重視されていたのね」
本郷「そうなんだ。大内氏のあとを襲った毛利氏もこの城の大切さをよく知っていた。小早川隆景は「豊前で一番の要害だ」といっている」
「豊臣秀吉の九州攻めの後、筑前は黒田官兵衛の所領になるわよね」
本郷「そうだね。黒田領の北の端になるのかな。隣接するのは西軍に属した毛利勝信領」
「ああ、知ってる。勝信は森という姓も名乗っていて、秀吉に長く仕えていた人でしょ。その子が大坂の陣で大活躍した毛利勝永よね」
本郷「そのとおり。関ヶ原の戦いの後、豊前は細川忠興に与えられた。細川時代に松山城は廃城になり、歴史を終えたんだ。どう?勉強になったでしょ」

 

<歌い踊る切手>信長が舞った「敦盛」 大江幸若舞(2001年) 東京新聞 1月15日

本郷「そうそう。これ、ありがちな間違いなんだよな~」
「なに? テレビドラマでお能の謡いみたいに【にーんーげーん、ごじゅうーねーん】ってうたってることをいいたいの?」
本郷「そう。それはあくまで能であって、幸若舞じゃないんだ。幸若舞はいまはほぼ失われていて、どんなものだったかよくわからないんだよね」
「ああ、そうなの。でも、桶狭間の戦いの前には、信長は必ず舞うことになっているわよ」
本郷「ぼくねえ、友人の新聞記者に聞いたんだけど、もしかすると幸若舞は、舞はともかく、歌の方は、ともかく激しくて、いまのヘビメタみたいだったかも、という説もあるんだって」
「えええ!? それはびっくりね。なんか、へんなのー」

【TOP画像】Photo by (c)Tomo.Yun


 

 



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