伊藤博文と渋沢栄一はテロ仲間

幕末時代の渋沢栄一(左)と伊藤博文/wikipediaより引用

幕末・維新

渋沢栄一と伊藤博文は危険なテロ同志~大河でも笑いながら焼き討ち武勇伝

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確たる証拠もない暗殺だった

捕縛、暗殺、遺体遺棄。

この事件で暗澹とした気持ちにさせられるのが、そもそも「廃帝の記述」がテキトーだったと思われるところです。

同じ罪状で殺害された鈴木重胤は、冤罪であったため、正五位を追贈されています。

文久3年(1863年)8月――中村敬于正直の家に、天狗党の薄井龍之と小林捨松が踏み込みました。

このとき母親が我が子を庇い、こう言い返します。

「その罪には証拠はおありか?」

「……いや……」

「もし証拠が確かならば、この母がこの息子を成敗します! ただの風説ならば今一度お調べください!」

「それもそうかも……」

襲撃者はハタと立ち止まり、中村家を後に。

暗殺を命じた藤田小四郎に薄井がこの一件を報告すると、藤田は笑ってこう返したのです。

「天誅をくだすのに理非を問われ迷うとは情けない。それでは志士ではないぞ」

要は、証拠なんて知らんがな。さっさとやれよ、というところでしょう。

『青天を衝け』では大きな志を抱いているかのように描かれた藤田小四郎。

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実際は、軽いノリで暗殺をしていて、気が重くなるばかり。

殺害された学者たちがあまりに不憫です。

 

暗殺に無反省、むしろ自慢げ

それでも実行犯たちが真面目に反省すれば、まだ救いはあるでしょう。

例えば人斬り半次郎の悪名で知られる桐野利秋は、心優しいところもありました。

会津戦争では、豊臣秀吉に屈した島津家の苦悩と会津藩を重ねて号泣。

自身が赤松小三郎を暗殺した際には、精神に変調をきたしました。

「赤松小三郎がきた! 赤松がきた、畳の下に、赤松の墓がある!」

そう叫ぶようになったのです。

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田中河内介暗殺実行犯の中にも、精神が崩壊してしまった人物はいました。

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では伊藤は?

暗殺のことをまるで冒険とでも思っていたのでしょう。

後年、自慢げに吹聴し、そのことを聞かされたという証言が残されています。

伊藤にとって兄貴分にあたる高杉晋作の交友録『観光録』末尾の書き付けには

「宇野八郎・塙二郎斬姦」

という不気味な文字が残されています。

現代ならば、スマホのメモ帳やグーグルカレンダーに

「殺害した人間の名前」

を登録しておくような感覚でしょうか。

彼らにとっては英国公使館焼き討ちも学者殺害事件も

“俺らマジパネェ武勇伝”

扱いでしかありません。

伊藤の塙次郎暗殺を知る人は知っていて、例えば講談師初代・伊藤痴遊が思い切って尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。

「そんな古いことは、どうでもよいではないか」

否定しないのです。

殺害していなければ「違う」と言うはず。

前述の中原邦平著『伊藤公実録』にもこうあります。

「本人曰く、公も殺害現場にいたことは確かである」

中原は公爵毛利家に仕えています。

つまり長州藩の公式記録でも暗殺を仄めかしていると言えるのです。

そして大正10年(1921年)、塙次郎六十年祭でまた新証言が出てきました。

「塙次郎暗殺犯は、伊藤博文……」

今後の発言者こそ、誰あろう渋沢栄一でした

もう周知の事実だから、言ってもよかろう。伊藤博文だって死後十年以上経っていることだし。

そんな心境だったのかもしれません。

 

伊藤と渋沢、テロが結ぶ友情

公然の秘密であれば、渋沢が知っていたところで何の不思議もないとはいえます。

傍証からも両者のテロによる関係が見えてきます。

渋沢栄一は見るからに温厚そうな見た目をしてはおりますが、幕末においては水戸学を信奉する志士として活動していました。

前述の通り【坂下門外の変】を起こした犯人と親しく交際。

藤田東湖の子であり、天狗党を率いた藤田小四郎とは互いを「畏友(尊敬する友)」と呼び合うほど親しくしていました。

そんな水戸天狗党と長州藩過激派には、深い繋がりがありました。

塙次郎らの暗殺事件は、両者が盛り上がって起こした事件といえます。

他にも次のような関係性が指摘できます。

・天狗党には長州藩から資金が提供されていた

・【禁門の変】と【天狗党の乱】はほぼ同時期に発生している

・天狗党の靖国神社合祀が早い(※【禁門の変】で御所を守護した会津藩士は大正末)

水戸と長州は、まさにスペシャルな同志。

京都時代に渋沢と伊藤が顔を合わせていた可能性もありますし、互いのことを知っていても不思議ではありません。

【天狗党の乱】が起こると、徳川慶喜に仕えていた渋沢栄一のもとに、薄井龍之の嘆願が届きました。

しかし渋沢は天狗党の形勢不利とみたのか、その嘆願を握りつぶしました。

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それがよほど気まずかったのか。

渋沢は隠し通していますが、小栗忠順からは「倒幕を志願しておいて今度は幕府に仕えるのか」と皮肉られたりしています。

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明治の世になったとき「倒幕は当然のことだった」と振り返る渋沢。

伊藤博文と意気投合していたとしても何ら不思議はないでしょう。

なんせ二人には、尊王攘夷テロという青春の思い出があり「ズバ抜けた女好き」という共通点もあります。

それが仲良く大河の劇中で活躍する――なかなか怖い状況だとも思うのです。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
一坂太郎『暗殺の幕末維新史』(→amazon
芳賀登『幕末志士の世界』(→amazon
伊藤之雄『伊藤博文』(→amazon

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