江戸時代の乳幼児死亡率

徳川家定とその妻・篤姫/wikipediaより引用

幕末・維新

江戸期以前の乳幼児死亡率が異常~将軍大名家でも数多の子が亡くなる

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白粉の鉛

『徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)』(→amazon)より引用させて頂きます。

江戸時代に特徴的だったのは白粉(おしろい)の鉛毒である。

将軍の乳母たちは鉛を含んだ白粉を使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚くぬった。抱かれた乳幼児は乳房を通して鉛入りの白粉をなめる。

乳児も白粉を顔や首にべったりぬられた。

鉛は体内に徐々に吸収され、貧血や歯ぐきの変色、便秘、筋肉の麻痺などが起こり、脳膜の刺激症状が出ることもある。

後遺症として痙性麻痺や知能障害がのこるケースもあった。

鉛中毒は将軍の子女のみならず当時の大名や公家など上流階級にはよくみられた疾病だった。

ナルホド、白粉の鉛ですね!

江戸時代の白粉は米粉やカラスウリ、白粉花を原料とした天然のものと、7世紀頃に中国から伝わった鉛を原料としたものがありました。

そして一般的に使われていたのは後者だったのです。

鉛白粉は大量生産できるため、価格が安価な上に、肌への付きと伸びも良い。

化粧効果が抜群なワケですから、女子の絶大な支持を得ていたようです。

明治になりますと、母親が鉛白粉を使っている子の中毒が問題となったり、白粉を常時大量に使う歌舞伎役者の鉛中毒事件が社会問題となったため、以降は鉛フリーな白粉が作られるようになりました。

ただ、昭和9年に禁止されるまで鉛白粉は売られていたとのことで、あー怖い。

鉛中毒に関しては井伊直政の話で触れておりますので、よろしければご参照ください。

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イモ公方こと徳川家定はどんな人物?

最後に、徳川家定について、もう少し深く掘り下げておきましょう。

大河ドラマ『西郷どん』では又吉直樹さんが、『青天を衝け』では渡辺大知さんが「チョットおかしな人物」として演じており、気になった方もおられたでしょう。

家定は文政7年(1824年)、第12代将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれました。

母の美津(本寿院)は幕臣の娘とも言われ、大奥に出仕して将軍のお手付きとなります。

家定の兄3人はいずれも2歳までに早生し、家定が世継ぎとなりました。

しかし、彼自身も幼少の頃から病弱で、人前に出るのを避ける子であり、父・徳川家慶が器量を心配。

次の将軍は一橋慶喜にしようかと考えていたくらいですから、あまり優れた人物ではなかったのでしょう。

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松平慶永(松平春嶽)に至っては「凡庸の中でも最も下等」と酷評したようで、やはり「いささか問題のある方」だったようです。

文献でも、

【癇が強い、目や口、首が時々けいれんする、言語も吃りがある】

と痙性麻痺(けいせいまひ)を疑わせる記述があります。

日米修好通商条約を結んだハリスの日記にも、不随意運動を示唆する描写があり、篠田先生は、出生時か乳幼児期かに何らかの原因がある脳性麻痺では無いかと推測されています。

この他、幼い頃に重い天然痘にかかって痘痕が残って醜いともありますので、引っ込み思案になってしまうのもしょうがないのかなぁ。

 

篤姫が嫁いだ頃すでに家定は……

そんな家定は、父が死去した後、29歳で将軍職に就きました。

家定には、将軍就任前に結婚した正室がおりましたが若くして天然痘で死去。

次いで来た継室も嫁いで半年で亡くなってしまいます。

そこで「身体の丈夫な島津の姫を」と、嫁いできたのが篤姫でした。

しかし、元々病弱な家定は将軍職のプレッシャーで体調を崩し、篤姫が来た頃は結婚生活を営むどころではなかった模様です。

これもドラマの描写通りですね。

実際、篤姫の輿入れからわずか1年半後の安政5年7月6日、家定はこの世を去りました。

享年35。

結局、子女には恵まれず、家定の血脈はここで途絶えるのです。

家定のあだ名「イモ公方」は、菓子やふかし芋を自ら作り、部下に振る舞う姿を松平春嶽が揶揄してつけたものです。

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しかし今の時代であれば、将軍がお菓子をつくって部下にプレゼントって優しい人物だったと思いません?

あー、でも慶喜を嫌った理由が「自分よりハンサムでムカつく」ってところがイケてないかなぁ。

いずれにせよ

・江戸時代に成人するのがいかに大変だったか

・藩をまたいでの養子縁組がやたらと多ったか

その理由がご納得いただだけるでしょう。

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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
国史大辞典
篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)』(→amazon
おしろい/wikipedia
徳川家定/wikipedia
徳川家慶/wikipedia
POLA(→link

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