岩山糸(西郷糸子)

岩山糸(西郷糸子)/wikipediaより引用

幕末・維新

西郷3番目の妻・岩山糸の生涯|夫の銅像は「こげなお人じゃなかった」と完全否定

2025/06/10

大河ドラマ『西郷どん』で黒木華さんが演じ、注目度が高まったヒロイン糸。

岩山糸(西郷糸子)は、もともと武家の娘であり、西郷隆盛3番目の妻として知られます。

ドラマでは運命の相手として位置づけられていた糸。

大正11年(1922年)6月11日に亡くなりますが、史実の彼女は、一体どのような女性だったのでしょうか?

岩山糸(西郷糸子)/wikipediaより引用

 


西郷とは一回り以上も歳下だった

父は薩摩藩士・岩山八郎太直温。

母はエイ。

2人の二女である糸は、天保14年7月(1843年)に生まれました。岩山家は城下士の9階層のうち、下から4番目の「小番」にあたります。他の藩では「馬廻り」に相当するランクです。

きょうだいは姉と弟が2人、5人きょうだいの真ん中が糸でした。

後の夫となる西郷は、文政10年(1827年)生まれで16才の年齢差があります。

ここでドラマを見ていた方は「うん?」と思われたでしょう。

そうです。『西郷どん』の第一回において、主人公の西郷は13才くらいですから、本来、糸は生まれておりません。

ドラマの中ではいざしらず、男女間の隔たりが厳しい幕末の薩摩。

結婚前の二人がロマンスを育むようなことは、まず考えられなかったでしょう。

 


西郷には三番目の妻で、糸には二番目の夫

西郷隆盛にとって三度目の妻・糸の結婚は、慶応元年(1865年)のことでした。

西郷の最初の妻は伊集院須賀で、島流しさせられていたときに出会ったのが二番目の妻・愛加那(とぅま)です。

愛加那/wikipediaより引用

糸も一度、上役の海老原家に嫁ぎましたが、すぐに離縁していたようです。

両者とも再婚同士という間柄で、西郷はあまり、再婚に乗り気ではありませんでした。

なにせ彼は島津斉彬に引き上げられてからというもの江戸と薩摩を行ったり来たりだけでなく、その後は島流しにも2度遭うなど、とにかく全国を行き来する多忙な身であり、あまり薩摩に留まることが出来ません。

事実、最初の結婚は失敗しています。

激動の世の中で身を固めたところで、ほとんど家庭には関われない――という懸念があったのかもしれません。

なお記事末に西郷隆盛の年表を記しておきました。彼女と結婚した1865年は薩長同盟の前年であり、それがどんなに多忙な時期であったかはご推察いただけるでしょう。

左から西郷隆盛・坂本龍馬・木戸孝允/wikipediaより引用

そんな状況の中、有川矢九郎が、妻のイトコというふれこみで、突如、糸を西郷家に連れて来て、そのまま「よかよか!」と電撃結婚させてしまうのです。

 

うっとりとして夫の顔を眺めていた……

夫の西郷隆盛は巨漢、妻の糸は細身で小柄。

見た目は正反対で歳も離れています。

甘いロマンスもへったくれもない状況ではあるのですが……それでも糸は、うっとりとして夫の顔を眺めていたそうです。

一目惚れですかね。

媒酌人は薩摩の名将・小松帯刀がつとめました。

小松帯刀/国立国会図書館蔵

使用人を含めれば10人を越えるという西郷一家。

この家を小柄な身で切り盛りすることになる糸は、さぞかし大変だったことでしょう。

なにせ夫は家を空けることが多い状況です。

それでも糸はくじけることなく、留守を守り続けました。

 


潔癖症で冗談好きな糸

糸と西郷との間には、寅太郎・牛次郎・酉三が生まれました。

容姿は母親似? 西郷寅太郎/wikipediaより引用

さらに糸は、西郷の二番目の妻である愛加那の子・西郷菊次郎と菊も養子として引き取り、育て上げることになります。

当時、薩摩の人は奄美大島の人を「島人」と呼び、下に見る差別感情がありました。

しかも、菊次郎と菊は他の女性の子です。

それでも糸は、愛加那の子二人を我が子のように扱いました。

度量の広い女性だったのですね。

実際、西郷が亡くなったあとも、糸は愛加那に生活費を送り続けるなど、心優しい気配りができたことを窺わせます。

そのうえ糸は冗談を好んだ、明るい性格でもあり、周囲の人々は暮らしやすかったことでしょう。

ただ、大変潔癖症でもあり、他の人が汚れた手でものを触ると、叱りつける一面もあったそうです。

 

竜馬も褒めた糸

どんなに貧しく、辛い生活でも、泣き言ひとつ言わない糸。西郷はそんな糸を「良妻」であると評しました。

糸はやりくり上手でした。西郷家が借金を返し終えて一息つけたのも、糸の才覚あってのことであったようです。

そんな糸が、西郷にひどく叱られたことがあります。

糸が西郷と結婚したばかりのころ。土佐の坂本龍馬が西郷家に滞在していました。

坂本龍馬/wikipediaより引用

あるとき龍馬は、糸にこう頼んで来ました。

「一番古い褌で結構ですので、くださらんか」

糸はその言葉を真に受けて、糸は西郷の使い古した褌を龍馬に渡しました。そのことを夫に話したところ、こっぴどく叱られてしまったのです。

「おはんは、あん人が国のために命を捨てうよな立派な人だとわからんか!」

そう言われて、糸はあわてて褌を交換しました。西郷が糸を最も厳しく叱り飛ばしたのは、このときであったと、糸は回想しています。

※その竜馬は、西郷夫妻を大変素晴らしい人であると、姉・乙女宛の書状に記しております。

一方で、薩摩の男が女を褒めることは珍しかったのですが、西郷は食事がおいしいと必ず糸を褒めました。

客の前でも、「こん煮付けはゆうとできとっと。おいしか」といった調子で褒めるため、照れていたそうです。

彼女も彼女で、西郷を美男子だとも思っていたらしく、「あん人は、役者のようなよか男じゃった」とよくのろけていました。

絵に描いたような幸せなカップルですね。

それが周囲の嫉妬を買わなかったのは、西郷の器もさることながら、彼女が控えめな性格であり、夫がいくら出世しても質素な生活を好んで、偉ぶるようなことがなかったからかもしれません。

 

西南戦争

激動の維新、戊辰戦争を終え、征韓論で分裂した政府内を離れて西郷は下野します。

たくさんの犬を連れて、兎狩りや湯治を楽しむ西郷。

鹿児島での暮らしは、糸にとっても心安らぐ日々であったことでしょう。

しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。

明治10年(1877年)、西南戦争勃発――戦火が迫り、西郷の一家にとっても逃亡の日々が始まったのです。

西南戦争が始まり、知り合いの家を、転々とする糸たち。

彼女は皆を励まし、食料を調達したり、竹を伐採して、寝る場所を確保したりしました。

城山の裏にあった潜伏先からは、両軍が銃撃し合う音や叫び声が聞こえ、うごめく人の姿や煙も見えます。

【どうか西郷が無事でありますように』

糸たちはそう祈ったことでしょう。

西南戦争・城山の戦い/wikipediaより引用

そして、いざというときは自害するため、死装束を用意しながら、息を潜めていました。

時には使用人の熊吉(ドラマではドランクドラゴンの塚地武雅さん)に着替えを託し、夫に届けることもあったそうです。

祈り虚しくついに城山は陥落。

糸たちは泣きながらその様子を見るほかありませんでした。

 

「逆賊」の妻の意地

明治維新の功労者夫人から、逆賊の夫人へ。

糸は転落しました。

それでも彼女は、夫の後を追うような真似はできません。残された家族を連れて、気丈に生き抜こうとしました。

西南戦争の翌年には、東京の親戚が多額の香典を持って来ました。糸が断っても、相手は無理矢理押しつけるようにして置いて行きます。

糸は使用人の熊吉を東京にやり、香典を相手に返しました。

「夫は亡くなり、子は廃人となり、家も家財道具も焼けてしまいました。

お気遣いはありがたく思いますが、夫が生前に開墾した土地もあります。

しばらく暮らしていくには、不自由はありません。

また後日、何かあればご助力を願うこともあるかもしれません」

それは糸なりの意地なのでしょうか。

それとも、強がりではなく、本当に生活に困っていなかったのでしょうか。

糸はこの言葉通り、着実に生きてゆきます。

家塾を開き、迎えた教師には月給を支払いました。

前述の通り、愛加那への送金も滞ることなく続けました。

長男の寅太郎は、プロシヤに留学し、軍人として着実に出世しました。

愛加那の子である菊次郎も、京都市長にまで出世しております。

西郷菊次郎/wikipediaより引用

(ちなみに林真理子氏のドラマ原作『西郷どん』では、この菊次郎が西郷の思い出を語る――というスタンスで話が進みました)。

糸は、気丈に我が子を育て上げたのです。

明治29年(1896年)から、糸は東京で暮らしました。食べたい物はあるかと嫁に問われると「唐芋御飯」(サツマイモ入り御飯)と答え、出されると嬉しそうに頬張っていたそうです。

そして大正11年(1922年)6月11日、80才で永眠。

夫をよく支えた、妻の一生でした。

 

「こげなお人じゃなかったのに」

そんな糸の、最も有名な逸話は、上野公園の西郷隆盛の銅像に関するものです。

明治31年(1898年)12月。

糸は、義理の弟・西郷従道とともに、亡夫の銅像除幕式に参加していました。

総勢800人が感慨深げに見つめる中、従通の長女・桜子が幕を取りました。

糸はその像を眺めて、こう漏らしたのです。

「ンだども、ンだとも、やどんし(うちの夫)はこげなお人じゃなかったのに……」

慌てた従道は、糸の脚を踏んで黙らせようとしました。

「こや、まさしゅ西郷さぁだ!」

「まこっに西郷さぁにそっくいなあ」

糸の言葉を打ち消すように、明治の元勲たちはそうフォロー。

しかし当の糸は、頑なに否定しました。

銅像の制作者のことは褒めつつも、太りすぎていると付け加えることも忘れませんでした。

結婚したころ、

「よかニセ(若者)じゃ(イケメンだわぁ)」

と、うっとりと夫を眺めていたという糸。恋するフィルターからすれば、あんなブサメンじゃない……そういう解釈もできそうです。

この糸の「銅像は夫に似ていない」発言には、諸説あります。

糸の発言諸説

1. 本当に似ていなかった(と、少なくとも糸には思えた)

2. 西郷の性格的に、浴衣のようなラフな格好で人前には出ない

3. 軍服ではない、髭がない

西郷の像がなぜ浴衣姿かというと、逆賊になったという事情があるようです。逆賊なのに、軍服姿はまずいと。

しかし糸にすれば、服装にうるさく、家の中でもきっちりとして、だらしのない服装をしなかった夫です。

それが、現代からすればTシャツに短パンのような服装にされてしまったわけですから、ガッカリ感は半端ないということなのでしょう。

フランスの新聞に掲載された西南戦争の様子。中央の西郷らしき男は、軍服を着て髭をたくわえています/wikipediaより引用

糸の発言は、周囲にバッチリと聞こえてしまいました。「あの銅像は似ていないんだって」という話は全国に広まり、定着したわけです。

「こげなお人じゃなかったのに」

この糸の本音。

なんともよいですね。

明治元勲たちが気にする「事情」よりも、自分の中の夫の像を大切にする、糸の意地や愛情を感じさせます。

激動の時代を生きた西郷です。

夫婦の生活も、並の人とは違ったことでしょう。

それでも糸の言動からは、素朴で力強い、夫婦の愛情を感じることができるのです。


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【参考文献】
歴史人物研究会 (編集)『幕末明治 時代を変えた女たち』
ほか

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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