薩摩の食文化

幕末・維新

薩摩の食文化は彩り豊か~唐芋・豚肉・焼酎・菓子など異国情緒な食卓

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焼酎王国薩摩

鹿児島県のパンフレットの名前にインパクトがありました。

ちょっと引用させていただきましょう。

◆鹿児島本格焼酎パンフレット~毎日が焼酎日和~(鹿児島県HP

【毎日が焼酎日和!!】って、なんだかすごいですよね。

なぜ薩摩でこんなにも焼酎が好まれたのか。それは地理的要因が影響しております。

・日本で最も早く伝播した

・稲作に適していない

・サトウキビやサツマイモの生産が盛ん

日本最古の焼酎の記録といえば、永禄2年(1559年)です。

郡山八幡神社の天井板に、宮大工の作次郎と助太郎が記した落書きとされています。

内容は「依頼主が焼酎も飲ませてくれないからドケチでムカつく」というもの。記録を残した方も残された方も黒歴史感が辛いですね。

これより後の時代には、真田信繁が、兄の真田信之に焼酎をせがんだ書状も残されています。

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そしてそれ以前となりますと、応永17年(1410年)、島津家7代目当主・島津元久が足利義持に「南蛮酒」を献上した記録があるそうです。

シャム(タイ)あたりから伝わった、焼酎ではないかとされています。

ちなみに島津家の初代は鎌倉時代にやってきた島津忠久となります。

ドラマ西郷どんの中でも「(島津家は)鎌倉時代から」という部分が語られてますね。

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焼酎造りは豚の飼育にも役立った

酒(日本酒)造りに適さない薩摩では、人々は焼酎を造りました。

阿久根焼酎は、江戸や大坂でも人気だったとか。

サツマイモやサトウキビが栽培されるようになると、こうしたものでも焼酎が作られるようになりました。そのほうが遙かに安上がりであったのです。

ただし、あくまで個人的に家庭で飲むものであって、地域特産品として味が洗練されるようになったのは、幕末・島津斉彬の時代から。

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明治時代以降、現在の鹿児島焼酎は芋が主流となっています。

実際、年間焼酎消費量が堂々全国一位(とどラン)ですね。まさに焼酎王国でしょう。

また、焼酎を造るときに出た粕は、豚にとってよい餌となりました。まさに一石二鳥で飼育にも役立ったのです。

現在も、鹿児島特産の豚の餌には、焼酎のもろみや粕が含まれている場合があります。肉の味をよりよくする秘訣なんだとか。

 

異国情緒があふれる食材

琉球王国領を支配下におさめ、他国とも交易を行ってきた薩摩藩。

異国情緒漂う文化がそこにはあり、藩主の献立を見てみると、それが実感できます。

例えば、以下のような食材まで含まれておりました。

【中華料理に用いられる食材】
・フカヒレ
・燕の巣
・竜眼

【南方独特の食材】
・唐墨
・西国米(セーカクビー・シークービーとも、サゴヤシからとったデンプンをビーズ状にしたもの。タピオカに似ている)

【南蛮渡来の菓子】
・カステラ
・ボーロ
・有平糖

江戸期に入る前の戦国時代、甘いお菓子は非常に貴重なものでした。

例えば織田信長が饗応に用いた最高級の甘い南蛮菓子。

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江戸時代になってからも庶民の口には入りにくいものでしたが、サトウキビが手に入りやすい薩摩は別です。

17世紀頃には、「かるかん(軽羹)」がお土産菓子として誕生しております(画像)。

このように薩摩には、豊かで異国情緒あふれる食文化があったのです。

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