松尾多勢子

松尾多勢子と岩倉具視(左)と久坂玄瑞(右)/wikipediaより引用

幕末・維新

久坂や岩倉お気に入りの松尾多勢子!遅咲きの勤王おばちゃんて何者?

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松尾多勢子
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頼りがいのある「田舎のおかあさん」オーラでも出していたんでしょうか。

彼女に何もかも相談にのる若者もいたそうです。

いや、むしろノーガード戦法ですかね。

周囲から見れば「信州から出てきた歌詠みのおばあさん」に過ぎない。

まさかこのおばちゃんが、熱い尊皇攘夷思想を持っている、なんて誰も思わないわけです。

 

足利将軍の木像から引き抜いた首を賀茂川に晒す

年が明けて文久3年(1863)。

滞在費用はどうしていたのか気になるところですが、ともかく多勢子はまだ京都にいました。

平田学派とつきあい、御所まで出向くようになり、毎日が楽しそうであります。

尊皇攘夷思想を持っていれば、ただの歌詠みのおばちゃんでもここまで顔が利くという、平田学派の交友関係の広さも感じさせます。

しかし、この平田学派が大事件を起こしてしまいます。

「足利三代木像梟首事件」

「あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん」です。

徳川家茂の上洛にあわせ、足利将軍の木像から引き抜いた首を賀茂川に晒すというもの。

これには穏健な対話重視路線「言路洞開」を取っていた京都守護職の松平容保も激怒し、路線転換を始めます。

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事件の犯人には平田派の者もいました。

当日の多勢子は嵐山で仲間と酒を飲んでおり、アリバイもあったのですが、関係者としてマークされてしまいます。

彼女が平田学派の仲間から事件について聞いていたとしても、おかしくはありません。

危険を感じた多勢子は、長州藩邸に逃げ込みました。

そしてその後、息子が迎えにきて、信州に戻ります。

 

今度は岩倉家で子女の教育を

慶応3年(1867年)、いったんは田舎に引っ込んだ多勢子でしたが、また上洛してきました。

彼女は岩倉具視の家で家政を取り仕切り、その豊かな学識を生かして子女の教育にもあたるのです。

さらに、戊辰戦争が勃発すると、二人の息子を従軍させました。

まさに勤王の志を持つ女性そのものでした。

明治2年(1869年)。再び郷里に戻ると、家は財政難で傾いておりました。

そこで多勢子は家業立て直しのために奔走します。

バリバリの尊皇攘夷派おばちゃんが見た明治の世は、実のところ嘆かわしいものでした。

散切り頭に洋装の人々が街を闊歩。

あれほど嫌った西洋の奴隷になったかのようです。

自分たちのしたことは一体何だったのか。

そうため息をつくこともあったとか。

変わりゆく文明開化の世を見つめながら明治27年(1894年)、多勢子は84才という長い人生を終えるのでした。

 

伝説はどこまで本物か?

多勢子は【木像梟首事件】の際に、男装して仲間を助け、証拠書類を焼き捨てたとされます。

また、長州藩に紛れ込んだスパイを問い詰め、切腹に追い込んだなんて逸話も。

そして彼女最大の伝説は、岩倉具視の命を救ったというものです。

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隠棲している岩倉のもとに「信州の歌詠みばあさん」として近づき、その志を確認。

岩倉暗殺を企む者に「彼は勤王の志を持つ」と伝え、計画を未然に防いだ、というものです。

彼女に関してもっとパンチのある話を盛りたいと考えた人が、スパイ映画さながらの活躍を描いたのでしょう。

こうした話を盛らなくとも、多勢子は驚異的な女性であったことは確かでしょう。

あの時代に女性でありながら学問をおさめ、久坂玄瑞や品川弥二郎とも交流があり、岩倉具視にお信頼を得たのですから。

思い立ったらやってみる行動力と、熱い志を兼ね備えた多勢子。

幕末に生きた熱い女性の一人であったことは、間違いありません。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
辻ミチ子『女たちの幕末京都』(→amazon
『国史大辞典』

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