合間から山頂を覗かせる、富士山――。
葛飾北斎の作品『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、大胆な構図や写実的な波、そして「北斎ブルー」と呼ばれる藍色が特徴です。
この「北斎ブルー」の正体は、当時「ベロ藍」と呼ばれ、元はプロシアのベルリンで作られたものです。
「ベルリン藍」がなまって「ベロ藍」になった、というわけです。
葛飾北斎の浮世絵は、実は19世紀以降の江戸時代を象徴しています。
なぜなら【日本らしい情緒にあふれているようで、実は外国からのモノが流入して、変質しつつある】時代だったからです。
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江戸時代の海外情報
江戸幕府は鎖国後、海外情報にまったく感心がなかったわけではありません。
オランダ経由で知ったニュースは『風説書』にまとめられていました。
漂流民からもたらされた海外事情も、幕府によって管理されていました。戻って来た漂流民がペラペラと海外事情を周囲にバラすようなことをできないようにしていただけです。
とはいえ、隠されると気になってしまうのが人のさが。
蘭学者や知識人は、長崎経由で海外の最新情報を得ておりました。
例えば、2018年正月時代劇『風雲児たち』の冒頭でも、
のシーンから始まっていましたね。
「長崎でスッゴイもの手に入れちゃった~~!」
「この凄いオランダ語の書物をどうしよう?」
「出版したら幕府に睨まれないかな?」
杉田と前野はそう警戒。
そこであのアイデアマン・平賀源内(演:山本耕史さん)の口利きで、老中・田沼意次(演:草刈正雄さん)の許可を得るという流れが、ドラマで描かれておりました。
このように幕藩体制下でコントロールされていた海外情報が、19世紀初頭から崩れ初めてゆくのです。
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米がなければ犬を食べればいいじゃない
1765年、フランスの哲学者・ルソーは『告白』でこんな一文を記しました。
とうとうある王女がこまったあげくに言ったという言葉を思いだした。
百姓どもには食べるパンがございません、といわれて、「ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べるがいい」と答えたというその言葉である。
(Wikipedia「ケーキを食べればいいじゃない」)より
この言葉が記された『告白』は1782年に仏国で出版されました。
翌年の天明7年(1783年)、日本は江戸。
飢えに苦しむ庶民の打ち壊しが続く中、江戸北町奉行・曲淵甲斐守景漸(まがりぶち かいのかみ かげつぐ)は、民の訴えに対してこう返したのです。
「昔の飢饉では犬の肉を食ったそうではないか。今、犬なら一匹七文で買えるぞ、米が無いなら犬を食べればいいじゃない」
なんとも不思議な、シンクロニシティ。
実はマリー・アントワネットとは全く関係ないものでしたが、こうした発言が起きたのはただの偶然とは言い切れません。
なぜなら当時は世界的な火山の活動期に入っており、日本でもヨーロッパでも、天災による飢饉が発生していたのです。
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フランス人はパンの値上がりに苦しみ、日本人は米が口に入らず苦しむ。
そして為政者は、そんな庶民に苦しみを理解しない――状況が一致するのも、必然といえましょうか。
飢えに苦しむ民の行動も、同じでした。
フランスではご存じの通り革命が発生しますが、日本各地でも大規模かつ暴力的な一揆が勃発。
制度倒壊までには至らずとも、幕藩体制は傾き、修復できないほどのヒビが入っていたのです。
では何がヒビを大きくしたのか?
と言いますと、海外からの情報です。
この局面に至ると、情報は有益で珍しいだけではなく、より危険なものとなっていったのです。
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