薩摩隼人ってどんなイメージがありますか?
数々のフィクション作品にて凄まじい形相やパワフルな剣技が描かれたりして、現代の人には『ちと怖いっす……』と思われても致し方ないでしょう。
※以下は薩摩隼人と各作品の考察記事となります
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実際の薩摩隼人はフィクション以上にパワフルだった?漫画やアニメで検証だ
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しかし、そんな彼等にも愛らしいエピソードがあります。
いや、愛らしいなんて言ったら叱られるかもしれません。
ちょっとした面白話とは言えないほどスケールが規格外で、
『やっぱり隼人は凄まじい!』
とドン引きしてしまうかもしれません。
というか当時の人々でもそうだったぐらいで。
本稿では
・大久保利通の畳踊り(畳回し)
・西郷従道の裸踊り
・川路利良の大便投下
・黒田清隆の二階放尿
を紹介したいと思います。
まずは大久保利通から!
殺伐とした薩長飲み会で大久保の畳回し
大久保利通といえば、薩摩隼人にしては珍しい、スマートなインテリタイプという印象があります。
生まれながらに病弱であり、武芸も達者ではないという印象。
体格もスッキリとした長身痩躯であり、巨漢の西郷隆盛とは対照的なコンビです。

大久保利通/wikipediaより引用
しかし大久保には、意外な宴会芸があったと長州藩の記録に残されています。
時は文久2年(1862年)。
薩長が手を結ぶのはまだ先のこと。互いに嫌い、牽制し合ってた頃の話です。
ここで大久保は考えます。
「ここは長州と一緒に酒盛いでんすれば、打ち解けられうかもしれん」
オイオイ大丈夫か、と思ってしまいますが、結果的にあまり大丈夫ではなかったと申しましょうか……。
まず大久保は堀次郎とともに、長州の周布政之介、来島又兵衛、小幡高政らを料亭に誘いました。
そこで長州側が着くと、芸者をと共に盛り上がります。いや、むしろ盛り上がりすぎていて話どころではありません。
長州の周布はイラッとしながらこう提案しました。
「ちいとこれじゃ話もできんのじゃないかね……日を改めよう」
あえなく第一ラウンドは話し合いの前に終わりました。
次に両者は、薩摩藩邸の堀次郎が住む長屋で話し合い、一応、和解できそうな気配でした。
しかし、このときは薩摩側が長州側の話し合いに応じかねて、第2ラウンドも結局まとまらず。なんというか、和解の話し合いという割に薩摩側がチョット感じ気も……。
ともかく三度目の正直ということで、もう一度、薩長で話し合います。
長州の来島は「薩摩の芋どもが何かガタガタ言うたら切り捨てちゃる!」と、強気な態度で出向いた場所は料亭でした。
ここで周布が切りだします。
「えー、両者ともに不幸な行き違いがあるんじゃが、決して悪意あってのことじゃない。もしも納得できにゃあ仰せならば、ここで腹を切ろう」
周布は本気でそんなコトを言ったのではなく、たぶん「お待ち下さい」と止めてもらうことを期待していますよね。
ダチョウ倶楽部の逆バージョン的な?
しかし「よかよか。それなら腹をきいなさい。おいが介錯しもんそ」と堀が言い出し、脇差しの鯉口を斬ろうとします。
「やめんか!」
さすがに大久保が止めました。しかしこれはもう、自分だったら絶対に同席したくないほど険悪な雰囲気です。
自分から言い出したのに若干キレ気味の周布は、こう言い出します。
「そんではここでひとつ、剣舞を披露いたそう」
そう言うと真剣を抜き、堀の鼻先スレスレに近づけて踊ります。焦った小幡、あわてて周布の刀を取り上げます。だからヤダって、もう、こんな宴会。
と、そこで大久保がついに立ち上がります。
「よか剣舞じゃった! ここで、おいの芸、薩州の畳み踊りば見てくやんせ」
そうです。ここで大久保が畳を剥がすと、指一本で頭上に掲げて、ぐるぐる回しはじめたのです。
それから屋根に登り、松の木に飛び移ったと伝わります。
「う、ううっ……」
長州側は呆気に取られ、何も言えなくなりました。これって、一体どういうことなの?
んで、結局、この第三ラウンドも結局決裂したようで……大久保の凄い宴会芸が記録に残されました。
なんでも大久保は虚弱体質克服のため柔術を習っていたとのことで、その鍛錬の結果このような技ができたのでは、と言われてます。
ちなみに「絶対に殺しあってはいけない薩長話し合い24時」と呼びたくなるこの会は、「幕末鴻門の会」と呼ばれています。
小西郷の裸踊りに、会津の山川兄弟ドン引き
彼等兄弟のイトコかつ郷中仲間だった大山巌と共に見て参りましょう。
慶応4年(1868年)、会津戦争に大山巌は従軍していました。
しかし会津若松城を攻めている際に狙撃され、負傷したため前線から退いています。このとき彼を狙撃したのが山本八重(新島八重)だったという説もあります。
そんな大山は、明治維新のあと欧州へ留学。すっかり西欧かぶれになって帰国します。
帰国後、大山は後妻を探すことにしたのですが、そのころ好みのタイプは完全に【西欧風のふるまいを身につけたレディ】しか眼中にありません。
大和撫子では物足りないのです。
明治時代にそんな女どこにおるんや?
となりそうな状況ですが、実はおりました。
日本初の女子留学生だった山川捨松です。
ヴァッサー大学を卒業し、その才知と美貌を絶賛されていた捨松は、フランス人家庭に預けられ、洗練された礼儀作法を身につけていました。

大山捨松/wikipediaより引用
そんな彼女でしたが……。
「日本に帰国したら、女子教育をすすめたいわ!」という希望はもろくも打ち砕かれます。
帰国後、女性として就ける仕事はなく、適齢期を過ぎた「行き遅れ」扱いを受けてしまったのです。日本語も忘れ、振る舞いもまるで西洋人のようで、周囲から完全に浮いていました。
しかし!
大山にとってはまさにストライクゾーンど真ん中!
明治16年、捨松の留学仲間もである永山繁子の兄・益田孝の家でパーティが開かれました。
そこで演じられたシェイクスピア演劇『ヴェニスの商人』で、機知に富んだヒロイン・ポーシャを演じていた女性に、大山は釘付けになります。
夢にまで見た理想のマドモアゼル。大山は一目惚れしました。
となれば、後は山川家を承諾させるしかない――そう張り切り始めたのが西郷従通です。
薩摩の二人には、大きな障害がありました。
相手の山川家は会津藩家老の家柄。しかも捨松の兄である山川浩は血気盛んな性格でした。

山川浩/wikipediaより引用
おまけに浩の妻は会津戦争の籠城戦で亡くなっています。
不発弾の処理に失敗し、爆裂した破片が全身に突き刺さり、激痛に苦しみながら亡くなるという、凄惨極まりない最期です。
「我が家は、賊軍でごぜえやすから」
話を持ちかけるや、即座に二人は断られました。
意気消沈する大山を見て、従通はそれでも粘ります。
「おいの兄は西南戦争で負けた。そん親族じゃあ大山どんの家も、賊軍だ!」
そんな理屈があるかーーーい!とも思いますが、なんだか微笑ましい人柄を感じますね。
従道はとにかくそれで押し切ろうとします。
あまりのしつこさに根負けした山川家では、再び益田孝の家で顔合わせすることになりました。
その宴会で場を盛り上げようとした従通は、突如こう言い出したのです。
「それでは、ここでおいの十八番の宴会芸! 裸踊いを披露しもんで!」
かなり危険な宴会芸です。
というのも会津藩は、諸藩の中でも極めてお堅い気風。中でも山川家はガッチガチで、生真面目な性格でした。
例えば山川浩の弟にあたる山川健次郎は、宴会に芸者が呼んであると、「そっだ遊びは俺にはあわね!」と即座に帰るほど真面目な性格です。
というわけで……。
従動の裸踊りは、見事に逆効果でした。
山川兄弟は親睦を深めるどころかドン引きし、こう思います。
「こっだ連中と親戚にはなれね」
★
結局のところ、大山と西郷の粘り勝ちで説得するのですが、大真面目な会津っぽ兄弟が、裸踊りを見せられて困惑する様を思うと笑いがこみあげてきます。
ちなみに両者婚約が決まった後、津田梅子がいる前でも裸踊りが披露され、「キモッ!」とドン引きされたようです。
薩摩隼人、学べよぉおおお!
いや、面白いんですけどね。
川路利良、列車内で便意を催す
明治5年(1872年)。
川路利良は重要な使命を帯びて、フランスにおりました。
彼が学びに来たのは、近代警察制度です。
世界初の警察制度は、かのナポレオンの懐刀ジョゼフ・フーシェが組織したもの。
日本でもこれを取り入れるべく、薩摩出身の川路が向かったわけです。
しかし、事件は突如起こります。
マルセイユからパリへと向かう列車の中、川路はにわかに便意に襲われました。
「しもた!」
そう焦っても、フランス語が出来るはずもなく。これはもう絶体絶命。
漏れる!
「チェストいけー!」
そこで川路は車内の床に横浜で買った新聞紙を敷き、排泄。幸いにも意外とバレません。
なんとなかった。
人として、大人としての尊厳は保たれたのだ!
と、誰しも心から安心する場面で、稀代の志士もまた安心し、ホッカホカのブツを新聞紙に包んで窓の外からポイっ!したのでした。それが黒歴史の始まりとも知らずに……。
翌日、パリの新聞にとんでもない文字が踊りました。
【卑劣! 列車の窓から大便放擲! しかも保線夫に命中】
運悪く、投げた大便は線路の作業員に当たってしまったのです。
それだけではありません。温かいブツをくるんでいたのは、そう、横浜で買った新聞です。
誰の新聞か?
ということまではさすがにわかりませんが、日本語であることはスグに判明、瞬く間に国の恥となってしまいます。
「誰だかは知らんが、日本人は電車で排便して投げつける野蛮な連中だ」とさえ誤解されてしまったんですね。
はい、おそらくや大河には出てこない黒歴史でしょう。
でも話としては面白いですよね。
ゆえにこの川路の黒歴史は、司馬遼太郎の『飛ぶが如く』、山田風太郎の『巴里に雪のふるごとく』にも登場します。
本人名誉のため、以下に川路利良の功績記事も掲載しておきました。併せてご覧いただければ幸いです。
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薩摩出身の川路利良が導入した「近代警察制度」仏英の歴史と共に振り返る
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放尿! 流血! ぼっけもんが暴れまくる
郷中教育の成果なのか。
桜島より熱い血がそうさせるのか。
明治維新のあと、東京に向かった薩摩隼人の「ぼっけもん」(大胆なもの)ぶりに、東京や他の地方の人々だけではなく、大帝・明治天皇すら呆れることがありました。
農商務大臣時代の黒田清隆は、自邸二階で酒宴をしている最中に、突如こう言い出しました。
「さあ、皆でここから小便をすうぞ」
このとき、庭では神楽が行われており、見物人が大勢いたのです。
誰も放尿する気にはならず、黙ってしまいました。
「誰もやらんならおいがやう」
しかし、黒田は構わず放尿開始。周囲はドン引きします。
ばかりか世間も「大臣が二階から放尿とか下品過ぎっしょ!」と驚きまくりました。
実は黒田のみならず、薩摩出身の高官は露出癖や放尿癖があり、突如人前でやらかすことで悪名高かったそうです。
中井弘(桜洲)は明治天皇の面前で、犬猿の仲である西村茂樹にからかわれ、ビール瓶でその頭をぶっ叩いています。
今どきプロレスラーでもやらんわ!
そう思われる展開ですが、ビールと血だらけになった西村は、大礼服も台無しに、そのまま退席。
「また中井が暴れ始めた……」
天皇はそう言うとその場を立ち去りました。
陛下の御前で流血沙汰とは不敬罪ではないか、と言われましたが泣く子も黙る薩摩閥。
そこはなんとかなったようです。
★
薩摩隼人のぼっけもんぶりは絶対に大河ドラマにはならない。
いや映像化不可能。
洒落にならない事件もありますが、おもしろいことは確かです。
根強い幕末ファンから彼等が愛される理由の一つではないでしょうか。
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【参考】
五代夏夫『薩摩秘話』(→amazon)
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編 3』(→amazon)















