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【薩摩藩士のトンデモ武勇伝】
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川路利良、列車内で便意を催す
明治5年(1872年)。
川路利良は重要な使命を帯びて、フランスにおりました。
彼が学びに来たのは、近代警察制度です。
世界初の警察制度は、かのナポレオンの懐刀ジョゼフ・フーシェが組織したもの。
日本でもこれを取り入れるべく、薩摩出身の川路が向かったわけです。
しかし、事件は突如起こります。
マルセイユからパリへと向かう列車の中、川路はにわかに便意に襲われました。
「しもた!」
そう焦っても、フランス語が出来るはずもなく。これはもう絶体絶命。
漏れる!
「チェストいけー!」
そこで川路は車内の床に横浜で買った新聞紙を敷き、排泄。幸いにも意外とバレません。
なんとなかった。
人として、大人としての尊厳は保たれたのだ!
と、誰しも心から安心する場面で、稀代の志士もまた安心し、ホッカホカのブツを新聞紙に包んで窓の外からポイっ!したのでした。それが黒歴史の始まりとも知らずに……。
翌日、パリの新聞にとんでもない文字が踊りました。
【卑劣! 列車の窓から大便放擲! しかも保線夫に命中】
運悪く、投げた大便は線路の作業員に当たってしまったのです。
それだけではありません。温かいブツをくるんでいたのは、そう、横浜で買った新聞です。
誰の新聞か?
ということまではさすがにわかりませんが、日本語であることはスグに判明、瞬く間に国の恥となってしまいます。
「誰だかは知らんが、日本人は電車で排便して投げつける野蛮な連中だ」とさえ誤解されてしまったんですね。
はい、おそらくや大河には出てこない黒歴史でしょう。
でも話としては面白いですよね。
ゆえにこの川路の黒歴史は、司馬遼太郎の『飛ぶが如く』、山田風太郎の『巴里に雪のふるごとく』にも登場します。
本人名誉のため、以下に川路利良の功績記事も掲載しておきました。併せてご覧いただければ幸いです。
薩摩の川路利良が導入した近代警察制度~仏英の歴史と共に振り返る
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放尿! 流血! ぼっけもんが暴れまくる
郷中教育の成果なのか。
桜島より熱い血がそうさせるのか。
明治維新のあと、東京に向かった薩摩隼人の「ぼっけもん」(大胆なもの)ぶりに、東京や他の地方の人々だけではなく、大帝・明治天皇すら呆れることがありました。
農商務大臣時代の黒田清隆は、自邸二階で酒宴をしている最中に、突如こう言い出しました。
「さあ、皆でここから小便をすうぞ」
このとき、庭では神楽が行われており、見物人が大勢いたのです。
誰も放尿する気にはならず、黙ってしまいました。
「誰もやらんならおいがやう」
しかし、黒田は構わず放尿開始。周囲はドン引きします。
ばかりか世間も「大臣が二階から放尿とか下品過ぎっしょ!」と驚きまくりました。
実は黒田のみならず、薩摩出身の高官は露出癖や放尿癖があり、突如人前でやらかすことで悪名高かったそうです。
中井弘(桜洲)は明治天皇の面前で、犬猿の仲である西村茂樹にからかわれ、ビール瓶でその頭をぶっ叩いています。
今どきプロレスラーでもやらんわ!
そう思われる展開ですが、ビールと血だらけになった西村は、大礼服も台無しに、そのまま退席。
「また中井が暴れ始めた……」
天皇はそう言うとその場を立ち去りました。
陛下の御前で流血沙汰とは不敬罪ではないか、と言われましたが泣く子も黙る薩摩閥。
そこはなんとかなったようです。
★
薩摩隼人のぼっけもんぶりは絶対に大河ドラマにはならない。
いや映像化不可能。
洒落にならない事件もありますが、おもしろいことは確かです。
根強い幕末ファンから彼等が愛される理由の一つではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
五代夏夫『薩摩秘話』(→amazon)
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編 3』(→amazon)