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【永田熊吉】
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糸の使者として東京に向かう
西郷の死後、残された一家は逆賊の身内として、辛い日々を送ることになります。
非情にもほどがありますが、日本全体に与えた影響を考えれば致し方ありません。
かくして経済的にも困窮していた鹿児島の西郷家に、東京から親戚が多額の香典を持って来ました。
未亡人の西郷糸子は、誇り高い人物です。
香典の受け取りを強く断ります。
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それでも相手は押しつけるように置いて帰京。そこで糸子は、熊吉に香典を返しに行くように頼みました。
熊吉は、わざわざ香典を持って東京にまで向かったのです。
上京し、西郷弟・従道のもとへ
西郷の死後も鹿児島で暮らしていた糸子が上京するのは明治29年(1896年)のことです。
熊吉はそれ以前に上京していたようです。
東京では、西郷従道の家で庭師をしていました。
彼にすれば、西郷家そのものに仕えていたわけでして、兄の隆盛も弟の従道も、主筋にあたります。
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熊吉は、庭師として厚遇されたようです。
従道からすれば兄の形見のような恩人のような人物であり、甥の命を救ってくれた人物です。それは当然、厚遇することでしょう。
熊吉の家族も、従道が面倒を見ました。
西郷家と熊吉の関係は、主人と使用人という関係を越えて、ほとんど家族同士といったような、濃いものであったのです。
★
熊吉は明治33年(1900年)に死去。
享年66。
時代の要所において、顔を出す西郷家の使用人は、考えてみれば、西郷の両親よりも、三人の妻よりも長い付き合いがあった人物と言えます。
誰よりも、西郷のことを知っていたのは熊吉だったのかもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『国史大辞典』
ほか