幕末・維新

最期はピストル自決した川路聖謨~知られざる有能な幕臣が残した『述懐』とは

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川路聖謨
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ロシア人を魅了し、日露和親条約を締結する

長崎についた川路聖謨が、交渉の席に登場しました。

嘉永6年から安政2年(1853年から1855年)かけて、彼はプチャーチンらと交渉にあたるのでした。

大きな褐色の目をした、聡明機敏な面構えの男――ロシア側はそう記録しています。初対面から、これは切れ者の外交官だと認識されていたのです。

このとき、ロシア側には文才に富み、小説を執筆したこともあるゴンチャロフがいました。彼は持ち前の筆を用いて、川路聖謨を絶賛しています。

「川路の人柄は素晴らしい。聡明で、語句ははっきりとしており、論理は明瞭。ありとあらゆる言葉、主張、風采や態度までもが、彼の理解力、眼力、直感がいかに老成しているか示している! 極めて正直で、微笑みを浮かべ、目は鋭い。厳しく話していたと思うとふっと笑う。」

ロシア側は皆、川路聖謨のことを好きになってしまったのです。実際、彼はユーモアに富んでいました。こんな情報が聖謨の耳に入ります。

「異人とは、残してきた妻を思い恋しがっているという。妻のことを話すと泣いて喜ぶ」

これをふまえ、こう語るのです。

「我が妻さとは、江戸でも一二を争う美女でして。その妻を思うと寂しくて仕方ありません。いやあ、身はこちらでも、心だけでも江戸にあるようなものでしてね」

教養のあるものであれば妻のことを「愚妻」や「荊妻」と呼ぶ。そのへんの町人ならば「カカア」と呼ぶ。それが当然であった幕末の日本人でありながら、これほどまでに柔軟にのろけてみせるのです。

聖謨の妻が美女であるという噂は、ロシア人の口からあっという間に長崎に広まったとか。

ロシア側はこの褐色の目をした外交官の姿を残したいと思い、こう持ちかけました。

「あなたは素晴らしい方だ。肖像画をぜひとも残させていただきたい」

すると聖謨はこう返したのです。

「いやあ、私みたいな醜男が日本人代表だと思われたら困りますよ」

聖謨は何もユーモアセンスと洒脱さだけがあったのではありません。誠実さと人道主義を示しています。

彼からすれば、ロシア人は夷狄ではない。プチャーチンは豪傑だと日記に記しています。人と人が、偏見なく話しあう姿勢がありました。

といっても、北方領土問題では油断せずに交渉すべく、気を引き締めています。

交渉の最中、安政の大地震で、下田沖のロシア艦・ディアナ号が津波に遭い破壊されてしまいます。青天を衝け』では徳川斉昭が天罰だと大興奮していた事件です。実際に斉昭は阿部正弘にこう主張しました。

「上陸したロシア人を皆殺しにすれば解決でござる!」

「いや、それは流石に……」

そう却下されておりますが。

この船のかわる新船建造に際し、聖謨は極めて丁寧な応対をし、人道的であったのです。ロシアの使節側は、聖謨の誠心誠意に感動していたのです。

安政2年(1855年)、伊豆下田において締結された日露和親条約とは、そんな交渉の末に結ばれたものでした。

この日本とロシアの交渉が記録に残されているのは、川路聖謨が几帳面であり、筆まめであったこともあります。魅力的な人柄は、彼がともかく記録する性格であればこそ残されていたのです。

興味深い例として、アメリカ商船に乗っていた若妻への見方もあります。

白い肌、蜂のようにくびれた腰、花びらのような唇……むむむ、これは美女である! そんな率直な当時の人々の見解がわかります。コルセットで締め付けたウェストは驚異的なものであったようです。

来日外国人は日本人女性の涼しげな目元にポーッとなったそうですが、日本人側も来日外国人女性にドキドキしていたのです。それがわかるのも、聖謨の記録のおかげなのです。

岩瀬忠震と並び、魅力的な外交官が幕末にはいたのでした。

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変転する世、将軍継嗣問題に巻き込まれ

聖謨は時代の激動に巻き込まれてゆきます。

吉田松陰の密航未遂。『海国図志』のような書物の出版。海軍創設。講武所創設。種痘所開所。相次ぐ天災、疫病の発生。ハリスの応対。このハリスとの交渉は、外国奉行である弟・井上清直とともにあたりました。

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ハリスに対しては、斉昭は「上陸したハリスを殺したらどうか」と案の定提案してきました。聖謨はこう返しました。

「それはできかねます。何か他の案は?」

「なら勝手にせい!」

「はい、勝手にします」

こう聖謨はいなしております。実に手慣れたものでした。幕末の人なんてだいたいが尊王攘夷に凝り固まっていたとは誤解であり、こんなにやたらと殺人願望を口にする、しかも幕政重鎮となれば斉昭くらいしかおりません。

そんな中、幕府は無策どころか、めまぐるしく、フル回転で対応に追われていました。

こうした状況で日本人は一致団結し、国難に立ち向かったかというと、そうではありません。あろうことか、将軍の世継ぎ問題で政治的闘争を引き起こすのです。

その嵐の中心にいたのが、徳川斉昭でした。将軍・家定の世継ぎとして、斉昭が慶喜を推してきたのです。

川路聖謨も、この騒動に巻き込まれます。聖謨はその人柄もあり、交友関係は広かったのです。渡辺崋山、江川英龍、間宮林蔵藤田東湖……時代の先端を担う知識人と交流がありました。

かねてより東湖から慶喜は英邁であると聞いた聖謨は、関心と期待を寄せ、好意を抱いていたのです。

そんな慶喜を支えるべく、聖謨は一計を講じます。平岡円四郎を一橋家の小姓として推挙したのです。ぶっきらぼうさが気に入られたという逸話がクローズアップされがちですが、人脈や政治的な意図も背景にはあります。

この円四郎の実父・岡本花亭は聖謨の友人でした。岡本家四男坊として生まれ、平岡家に養子入りしていた円四郎の優秀さを認め、側に置いたのです。

円四郎から慶喜の人となりを聞かされ、聖謨が支持してもおかしくはありません。

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同じく一橋派の才人である橋本左内とも、聖謨は交流しています。あまりに鋭い弁舌にはじめこそ戸惑ったものの、やがて意見が一致したのでした。

そんな一橋派の面々は、果たして嵐の中心にいた斉昭がどれほど危険であるか、認識できていたのかどうか。ブレーンであった藤田東湖の死後、斉昭は執拗な熱狂性が増加しています。

のみならず、水戸藩はとてつもない思想を幕末の世に振りまきました。尊王攘夷を掲げた水戸学です。

『青天を衝け』では栄一ら主人公周辺の青年たちが、ともかく幕府は悪いから倒すべきだと熱くなる姿がありました。

彼らが尊王攘夷を掲げて外国人を殺傷すれば、ますます事態は悪化します。

聖謨も、尊王攘夷思想に振り回されてしまいます。堀田正睦と上洛し、朝廷に条約の意図を説明しても、相手にはまるで通じないのです。

内陸部の京都で、政治からも外交からも遠ざかっていた朝廷です。状況の把握ができるわけもありません。

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そんな彼らであるのに、なまじ尊王攘夷思想が荒れ狂っているからには、無下にも扱えない。不吉な兆候が生じていました。

 

倒幕

聖謨含めた堀田一行が江戸に戻ると、井伊直弼が大老に就任していました。

井伊直弼は将軍継嗣問題に大鉈をふるい、関係者を処罰します。

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聖謨もここに連座し、職を追われます。

蟄居し、世の動乱を耳にしつつ、子孫の行く末を見守る日々が訪れました。

文久3年(1863年)【生麦事件】が発生すると外国奉行に任じられるものの、老齢のため僅か数ヶ月で職を辞したのです。

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彼ほどの人物でも寄る年波には勝てぬと思いたいところですが、原因は加齢だけでもありません。

63歳にして隠居した後、その日課は超人的でした。

漢籍を読む。馬術、槍術、棒術、居合、甲冑を着て歩く。詩歌を嗜む。

そうして身体鍛錬を欠かさぬ江戸の聖謨のもとに、世間の不穏な時勢について耳に入ってきます。

円四郎暗殺、天狗党の乱禁門の変……しかし、聖謨は病床からそうした知らせを聞き、もはや嘆息するしかできないのです。

そんな元治元年(1864年)8月、槍の稽古をしている際に中風で倒れ、半身不随となってしまいます。

失意の聖謨を慰めるニュースは、孫・太郎の海外留学ぐらい。

幕府権威の低下は治安を悪化させ、聖謨も万が一に備えて護衛用ピストルを購入しました。

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