相楽総三

幕末・維新

最後は西郷に見捨てられた 相楽総三と赤報隊は時代に散った徒花なのか

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「赤報隊」結成

京都に向かった相楽は、慶応4年(1868年)があけると、東征軍の結成を願い、建白書と嘆願書を朝廷太政官宛に出しました。

このとき、西郷隆盛岩倉具視も支援していました。

「よかよか。がんばってこい」

「江戸でもおきばりやす。応援しとるから」

しかも、太政官からこんな勅定書までくだされているのです。

「今すぐ東へ向かい、天下万民を天皇に従わせるべく頑張ってきなさい。今までの戦いで、民も生活が苦しいでしょう。幕府統治の頃より、年貢を半減するとも伝えなさい」

ナルホド、税金半額にすると言われたら、皆浮かれて

【将軍家さようなら、天皇家万歳】

となりますよね。相楽の提案が受け入れられたものでした。

こうして赤報隊は、近江国愛知郡松尾山において結成されたのです。

一回の草莽の志士から、西軍の先鋒にまでのぼりつめた相楽。

喜びもひとしおであったことでしょう。

赤報隊は第一から第三まで、三隊に分かれて東へ向かいます。

ちなみに二番隊は、薩摩藩に庇護されていた新選組の伊東甲子太郎一派残党。

三番隊は、岩倉具視の意を受けた者たちでした。

 

「年貢半減」を掲げたけれど……

「年貢半減」を高らかに掲げ、進軍する赤報隊。

しかし、困ったことが起こりました。

鳥羽・伏見の戦いで西軍は勝利をおさめたものの、軍資金が不足していたのです。

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仕方なく、西軍としては豪商三井家(2015年朝の連続テレビ小説『あさが来た』ヒロインの実家モデル)らに頼み込みます。

「ええどす。そやけど、ただというわけにはいきまへん。年貢米の請負を、やらせてもらいまひょか。年貢半減令? そんな阿呆なことは、今すぐやめとくれやす」

この瞬間、相楽の運命は暗転しました。

商人の要求を呑むためには、年貢半減令を取り消すほかありません。

やむなく西軍は、赤報隊を呼び戻すことにし、二番隊、三番隊は無事引き返します。

しかし、一番隊は命令を無視。

「年貢半減令」を掲げたまま、東海道をずんずんと進み、信州まで達したのです。

「年貢半減……」

「そんなことがほんとうにあるのか……」

その旗印を見た農民たちは、続々と隊に加わります。貧しい者を救う隊が来たと彼らは喜びました。

西軍にとっては厄介なことです。

軍資金の件でも既に西軍は、貧民ではなく豪商と結びつきつつありました。

貧者救済よりも、うまみのある豪商との結びつきのほうが彼らにとっては歓迎すべきものでした。

のちに西郷隆盛も皮肉ることになる、明治政府と豪商の癒着は、既に始まっていたのです。

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