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【寺田屋事件(寺田屋騒動)】
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死者の苛烈な扱い
この事件で死亡した参加者らは、主君と朝廷から「暴徒」として大変厳しい扱いを受けました。
死者
・有馬新七
・柴山愛次郎
・弟子丸龍助
・西田直五郎
・橋口壮介
・橋口伝蔵
切腹
・田中謙助
・森山新五左衛門
彼らは薩摩藩士としての籍を剥奪。遺族は庶人に降格して親族の預かりとなります。
しかも犠牲者の死体は「埋捨」処分となりました。
菩提寺に埋葬されないということです。あまりに厳しい処分ですね。
彼らの士籍が復活するのは、事件から2年後の元治元年(1864年)のこと。やっと遺族による家の相続が許され、墓碑も建てられました。
しかし完全な身分回復には、さらに時間がかかりまして。
明治22年(1889年)、殉難者は靖国神社に合祀され、従四位が追贈されます。
寺田屋には殉難者を弔う碑まで建てられました。
名誉回復まで、結局、27年という年月が過ぎたのです。
生存者にも過酷な処分
この事件で投降した中には、例えば西郷隆盛の弟・西郷従道や、あるいはイトコの大山巌など、のちに活躍した者も多数いました。
◆投降
・有馬休八
・伊集院直右衛門(兼覚、西郷隆盛最初の妻・須賀の弟)
・岩元勇助
・大山弥助(巌・西郷のイトコ)
・岸良三之介
・木藤市助(市之介)
・是枝万助(柴山矢吉)
・西郷信吾(西郷従道・西郷の弟)
・坂元彦右衛門
・篠原冬一郎(国幹)
・柴山龍五郎
・谷元兵右衛門
・永山弥一郎
・橋口吉之丞
・林正之進
・深見休蔵
・町田六郎左衛門
・三島弥兵衛(常庸)
・森新兵衛(真兵衛)
・吉田清右衛門
・吉原弥二郎
◆逃亡
・美玉三平(平野国臣「生野の変」に参加し死亡)
◆鹿児島に連行された他藩士・浪人
・海賀宮門(秋月藩士)
・田中河内介(中山家諸太夫、公家の侍)とその子・瑳磨介、甥・千葉郁太郎
・青木頼母(浪人)
・中村主計(浪人)
『不憫だなぁ』と思わざるをえないのが、連行された6名です。
彼らは保護と称して「日向送り」処分となりました。要は、処刑されたのです。
護送中、田中父子は船内で斬殺され、死骸は水中に投げ捨てられました。
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残り3名は、大木に縛り付けたうえで斬殺されるという、悲惨な扱いです。
彼らの遺体は殺害場所の現地住民によって葬られ、ひっそりと弔いを受けてきたと伝わります。
実は田中河内介は、明治天皇の出生を自らの資金(や借金)でまかない、幼き頃の教育係まで請け負った人物です。
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