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【細谷十太夫直英と衝撃隊(鴉組)】
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全国指名手配を喰らうなんて
ここで話が終わればすっきりするのだが、細谷はこのときまだ20代後半から30才ころ。
彼の波瀾万丈の人生はここから第二幕を開けた。
仙台藩降伏後、軍功が認められ藩主の伊達慶邦から200石の加増と武一郎の名を賜り、小姓頭に出世する細谷だった。
ここでなんと明治政府によって戦犯として指名手配されてしまうのだ。
当時、武士の階級は大雑把に【上中下】に分かれており、その壁を越えて出世する例はほとんどない。
よって50石取りの下級藩士であった細谷が中級クラスの職分である小姓頭に就いたことはとても凄いことなのに、指名手配されてしまうとは残念至極。
慶邦公から賜った禄もこれでオジャン……そう思ったら大間違い。
なんと細谷は指名手配されながら伊達藩の隠密として仕事を続けるのであった。
もう、ここまで来たら大河ドラマ化希望である。
その際も伊達藩の重臣の家に匿われるとか、逃亡資金を伊達公に都合してもらうということは一切無く、逃亡兼隠密生活をひたすら細谷個人の変装術とそれまでに得た土地勘、人脈のみで乗り切っているのだから凄まじい。
夏ばっばもびっくりのかっこよさだ。
元々彼は伊達藩の隠密であり、正体を隠すのはお手の物ではある。
しかしそこは伊達公、逃亡生活に集中させてあげて!と言いたくなってしまう。
戦争から開拓まで 定期的に大暴れ
その後も、大赦令が出てひょっこり姿を現したと思ったら、磐前県(福島県いわき市など)の開拓使を経て陸軍少尉となったり、西南戦争に従軍して大功を立て、役人に戻ったと思ったら日清戦争に参加して功すこぶる多し!
あるいは、北海道の幕別町に入植して幕別町初の和人となり……と、そんな調子で定期的に大暴れを繰り返しているのが熱い。
まるで、年老いても一番槍を競い合った戦国時代の最強武将・水野勝成のような活躍である。
晩年、細谷は敬愛する林子平の菩提寺を弔うため剃髪して仏門に入り、現在の仙台市子平町にある龍雲寺の中興の祖となった。
そして明治40年、68歳で寂す。
法名は「龍雲院八世鴉仙直英和尚」。
人生のほとんどを戦いに明け暮れた細谷に相応しい、シンプルで格好の良い法名だろう。
★
龍雲院には、細谷が敬愛した林子平の墓の北側に細谷の墓がある。
彼の墓は「連戦連勝、負け知らずの鴉組の大将」として、今も土建業者や政治家、受験を控えた若者などが参拝に訪れるという。
幕末~明治の激動の時代を、自分の腕と才覚と、仲間との信頼を以て鮮やかに生き抜いた男の、最後の夢の跡である。
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鈴木晶・記
【参考】
菊田定郷『仙台人名大辞書』(→amazon)
藤原相之助『奥羽戊辰戦争と仙台藩―世良修蔵事件顛末』(→amazon)