こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【細谷十太夫直英と衝撃隊(鴉組)】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
「キジやウサギと思って一匹も逃すな!」
戊辰の夏、深夜の頃、連日連勝の戦に心地よい眠りについた新政府軍の陣中に、突如として鬨の声と銃声が鳴り響きなった。
幕府側の奇襲か――。
新政府側にはまだいくらかの余裕があった。
というのも、日中の戦闘では火器の性能で相手方を圧倒しており、いつものように古臭い鎧兜や旧式の銃でやってきた者たちを蜂の巣にしてくれるわい!
そう思いながら新政府軍が反撃に出ると、何かいつもと様子が違う。
結局、幕府側の思わぬ戦法に出遭い、惨敗を喫することになった。
「撃て撃て、キジやウサギと思って撃て、一匹も逃すな!」
今でこそ猟師と言えば散弾銃などで獲物を撃ち、日帰りで山から帰るものと相場が決まっているが、当時の猟師は相棒の犬と連れ立って自足自給で山の中を数ヶ月も歩き回り、出会った獲物は熊でも猪でも打ち倒してくる猛者であった。
細谷の陣に参じた猟師たちは闇の中でもよく利く目を持ち、山の中を獣のように走り回っては敵の背後を狙撃。
次々に敵を撃ち倒していった。
そして猟師たちの狙撃で敵の銃隊が乱れると、すかさず角田の善兵衛、桑折の和三郎、渡辺の武兵衛といった侠客どもが一家を引き連れ、命を的にして斬り込む。
「この薩摩芋堀野郎!」
「仙台味噌野郎が!」
闇夜に怒号が飛び交う中。
小勢ではあったが、細谷率いる衝撃隊は、幕府側と新政府側がお互いが罵り(?)合うような接近戦になっても決して退かず、また、細谷が合図をすると風のように消え去ったという。
「ドン五里兵」仙台藩兵の中で燦然と輝く
この後、1か月半の間に三十数回も続く衝撃隊のゲリラ戦。
当時の新政府軍は以前とはまるで違う印象を抱くようになった。
黒い軍装、一羽のカラスを染め抜いた隊旗から、恐れを込めて「鴉組」と呼んだのである。
一方、奥羽列藩同盟の盟主でありながら、ともすれば日和見に傾きかねない仙台藩上層部と、大砲が一発ドンと鳴るだけでビビッて五里も退却することから「ドン五里兵」と嘲笑われた仙台藩兵の中にあって、「鴉組」の活躍は綺羅星のように輝かしく、当時の民衆には喝采を持って迎えられた。
……と言うと、とても格好いい、強いばかりのゲリラ部隊に思えるが、現実は中々に厳しいものがあったようだ。
やたらと華々しい戦歴を作ってしまったものだから、以降、仙台藩では正規の軍の先鋒を鴉組が務め、彼らが命を賭して攪乱した敵軍に正規軍が突っ込むという形を常に採ることになったのだ。
これでは正規軍に消耗がなくとも、鴉組は必ず死傷者が出るようになってしまう。
駒ヶ嶺攻防戦などでは旗巻峠を守る1200名の兵力の内、彼ら鴉組(最大時で100と少し)だけが戦場で敵に囲まれ、雨脚も強まる(幕府側では未だに火縄銃を装備しているものも多かった)という圧倒的に不利な状況で戦う事を強いられたりした。
それでも彼らは退く事無く、9月15日の仙台藩降伏まで戦に明け暮れる事となる。
結局、仙台藩が負けてしまうのはもはや説明するまでもないだろう。
※続きは【次のページへ】をclick!