幕末モノの大河ドラマで注目集めるキャスティングといえば、なんといっても坂本龍馬でしょう。
近年の『西郷どん』では、誰もが認める一流俳優・小栗旬さんが熱演。
西郷隆盛や桂小五郎、勝海舟の間を行ったり来たりの展開となりましたが、龍馬はプライベートでも薩摩と縁の深い御方です。
なんといっても日本初とされる新婚旅行は行き先が薩摩だったんですね。
龍馬じゃなくて小松帯刀の方が先とか、この辺は諸説ありますが、ともかく本稿では、龍馬とおりょうの新婚旅行ならびに薩摩との関係性に注目してみました。
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薩摩には二度来ています
坂本竜馬は、薩摩に二度来たことがあります。
・慶応元年(1865年)5月から18日間滞在
・慶応二年(1866年)3月から6月初めまでおよそ80日間
思ったより薩摩に滞在していると思いませんか?
だからといって「そうか!西郷と倒幕の計画を建てたんだな!ともに新時代を作ろうとしていたきに!」と考えるのは、いささか飛躍です。
フィクションにおける【熱く新時代の構想を練る】というシーンは、まぁ、作り物だからこそのお約束です。
んなこと言ったら夢がねーじゃん!ツマラン!
というのは間違いで、史実だけを追っかけていても面白いから龍馬も西郷も魅力的なのでしょう。
もともと坂本龍馬と薩摩藩のつながりは、必要に迫られてのことでした。
ちょうど蒸気船の購入計画があった
それは元治元年(1864年)のことでした。
勝海舟が軍艦奉行を罷免され、神戸の海軍操練所は閉鎖。
龍馬のように脱藩して海軍操練所に在籍していた者たちは、途端に宙ぶらりんの立場に追い込まれてしまいました。
むろん、脱藩したからには、元の(土佐)藩へ戻るわけにもいきません。
そこで勝が相談したのは、薩摩藩の小松帯刀です。
薩摩藩きっての若手家老であり、西郷の活躍も小松あってのものと言えましょう。
「海軍操練所がなくなっちまって、困っている奴らがいるんだ。船の扱いなら、たいしたもんよ。ちょっくら面倒見てくれねえか」
勝にこう言われた小松は快諾。
実は薩摩藩でも蒸気船の購入計画があり、操縦したり、メンテナンスを行ったりする人員が必要でした。
そこへ来て海軍操練所あがりの者なんですから、小松の要望にピッタリ。
もともと坂本と薩摩藩の間にはWIN-WINの関係ができており、1865年に現地へ出向いた龍馬はVIP待遇で受け入れられます。
ドラマのように雨漏りのする家には泊まっていません。大事なお客さんに対してそんな応対をしたら、藩から激怒されるでしょう。
龍馬の指導に満足したのか。
それともその才能に惚れ込んだのか。
後に小松は、坂本の海援隊が蒸気船を購入する際にも、ポンと7800両を工面しています。
「神様、仏様、小松様」
坂本は姉の坂本乙女に手紙でそう書き送るほど、小松を信頼するようになったのです。
ハネムーンは薩摩でした
よく日本初の新婚旅行は【坂本龍馬&お龍さん】と言われていますね。
それ以前にも夫婦で旅行した人が日本にいなかった……とは証明できないわけですが……。
ここでは「竜馬&お龍が旅行したのは事実である」という前提で話を進めます。
龍馬、二度目の訪薩ですね。
そもそも、なぜこの二人は旅行をしたのか?
慶応2年(1866年)、寺田屋で事件が起きました。
薩摩藩の内部抗争で有馬新七と大山綱良が斬りあった寺田屋事件ではなく、寺田屋にいた坂本竜馬が伏見奉行によって襲撃されたほうの事件です。
このとき、入浴中のお龍が裸のまま坂本に危険を知らせた逸話が有名ですね。
坂本はピストルで応戦し、指に深い傷を追ってしまいました。以降、ピストルに装弾できなくなったものの、お龍の機転もあって、間一髪のところで何とか切り抜けます。
この事件の急報が、薩摩藩邸に届けられると、小松は馬で救出に駆けつけました。
そして坂本とお龍は、二本松の薩摩藩邸に匿われることになります。
とはいえ、お尋ね者となった坂本を、このまま薩摩藩邸に置くのもちょっと困るわけです。
既に伏見奉行からは引き渡すように言われており、薩摩藩は一旦は断ったものの、いつまでそうできるかわからないわけです。
「ここは、霧島の温泉にでん行っもそか」
小松は、幕府の追っ手から2人を逃し、傷を治すため、薩摩まで来るように薦めたわけですね。
かくして坂本とお龍は、湯治を兼ねた旅行に出発したわけです。
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