新古今和歌集

後鳥羽上皇と新古今和歌集(1654年写本)/国立国会図書館蔵

文化・芸術

『新古今和歌集』の歴史と20首に注目!後鳥羽上皇が定家に編纂させた

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百人一首にも影響を与えている?

また、他の文学に出てくる歌が多いのも新古今和歌集の特徴のひとつです。

特に選者がかぶっている小倉百人一首には、新古今和歌集に収録された歌から選んだと思われるものが多々あります。

ごく一部を紹介しますと……

・春過ぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山 (持統天皇)

・田子の浦に 打ち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人)

・かささぎの わたせる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける (大伴家持

・忘れじの 行末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな (儀同三司母)

・めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜はの月影 (紫式部

・玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (式子内親王

などです。

他に、源氏物語のヒロインの一人・朧月夜の君の名の由来は、光源氏が彼女に出会った際、新古今和歌集に入っている

・照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の 朧月夜に しく物ぞなき (大江千里)

を口ずさんでいたから、というものです。

下の句を「朧月夜に しくものぞなき」としていることもありますが、この程度の誤記や改変は「和歌あるある」なので特に気にしなくてもいいかと。

これは結構乱暴な話で、選者が「こっちのほうがイイな!」という理由で勝手に変えてしまうこともあったのです。

実は、物語でも同じで、写本によって話が多少変わっていることもあります。

著作権とか同一性保持権なんて概念がなかった頃の話ですしね。

 

独断と偏見で代表的20首をチョイス!

さて、ここからは新古今和歌集にもう少し触れてみたい方向けに、独断と偏見で20ほど歌を選んでみました。

例によって意訳なので、「だいたいこんな意味なのかー」くらいの感じでお読みください。

わかりにくい単語や歌の中にない背景については、それぞれ(※)にて補足をつけました。

・春

梅が枝に 鳴きてうつろふ 鴬の 羽白妙に 淡雪ぞふる (詠み人知らず)
「梅の枝を飛び移りながら鶯が鳴いている。その羽根は白かったかと見紛うほどに、淡雪が降っているよ」

故郷に 帰る雁がね 小夜更けて 雲路にまよふ 声聞こゆなり (詠み人知らず)
「夜になって、故郷へ帰ろうと飛んでいる雁が、雲路に迷う声が聞こえてくる」

いもやすく 寝られざりけり 春の夜は 花の散るのみ 夢に見えつつ (凡河内躬恒)
「夢の中でまで桜が散っているので、春の夜はうかうかと眠れないよ」

・夏

時鳥 皐月水無月 わきかねて やすらふ声ぞ 空に聞こゆる (源国信)
「今は閏五月なものだから、ほととぎすが五月とも六月とも判じかねているようだ。戸惑いがちになく声が空から聞こえてくるよ」
(※)閏五月のことを「時鳥」と呼ぶことにかけている

・秋

にほの海や 月の光の うつろへば 浪の花にも 秋はみえけり (藤原家隆)
「琵琶湖に月の光が映ると、まるで白い波が白い花のようになって、秋の風情が感じられる」

・冬

夕凪に 門(と)渡る千鳥 波間より 見ゆる小島の 雲に消えぬる (後徳大寺左大臣=藤原実定)
「夕方の波間を千鳥があちらこちらへと渡っている。そのうち雲の合間に見えなくなってしまった」

・賀

高き屋に のぼりてみれば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり (仁徳天皇)
「高いところから見てみると、あちこちの家のかまどから炊煙が立っている」
(※)仁徳天皇は民家に炊煙が上がっていないことに気づき、三年間租税を免除したといわれる。大仙陵古墳の中の人。

・哀傷

稀にくる 夜半も悲しき 松風を たえずや苔の 下に聞くらん (藤原俊成)
「ただでさえ悲しく聞こえる松風を、亡き妻は墓の下で聞いているのだろうか」
(※)「苔の下」は故人の隠喩表現。

・離別

秋霧の たつ旅ごろも おきて見よ 露ばかりなる 形見なりとも (大中臣能宣)
「露のようにささいなものですが、この旅衣を形見に持っていってください」

かりそめの 別れと今日を 思へども いさやまことの 旅にもあるらむ (俊恵法師)
「今日の別れはほんの一時のこと……と思っていましたが、もしかすると今生の別れになるのかもしれませんね」

・羇旅

ここに在りて 筑紫やいづく 白雲の たなびく山の 方にしあるらし (大伴旅人)
「筑紫というのはどのあたりにあるのだろう? あの雲がたなびく山の向こうだろうか」

草枕 旅寝の人は 心せよ 有明の月も かたぶきにけり (源師頼)
「そろそろ夜が明ける頃ですよ。旅の人、そろそろ身支度を始めては?」

さとりゆく まことの道に 入りぬれば 恋しかるべき 故郷もなし (慈円)
「私は悟りの道に入ったので、今はもう故郷を恋う気持ちもない」

・恋

年をへて 思ふ心の しるしにぞ 空も便りの 風は吹きける (藤原高光)
「長年想い続けてきた甲斐あって、また貴女に手紙を送れるようになりましたよ」
(※)音信不通になっていた片思いの相手の連絡先を、高光の知人が知っていたので、知人が手紙出すときに自分の手紙を一緒送ってもらったときに詠んだもの。

つらけれど 恨みむとはた 思ほえず なほゆく先を たのむ心に (藤原伊尹)
「あの人には辛くあたられているけれど、”いつかきっと”と思ってしまうから諦めきれない」

中々に 物思ひそめて 寝ぬる夜は はかなき夢も えやは見えける (藤原実方)
「夢の中でくらいあの人に会いたいと思っているのに、物思いのあまり眠ることもできないよ」

・雑歌

山里に 浮世いとはむ 友もがな くやしく過ぎし 昔かたらむ (西行法師)
「この寂しい山里に友と呼べる人がいたとしたら、昔の悔しかったことやあれこれを語り合いたい」

海ならず たたへる水の 底までも きよき心は 月ぞ照らさむ (菅原道真)
「海よりも深い水の底であっても、月は清い心の持ち主を見捨てないだろう」
(※)道真が大宰府へ左遷された後の歌。皇室の象徴である太陽と、月を対比したものかもしれない。

・神祇

もろ人の ねがひをみつの 浜風に 心すずしき 四手(しで)の音かな (慈円)
「衆生の願いを含んだ浜風が四手を揺らし、涼しげな音を立てている」
(※)「四手」は「紙垂」とも書く。神社のしめ縄などにぶら下がっている白い紙の飾りのこと。

・釈教

極楽へ まだ我が心 行きつかず ひつじの歩み しばしとどまれ (慈円)
「私の心はまだ極楽へ行けるほど静まっていない。我が命よ、もう少しもってくれ」
(※)「ひつじの歩み」は死の婉曲表現。屠殺場に引かれていく羊の歩みが遅くなることから。

 

個性的な著者を知る機会でもありまして

上記に挙げたものはごく一部です。

もし惹かれた歌人がいたら、まずはググる先生に尋ね、更に興味を持たれたら関連書籍をお読みになられるとよいでしょう。

例えば、源師頼は「元は村上源氏のエリートなのに、二十年間仕事サボって普通に朝廷に戻ってきて大納言まで出世し、子供もたくさんもうけた」という、やりたい放題な生き方をした人です。

人生イージーモードすぎるやろ。

また、大伴旅人は酒が好きすぎて酒の歌ばかり詠んでいたことで有名ですが、上記のように他の歌も美しく詠んでいます。ただのアル中ではないのです……って当たり前ですね。

新古今和歌集に限ったことではありませんが「僧侶は色恋沙汰はご法度! でも歌人としてなら恋の歌を詠んでもいい」なんてのも、よくよく考えるとユニークというかユーモアというか。

「恋愛を饒舌に語る奴には、恋人がいない」なんて西洋の名言(経験則?)もありますがね。

暗記やお勉強と考えるととたんにハードルが高く感じます。

が、ツイッターのトレンドをのぞくようなかる~い気持ちで、歌集に触れてみるのも良いのではないでしょうか。

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【参考】
国史大辞典「新古今和歌集」
新古今和歌集/Wikipedia
ほか

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