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【葛飾北斎】
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掃除もせず部屋が汚れる度に引っ越~し♪
葛飾北斎は雅号の変更はともかく、生涯に93回も引越しをしたということから始まり、とかく常人には思いつきもしないことをいろいろやっています。
引越しについては「部屋が散らかったり汚れるたびに掃除をせず引っ越した」からだそうで。
大家さんに大迷惑ですね。その後、新しい借り手はついたんでしょうか。
「絵を描くことだけに集中したから」とのことですが、日頃料理や後片付けもしなかったといいます。
居酒屋の隣に住んだときには三食とも出前を取り、何か食べ物をもらったときにも食べた後はゴミをそのまま放置したという汚部屋ぶり。
◆生魚をもらってもまた別の人にあげてしまっていた
◆客が来ても自分や娘では茶を煎れず、隣の家の子供に煎れさせていた
上記のようなものぐさエピソードが多く伝わっています。
皆さん、よくそんな小間使いをやってくれたものですね。
「あの先生なら仕方ない」とか思われてたんでしょうか。
二度結婚しているのは金に無頓着だったから?
荒れた生活をしているからと言って、酒やタバコに溺れることはありませんでした。
だから90歳まで生きられたのでしょう。大福など甘いものは好きだったようです。
さらに衣服や他の贅沢に散財することなく、本当に画業一筋。ただ単に銭勘定が嫌いで貧乏だっただけという見方もありますかね。
というのも「相場の倍以上のギャラをもらうようにしていたが、米屋などの支払いのときそれを包みのまま渡していた」んですって。
現代でいえば通帳を放り投げるようなものですし、お金が貯まらないのも当然ですね。
北斎は二度結婚しているんですが、この有様でよく奥さんにキレられなかったものですね。子供も何人かいますし。

『肉筆画帖-鷹』/wikipediaより引用
ただし【天保の大飢饉】のときにはガンガン絵を描いて何とか生計を立てているので、本当にヤバイというときの危機感はちゃんとあったようです。
というかそんな大飢饉のときに買い手がいたというのもスゴイ話ですね。
藩によっては、お偉いさんの機転で犠牲者を防げたところもあったようなので、やはりあるところにはあったんでしょうか。
そんな感じでネタの尽きない人なのですが、北斎の金銭感覚というか、価値観を示す逸話をあと二つ見ておきましょう。
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