オットセイ将軍

徳川家斉/wikipediaより引用

江戸時代

子供を55人も作ったオットセイ将軍・家斉 ガチすぎる精力強壮剤

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化政文化が花開き財政傾く

もしかしてオットセイの効果は健康面全体に及んでいたかもしれません。

というのも家斉は実に50年もの間、将軍の位にあり、反面、大した政治の結果は残しておりません。

松平定信を老中に登用し、寛政の改革を行った」には違いないのですが、結局のところ「定信は質素倹約が厳し過ぎるからクビね!」と6年でお払い箱にして、その後は我慢の反動なのか贅沢三昧の暮らしをしています。

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それが江戸の風俗や文化には良い方向に働いたのでしょうか。

家斉の元で化政文化は花開き、そして幕府の財政は傾きました。

それを補うため、小判の質を落とす鋳造政策を8回も行ない、結果、インフレを招いて経済を混乱させるなど、将軍としては痛い経歴しか見当たりません。そう、子作り以外は……。

 

漢方薬の『海狗腎』 は栄養バッチリ

先程も申し上げたように、家斉は28男・27女と合計55人もの子供をもうけました。

神君家康ですら16人だったのに、55人ともなればもはや異常です(53人説もありますが、国史大辞典の55人説に準拠)。

たしかに将軍にとって血筋を残すことは大変重要な仕事でしょう。

無事に成人したのは25人でしたので、当時の子供の死亡率がいかに高いかも見てとれます。

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しかし、家斉はなぜそこまで子作りに励んだのか

実家の一橋家から「子女を多く作るように」と訓告されたのも大きいですが、やはり栄養面での補助も働いたのかもしれません。

パワーの源として服用していた「オットセイのペニス」。

実は漢方薬として昔から飲まれていたものなのです。

『海狗腎(カイクジン)』という名前で、豊富なタンパク質と男性ホルモンを含み、腎気を補うとのこと。

あくまで個人的な意見ですが「アザラシの雄はハーレムを作る」という性質が、「性的に強いイメージ」に繋がり、それがオットセイでも精力剤効果がある――という流れなっているのでは?と思ったりします。

また、簡単には手に入らない希少価値もポイント高いですよね。

『海狗腎』は家康も使用していたようで、蝦夷福山城主に「献上するよう」命じた記録も残っております。

健康ヲタクで知られた家康も実際に子沢山なであり、本当にそれなりの効果があるのかもしれません。

家斉はオットセイのペニスを粉末化したものを愛飲していたため『オットセイ将軍』というあだ名をつけられました。

今風に例えると「バイ@グラ社長」といったとこですね。こんなあだ名が付くあたりで色々ご推察下さい。

 

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【参考】
EDネットクリニック/バイエル薬品
媚薬/wikipedia
徳川家斉/wikipedia
徳川家斉の伝説(→link
化政文化/wikipedia
漢方生薬の中屋彦十郎薬局(→link
国立公文書館(→link
yomiDr./読売新聞
徳川家康一族縁者/wikipedia

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