戦国時代や江戸時代のお殿様というと、一般的には
「家臣をよくまとめ、国力増強に励み」
という、マッチョな武士像を思い浮かべるかもしれません。
しかし、ときにはそれより重要なオシゴトがありました。
子作りです。
跡継ぎが出来ず、当主が早死にしてしまったら「改易(お家取り潰し)」すらあった江戸時代。
各国の大名は正室のほかに側室を置いたり、ときには養子を迎えたり、ともかく「子供を残すこと」はメチャメチャ重要な仕事でした。
たとえば徳川には御三家(紀伊藩・水戸藩・尾張藩)があり、持ち回りで将軍を輩出してきましたが、それでも血筋の断絶を危惧した八代将軍徳川吉宗が御三卿(田安家・一橋家・清水家)を設置し、とにかく将軍家の血が継続することに腐心しております。
※以下は御三家・御三卿の関連記事となります
御三家と御三卿って何がどう違う? 吉宗の創設した田安と一橋が将軍家を救う
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絶対に楽しんだろ! つか楽しみ過ぎ!
さほどに難儀だった当時の子作り。下手すりゃ家臣を路頭に迷わせてしまう……なんて考えながらの「夜の営み」は、至福の時ばかりでなかったでしょう。
しかし、この人だけは「絶対に楽しんだだろ! いや、楽しみ過ぎだろ!」という方がおります。
安永2年(1773年)10月5日に生誕した11代将軍・徳川家斉――。
実に、28男・27女と、合計55人もの子供を作った「オットセイ将軍」です。
オットセイとは、寒いところで過ごす動物のオットセイです。
いったい家斉さんはナゼ、そんなアダ名を付けられてしまったのか。
それを説明するには、まず勃起不全(ED)から触れておきたいと思います。
アザラシやオットセイのペニスに……
医学的に、満足な勃起が得られないことを勃起不全(ED)といいます。
EDには大きく分けて2つの原因があり、1つは器質的なもの。神経や血管に障害がある場合などで、もう1つが心理的なものです。
他の病気と比べてメンタル面も重要なため、プラセボ効果も大きく影響すると言えましょう。
そのため古来から、
刺激のあるもの(玉ねぎ、ニンニク)
珍しい果物(りんご、イチジク、ザクロ)
栄養価の高いもの(卵、チーズ)
などが精力剤として使われました。
同時に、精力の強いイメージの動物なども好んで飲まれ、
アザラシやオットセイのペニス
羊や牛の睾丸
などが強壮剤として用いられました。
ここまで来れば、もう皆まで言わずともお察しいただけましたね。
徳川家斉がオットセイ将軍と呼ばれたのは、そのペニスを強壮剤として服用し、実際に子供を作りまくったからなのでした。
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