江戸時代に青い目のサムライなんていたのか?
フィクションだとしてもあり得るのか?
NHKドラマ10『大奥』のシーズン2をご覧になり、そんな感想を抱いた方は少なくないでしょう。
長崎出島で蘭学と医学を学んでいた合いの子(ハーフ)の吾作が、大奥へ出仕して「青沼」と呼ばれ、医療活動に勤しむ――。
村雨辰剛さんが熱演する姿に胸を打たれつつも、そんなことが実際にあり得たのかどうか、という疑問はどうしても消えない。
なんせ当時の日本は鎖国体制が敷かれているはずですし、たとえ母親が日本人だとしても、見た目の大柄な外国人が長崎出島から外へ出て活動するなど無理では?と思っても仕方ありません。
青沼というキャラクターは確かに原作漫画からの創作です。
しかし、蘭学が受け入れられつつあった当時の日本であれば、彼のような人物が活躍したって不思議ではないかもしれない。
では一体どういう条件ならば青い目のサムライが出仕できたか。
本稿で、その時代背景を考察してみましょう。
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漫画『大奥 8-9巻』(→amazon)
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イギリス人の家臣・三浦按針もいた
そもそも江戸幕府は最初から外国人を排除していたわけではありません。
徳川家康の代には、イギリス人船員であった三浦按針ことウィリアム・アダムスが家臣として採用され、そこには大きなメリットがありました。
最新兵器の大砲です。
関ヶ原の戦い前夜、武器を搭載した船と共に日本へ辿り着いたアダムスは、徳川にとって天の助けとも言えました。
布教と貿易をセットで進めるカトリックとは交易も途絶えますが、プロテスタント国であるイギリスとオランダは布教にはこだわらず、そのため交易だけが続けられました。
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しかし、家康と三浦按針の関係は、彼らの代だけでその後薄れてゆきます。
現在のイギリスに、2代将軍・徳川秀忠が贈呈した甲冑が現在も残るほどの関係は築かれましたが、チャールズ2世がカトリック教国のポルトガルから王妃キャサリン・オブ・ブラガンザを迎えたため、幕府が警戒したのです。
この警戒は何も過剰なものでもなく、イギリスではカトリックとプロテスタントで揺れ動き、革命が起きています。
さらにはイギリスが、インドや清との関係を重視したことも影響します。
キャサリン・オブ・ブラガンザが自国に紅茶を持ち込むと、国民的な飲料として需要が高まり、当時、茶葉を大規模に栽培していた清との関係性が大きな関心となったのです。
清から茶葉を輸入する。
植民地としたインドで茶葉を栽培する。
やがて茶葉の貿易赤字を補うためにアヘンを清に輸出し、その結果、後世になると【阿片戦争】を引き起こす――それが歴史の流れでした。
アヘンの歴史にみる薬物乱用と英国の恐ろしさ! ケシを吸ったらサヨウナラ
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植民地重視の西洋と自国内政を選んだ東洋
家康の生きた時代は、中世から近世へ、変わりゆく時代でもあります。
同時代に生きたエリザベス1世は、海軍を用いて外貨獲得へ。
閉ざされてゆく日本と、開かれてゆく西洋――そんな対比から日本は【鎖国】という決定的な外交ミスを犯したようにも認識されますが、事はそう単純でもないでしょう。
あくまで西洋史基準の見方であり、鎖国そのものは東アジア全体で広まっていました。
遡れば中国大陸の明が取った【海禁政策】があります。
貿易を重視していた元にかわり、内向きな政策を取った明。
しかし、経済の発展がそれを許さず歪な状況が生まれ、1644年に明が滅亡したとき、日本は徳川家光の時代を迎えました。
そして江戸幕府は、明にかわった清と似たような着地点を見出します。
・海禁政策を取り、民間貿易は制限しつつも、全面禁止するわけではない
・国家が認める中での貿易は行う
このシステムは、同じく朝鮮王朝でも採用。
外からの経済的なインパクトを抑制しながら、自国の統治を安定させることに専念したのであり、その選択は過ちだったと言い切れないでしょう。
なぜなら当時の日本には、それができるだけの人口、経済力、生産力があったのです。
確かに家康はウィリアム・アダムスの持つ兵器が欲しくてたまりませんでしたが、家光時代ともなると、そうした西洋技術の需要も低くなります。
政治の優先順位として内政重視となるのは自然な流れでした。
なんせ世界的に見ても、当時はアジアの方がはるかに豊かで物資にあふれてて、逆に、そうした富が欲しいからこそ、西洋諸国は海に出たと言える。
明を訪れた西洋人は、航海技術がありながら、海洋進出しない明朝の姿勢に疑念を抱きました。
しかし、その必要がなかっただけなのです。
明代の江南地方は、当時世界一の経済規模であり、わざわざ外に目を向けることがありませんでした。
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