宝永大噴火と宝永火口

宝永大噴火で大きく開いた宝永火口

江戸時代

富士山の中腹に超弩級の穴を開けた「宝永大噴火」の恐ろしさとは

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宝永大噴火
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日本史上最大級の宝永地震は49日前

これほどの規模の噴火ですから、もちろん富士山自身にも大きな影響を残しました。

前述の通り、宝永大噴火によって、富士山には3つの火口ができています。

その横には「宝永山」も(側火山と言い、噴火などによって造られる山を指す)。

遠くから見ると、やはり頂上の第一火口が目立つので、よく見ないとわかりにくいのですが……これは、宝永山が斜面にあるため、角度によって見えにくくなるからです。

また、一般市民の心理にも大きな爪痕を残しました。

現代では「噴火は自然現象である」ということがわかっていますが、古来から神体ともされる富士山に、火口とはいえ「穴が空いた」のですから、当時の人々にとっては不吉以外の何物でもありません。

この時期は、綱吉治世の最終盤にあたります。

元禄文化華やかなりし時期でもあるものの、赤穂浪士の討ち入りや度重なる天災など不幸な出来事が相次いでいたため、「富士山の噴火は、綱吉の失策に対する天罰だ」といわれたわけです。

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しかも、です。

この噴火の49日前、M8.6~9クラスという【宝永地震】が起きていたのも拍車をかけました。

南海トラフ巨大地震のひとつで、日本史上でも最大級のものです。

※1707年前後の地震についても記事末にリストアップしておきます

時代が時代なので、推測にも限度がありますが

「遠州沖を震源とする東海地震と、紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生した可能性もある」

という見方もあります。

これに関する余震も長く、社会不安を増大させていました。

 


復興のため領地百石につき二両を負担

もちろん、綱吉の時代にも、幕府は被災地の復興を試みています。

全国の大名に「被災地復興のため、領地百石につき二両を負担すること」と命じ、関東郡代・伊奈忠順(いな ただのぶ)が相模国足柄下郡酒匂村(現・神奈川県小田原市)を拠点として、対応に当たりました。

しかし、役人だけで全ての作業をするのは不可能です。

集められた復興費から村の再建資金が出されたものの、火山灰や砂の除去は「自力でやるように」ということになりました。

いくらかは資金が出たようですが、この時代の農村でよそから人を雇うツテや余裕はなかったでしょう。

よそへ引っ越していく人、粘ろうとして飢餓に陥る人が絶えなかったといいます。

生き残った人々は、村の垣根を超えて幕府へ訴えを続けました。

その結果、享保年間(だいたい吉宗の時代)には、よそから人を雇うための費用が追加され、どうにか復興が本格的になりました。

現在、宝永山へは登山も可能なので、慣れている方は行ってみるといいかもしれません。

ルートの難易度は低めで、通称「プリンスルート」と呼ばれるコースと合流することもできるそうです。

家族連れやシニアの方でも、比較的挑戦しやすいとか。

とはいえ天候や体調には十二分にお気をつけてチャレンジくださいね。


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長月 七紀・記

【記事参考】
内閣府の防災情報ページ(→link
国史大辞典
理科年表
元禄地震/wikipedia

 


◆宝永大噴火前後の地震は?

1697年 M6.5 相模武蔵地震
1698年 M6.0 豊後地震
1700年 M7.0 壱岐対馬地震
1703年 M6.5 豊後地震
1703年 M7.0-8.2 元禄地震(江戸時代の関東大震災・リンク先に詳細)
1704年 M7.0 羽後津軽地震
1707年 M8.6 宝永地震(日本史上最大級の一つ)
1707年 宝永大噴火
1710年 M6.5 磐城地震
1711年 M6.25 因幡伯耆地震
1714年 M6.25 信濃北西部地震

富士山の噴火は、マグマの噴出や火山灰の積もり方によっては物流に大ダメージを与え、近隣地域だけで済む問題ではありません。

震災と同様にいざというときの防災用備蓄が必須となります。

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