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【徳川家重】
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一介の旗本だった意次のスペックを?
しかし、家重は自分の限界をきちんと理解していたらしき行動もしています。
根拠は次の二点です。
一つは、唯一彼の言葉を聞き取ることができた大岡忠光という家臣が亡くなった後、将軍職を家治に譲っていることです。
自分の意思を汲み取ってくれる人がいないということは、どんなに真面目にやっても誰もわかってくれないということになりますよね。
精神的にキツいからというのももちろんあるでしょうが、それが世のためにならないことがわかっていたからこそ、潔く身を引いたのではないでしょうか。
もう一つは、田沼意次を大名に取り立てていることです。
意次は元々一介の旗本(将軍に直接お目見えできる最低の身分)に過ぎず、本来なら大名にも老中にもなるはずのない家柄でした。
幼少期に家重の小姓をやっていたことがあるため、お互いの性根や能力はよくわかっていたでしょうから、公私共に信頼できる人物として登用したのでしょう。
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再評価の動きが出て欲しい
この二つを総合して考えると、口に上手く出せないだけで、本当は優れた頭脳の持ち主であった可能性は否定できません。
現代だって吃音等がなくても、言葉遣いが悪かったり言葉が足りなさ過ぎて、うまく意思を伝えられない人というのはいるものです。
江戸時代の人をその一点だけで咎めるのはいかがなものかな、という気がしませんか。
家重本人の書付か何かが見つかれば、また変わった評価をされるようになるのかもしれません。
その暁には、ぜひドラマや映画で取り上げていただき、一般的なイメージが良くなることを期待したいと思います。
追記:徳川家重の評価について、NHKドラマ10『大奥』がやってくれましたね。
言語不明瞭なところは押さえながら、将棋が得意だったという描写を差し込み、実は先を見通す賢い頭脳を持っていた。
それだけでなく当人が『誰かの役に立ちたい』という、将軍としての器量も備えていた――そんな描き方で、「人の心がわからない」としていた徳川吉宗に抱かれて涙を流す。
二人の姿を見て、涙を誘われてしまった方も多いでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴史読本2014年12月号電子特別版「徳川15代 歴代将軍と幕閣」』(→amazon)
歴史読本編集部『歴史読本2013年1月号電子特別版「徳川15代将軍職継承の謎」』(→amazon)
徳川家重/Wikipedia