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【玉川上水と玉川兄弟】
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玉川兄弟が費用を捻出
金右衛門は、羽村付近から掘る案を3パターン作り、そのうちの一つによってようやく玉川上水が完成します。
また、実際の工事には近隣の農民であったといわれる庄右衛門(しょうえもん)・清右衛門(せいえもん)の玉川兄弟も大きく貢献しました。
なんせ途中で幕府からの工事費用が尽きた際、私財をなげうってまで費用を捻出するほど。
そこは信綱に訴えてもよかったんじゃ……?
と思うんですが、二回も失敗したから言い難かったんですかね。信綱なら「自然が相手なんだから仕方ない」って許してくれそうな気もしますけども。
事実、三度目の正直で無事工事を終わらせた彼らに罰が下ることはなく、「玉川」姓の使用が許されました。
現在、羽村市に玉川兄弟の像が建っています。
それがTOPにある画像で、これ、めちゃくちゃカッコイイですよね。
戦国武将や大名以外、もっといえば一般人の像としては屈指のポージングじゃないでしょうか。
何も知らない人に「これ何の像だと思う?」と聞いたら、「忍者」とか「旅人に紛れ込んだ刺客」なんて答えが返ってきそうです(褒め言葉)。
かくして小金井桜も生まれた
こうして作られた玉川上水は、江戸時代を通じて江戸の上水道として役割を果たしました。
水質を保つため、水浴びや洗い物、魚釣りなどは厳しく取り締まられています。
また、水路の両側三間(約540m)は草むしりや木の伐採もご法度でした。
このためか、徳川吉宗の時代にヤマザクラの木が玉川上水沿いに植えられるようになり、花見客も訪れるようになります。
【小金井桜】が有名ですね。
小金井桜は、吉野などから良い木を取り寄せて植えられたものなんだそうですよ。
明治時代の研究では、いわばヤマザクラのハイブリッド地帯であると判明したとか。
大正時代には国の名勝に指定され、人々に愛されましたが、周辺の環境が変わってしまったために、枯死してしまったものも多いそうで……。
現在「名勝 小金井桜の会」という有志の方々によって保護・復活が試みられているそうです。
会費2,000円らしいので、お近くの方は協力されてみてはいかがでしょうか。
2003年には国の史跡にも指定されていますし、どうせなら国のほうで桜も一緒に保護してくれたらいいんですけどねえ。
そういうほうが「クール・ジャパン」だと思うんですが、いかがでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
日本大百科全書
羽村取水堰/東京都水道局
小金井桜の会(→link)
玉川上水/wikipedia
治水/wikipedia