延宝七年(1679年)10月19日は、越後騒動に対する最初の決裁が行われた日です。
事件が起きたのは四代将軍・徳川家綱の時代。
舞台は、現在の新潟県上越市付近に城のあった高田藩(高田城※トップ画像)で、ときの藩主は越前松平家の松平光長です。
光長の両親は、
なので、どちらの血筋をたどっても徳川家康に辿り着きます。
つまり当時としてはこの上ない高貴な家柄ということになるのですが、どうしてお家騒動になってしまったのか。
そこには、越前松平家の立ち位置や光長自身の性格、国元の家老たちの対立などによる、悪い方向の連鎖がありました。
時を遡って、忠直の時代から見て参りましょう。
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越後騒動の火種とは
松平忠直は「乱心」のため正室・勝姫との関係が悪化し、その後、側室との間に二男一女をもうけました。
嫡男の光長は、藩主を継ぎ、初めて国元へ行くときにこの異母きょうだいを引き取り、弟たちには俸禄を与え、妹は家老・小栗美作(みまさか)の息子に嫁がせます。
それぞれの暮らしがたつようにしてあげたわけです。
しかし、これが越後騒動の火種の一つになってしまいます。
小栗美作はデキた家老で、荻田隼人ら他の家老や重臣とともに、藩主不在中の高田藩をしっかり切り盛りしていました。
むしろ、彼らがデキ過ぎる故に、光長が藩政を顧みなかったといってもいいかもしれません。
美作は新田や鉱山の開発、殖産興業の奨励により、表高(計算上)26万石を実質40万石にまで押し上げているくらいですから、まぁ、敏腕なわけで。
ただ、藩士の収入源を地方(じがた)知行制から蔵米制に変えてしまったために、恨まれもしています。
蔵米制では不公平さが是正されるも
地方知行制とは、
「家臣に土地を与えて、そこで得た米などをそのまま収入にしていい」
という制度のことです。
幕府が各藩に自治権を与えるのと同じ感じですね。
一方、これに対する蔵米制は、一度藩主のところに米を集め、その後給料として藩士に支給する制度です。
こちらは現代の会社における売上と給料の感じに近いでしょうか。
蔵米制では藩士や家臣間の不公平さは是正されやすくなりますが、一方で収入が減る者もたくさんいました。
このため美作と小栗家全体に恨みが向くことになるのです。
そんな最中、寛文五年(1665年)、高田で大地震が発生。小栗美作をはじめとした多くの重臣たちも犠牲になってしまいます。
当然それぞれの家で世代交代が起きるわけです。
通称が同じなので紛らわしいですが、小栗家を継いだのもまた美作という人でした。以下の話は美作(息子)のこととしてお読み下さい。
上記の通り、この美作(息子)は藩主光長の異母妹を妻にしています。
つまり、高田藩家臣の中では藩主や将軍家に最も近いというわけです。イヤな予感がしますね。
美作(息子)も父に似て政治感覚に優れており、この緊急事態に対し、幕府から五万両を借りて藩の再建にあたりました。
二代続けて、自他共に認められる筆頭家老となったわけです。乱立するフラグ。
次の藩主は誰だ!? 美作は野心なく推挙したであろう
萩田家を継いだ主馬(しゅめ)にとって、この一連の流れは非常に面白くない事態でした。
彼は次席家老ですが、上を見るとキリがないですよね。
そんな感じで数年が経ち、今度は光長の嫡男が亡くなるという事件が起きます。
既に光長は60代になっており、これから世継ぎをもうけるのは難しい状態。
そのため、藩主の血縁者たちが集められ、新しい嫡子を決める会議が開かれます。
この時点での候補は以下の4名です。
・光長の異母弟……………………永見長良
・もう一人の異母弟の息子……万徳丸
・光長の異母妹の次男…………大六
・尾張藩主徳川光友の息子……松平義行
義行だけちょっと血筋が遠いですが、徳川一門で藩主を継げる年齢、かつ次男以下ということで候補に入ったものでしょうか。
話し合いの結果、年齢のことと考え合わせて、15歳の万徳丸が世継ぎに決定。
大六は、小栗美作と光長の異母妹の息子でしたが、美作は男系や年齢のことを考慮して万徳丸を熱心に推したそうです。
つまり、美作に野心はなく、純粋に御家のことを考えていたと思われます。
自ら「お為方」を名乗り美作らを「逆意方」と罵る
しかし、かねてから美作のことが気に入らない主馬は、
「待て、これは孔明の罠だ」(※イメージです)
と判断しました。
他にも似たような考えの人はいたらしく「美作は密かに自分の息子・大六を藩主にするべく、暗躍している」という噂が立ってしまいます。
そしてそれを防ぐために、何故か50代の長良を後押しする一派が形成されました。
いや、そこは万徳丸を推すところでしょ?(´・ω・`)
しかもこの一派、
「自分たちこそが本当に御家のことを考えている!!」
として、自ら「お為方」と名乗るのです。
そして美作らを「逆意方」と罵るのですから子供かよ。
美作は仕事のデキる男でしたが、私生活では華美な衣装を好むなど極端な面があったため、それに反感を覚える人が少なくなかったから……ということのようです。
父も蔵米制への切り替えで恨みを買っていましたので、その分もまとめてぶつけられたということでしょうか。
現代だったら「厨二乙」「レッテル貼り」で済む話ですけれども、ここから本格的に事がこじれはじめます。
お為方はなんと890人もの大所帯となり、その数に物を言わせて、光長に迫ったのです。
「美作を隠居させてください!!」
光長はこれを抑えきれず、美作に隠居を命じました。
美作としては青天の霹靂だったでしょうが、大人しく命令に従って大六に家督を譲ります。しかし……。
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