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【越後騒動】
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幕府に疑惑の目を向けられぬよう散財?
しかし、これがまたお為方には気に入りません。
「大六に家督を譲ったのは、藩主になれなくても藩政を牛耳るためだ! おのれ美作!!」と考えられ、隠居になった美作をさらに罰してほしい、と光長に迫るのです。
もうメチャクチャ。
言う通りにしたのに、さらに要求を重ねるって「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはこのことです。
しかもその原因が
「日頃ハデな服装をしているから」
「豪華な屋敷を作ったから」
「陰謀を企てているに決まっているから」
というイチャモンレベルだからどうしようもない。
美作個人に対する資料が少ないので、彼の真意については想像するしかないのですけれども、少々私見を挟ませていただきます。
越前松平家は、藩祖・結城秀康の時代から難しい立ち位置にありました。
加えて、この時代は何かあればすぐ「改易!!」の家綱時代。
武士のモットーは節倹とはいえ、あまりにお金を貯め込むと「謀反の支度」と捉えられかねません。
美作はわざと散財して、幕府の疑いの目を逃れようとしたのではないでしょうか。
時代的にも場所的にも近いところに、鼻毛をわざと伸ばして暗君を装った前田利常という先達もいますし、美作としては主君に「鼻毛を伸ばせ」とは言えないですよね。
また、この手のことを他の重臣と相談すると、噂が流れ流れてやがて
「高田藩の重臣たちは、夜な夜な集まって藩祖以来の恨みを晴らす算段をしている」
などと言われ、幕府に疑われることにもなりかねません。
だからこそ、美作は「個人的に」散財をしたとは考えられないでしょうか。
領内で金を使う分には、経済のためにもいいことです。
まあ、同じ散財なら学問所なり貧民救済なり、もうちょっと慈善的なことに使っていれば、こんな疑いは受けなかったかもしれませんね。
そこまで気が回らなかったか、ただ単純にハデな生活をしたかったか。
真相は闇の中ですが……。
綱吉が将軍になって異例の再審
閑話休題。
元々藩政については任せきりだった光長は「もうワシじゃ処理するの無理だわ」と考え、ときの大老・酒井忠清に裁定を頼みます。
忠清はお為方・逆意方の両方に
「まあまあ、御家のためを思うなら内輪で揉めなさんな」(超訳)
と言いつけたのですが、争いは収まりません。
仕方ないので、騒ぎを起こし始めた側であるお為方の主だったメンバーを他家への預かり処分とし、一旦事を落ち着けます。
が、この翌年に家綱が亡くなり、徳川綱吉が将軍になると、異例の再審が行われることになりました。
逆意方も、預かり処分になっていたお為方も江戸へ来るよう命じられ、改めて対決が行われます。
相変わらずお為方は美作へのイチャモンをつけ続けましたが、美作は冷静に反論しました。
一ヶ月経ってもその状態で埒が明かないので、江戸城で綱吉直々に裁定を下すことに。
結果は、武家の原則である「喧嘩両成敗」を最重視したものでした。
逆意方の美作と大六は切腹。
お為方の主馬らは八丈島へ流罪。
さらに光長は家内の監督不行き届きで改易・松山藩お預かりという、厳しい処分に決まったのです。
忠清を嫌った綱吉の復讐なのか
この処分は、忠清に対する綱吉の復讐だという説もあります。
忠清がかつて、綱吉がいるにもかかわらず、家綱の後継者として「皇室から宮将軍を迎えよう」と言い出したことがあったため……だそうで。
宮将軍擁立説は否定する動きもあるのですが、それでなくても綱吉は忠清の権勢がよほど気に入らなかったようで、綱吉時代に書かれた忠清の記録は、かなり悪意がこもっています。
下馬将軍と呼ばれた酒井忠清~家綱の文治政治を進め綱吉に嫌われる
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ちなみに、忠清自身は綱吉の親裁の前に亡くなっています。
57歳でしたので、不自然ではありません。
しかし、綱吉が「自害ではないか」と疑い、いろいろと調べさせた……という話もあったりして、きりが無いのでここではストップしておきます。ご興味をお持ちの方はご自身でお調べください。
綱吉が喧嘩両成敗を重視するのもわかります。
が、忠清が「先に手を出したほうが悪い」とするのもまた筋の通った話です。
もしも美作に全く悪気がなく、綱吉・忠清の確執に巻き込まれただけだったとしたら、気の毒どころではありませんね。
もちろん、お為方が主張していたように、美作が御家乗っ取りを企んでいた可能性もあるわけですが。
例によって「歴史にIFは厳禁」を破るとすると、越後騒動で美作が生き残るためには、真面目に仕事をした上で「お為方の動きを封じる」「綱吉と忠清の確執を改善する」という超ハードモードをクリアしなくてはなりません。
しかも時間が経つごとに状況が悪化していきます。
お家騒動をテーマにしたゲームがあったら、最高難度になるでしょうね。
ちょっとやってみた……くないです。
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長月 七紀・記
【参考】
大石慎三郎『江戸大名 (知れば知るほど)』(→amazon)
越後騒動/wikipedia