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【江戸で吉原以外の遊び場所】
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吉原は手続きが面倒だ
吉原には面倒な手順がたくさんあります。
蔦重が勤める茶屋の「蔦屋」にせよ、その面倒なプロセスに組み込まれていた。
廓にあがる客が来ると、蔦重は出迎え、武士ならば刀を預かっています。
いきなり廓に上がることはルール違反で、まずはああした茶屋に立ち寄らねばなりません。
そこで飲食物を頼んで休まねばならず、いざ遊ぶまでに手間もかかれば、金も落ちてしまうものでした。
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『月百姿 廓の月』月岡芳年作/wikipediaより引用
吉原は高い
吉原は金もかかります。中級以上の相手ともなれば、馴染みとなるまで最低3回は通う必要があった。
一回目の「初会」では、花魁は口もろくに聞かない。
二度目「裏を返す」では、裏を返さないことは野暮、無粋の極みであり、最低でも二回は通うものです。
三度目でやっと「馴染み」となります。ここまで通うと、客は専用の箸を作ってもらえます。
前述した茶屋で落とす金やら、遣り手婆への手数料などなど……何かとあればオプション料金を取ろうとしてくるのが吉原。
短気な江戸っ子ともなれば、不明瞭会計の極みとも言えるシステムの時点で嫌になることでしょう。
このシステムにひっかかった『べらぼう』の長谷川平蔵宜以は、親の残した遺産をあっという間に使い果たしてしまいました。
遊んでいるようで、彼はぼったくりシステムにの仕組みはよくわかっていない。そのために起きた悲喜劇でした。
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『当世すかたのうつし画 茂門佳和』渓斎英泉/wikipediaより引用
吉原は気取っている
吉原といえば華麗な花魁道中が有名です。
四季折々の行事も、大奥もかくやと思えるほど豪奢で風情のあるものでした。
豪華絢爛の極みと言える衣装。独特の高下駄。あの簪。凝った化粧。ありんす言葉。洒落た文のやりとり。
あの独特のしきたりを、なんて素晴らしいのかと素直に喜ぶ客ばかりではなかったことも、確かです。
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『雛形若菜の初模様 金屋内うきふね』礒田湖龍斎/wikipediaより引用
しかし、そこは江戸っ子。そういう豪華さがまどろっこしくてたまらねぇ。そんなアンチもでてきます。
吉原のライバルとされた深川の「辰巳芸者」は、吉原の花魁とは対極的です。
薄化粧。豪華な衣装は身につけず、羽織がトレードマーク。「侠(きゃん)」というさっぱりした気性でした。
いわばサバサバ系の姐御です。
吉原では満たせない需要を補うことは理解できます。
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『風俗三十二相 さむさう 天保年間深川仲町芸者風俗』月岡芳年作/wikipediaより引用
遊びたいっちゃそうだけどよ。あんな高くてまどろっこしくて遠い場所に、わざわざ行ってられっかい!
そうなるアンチは当然のことながら湧いてきます。
こうして当時の消費者心理を考察してゆくと、蔦重の奮闘は実に大変なことだと思えてきます。
第1話では、奉行所に岡場所の取り締まりを頼んでも、応じてもらえない蔦重が描かれました。
江戸には遊べる場所はたくさんあった。その代表的なものを見て参りましょう。
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