吉原のシリアスな面が描かれた序盤に反し、舞台が狂歌に映ってから急に「馬鹿馬鹿しいシーン」が増えてきた大河ドラマ『べらぼう』。
狂歌の何がおかしいって、既に名前からぶっ飛んでいますよね。
例えば声優の水樹奈々さんが演じる知恵内子もその一人。
「ちえのないし」と読むその名前、当然、本名じゃないよね……とはお気づきかもしれませんが、それにしたって番宣動画では「屁!屁!」と連呼し、下ネタの狂歌を詠みあげているんですからわけがわかりません。
いったい彼女は何者なのか?
実は知恵内子の存在自体が江戸時代、ひいては日本の文化にとって大きな存在とも言えます。
その理由と共に彼女の事績を振り返ってみましょう。

知恵内子/国立国会図書館蔵
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癖があまりに強い狂歌師の「狂名」
知恵内子(ちえのないし)という名前は一体なんなんだ?
意味は読んで字のごとく「知恵がない」、つまりは愚かであるという意味だとすれば、一体どういう了見でぇ!と突っ込みたくもなるでしょう。
これぞ狂歌師ならではのセンスです。
彼らは「狂名」として、どれだけアホな名乗りができるか、そこを重視していました。
夫からして元木網(もとのもくあみ)――これまた“元の木阿弥”、せっかくのものが元通りに戻ってしまう状態ですね。

元木網/国立国会図書館蔵
太田南畝の狂歌師としての名乗りは四方赤良(よものあから)でして、“四方”の酒を飲んで顔が「赤ら」んだという意味。
フザけきっていますが、それもそのはず。
狂歌師たちは「痴者」を自称していました。自らアホだと名乗っていたわけで、ならばペンネームもアホであればあるほど、むしろ評価されるのでした。
しかし、そこには教養がある
もう少し、ペンネームについて説明申し上げますと……「知恵内子」という名乗りを読み、そのまま受け取ったらそれはそれで無粋となります。
この名は女官の官位である「典侍」(ないし)と掛けていることも読み解ける。
つまりは、知恵がないと言いながらも教養を感じさせる粋なネーミング。それほど優れた女性があえて愚かな名乗りをするところに、センスを感じるわけです。
知恵内子と元木網夫妻の娘は幾地内子(いくじないし)です。
あるいは
ひまの内子
世話内子
という女流狂歌師もいて「江戸の三内子」と称されたようです。
では彼女の元の名前は?というと「内田すめ」あるいは「通」とされています。
江戸時代の女性名は二音節がほとんどであり、『べらぼう』の町人女性たちも「ふじ」「いね」「りつ」ですね。
武士や上流階級では、この下に「子」をつけることがあります。
将軍に仕える女性として「鶴子」が登場しており、徳川家治は彼女のことを「子」を抜いて「鶴」と呼んでいました。
大奥女中となるとこれにはあてはまらず「高岳(たかおか)」などがいます。
吉原女郎は「花の井」や「うつせみ」と三音節以上ですね。まだ客を取らない禿(かむろ)の時点で、こちらも「あざみ」や「あやめ」などの三音節。
二音節以下だと地女(じおんな・一般人女性)のようだと思われてしまうからでしょう。
「ちえの ないし」という名乗りも、しょうもない人物のようで実際は文人としての誇りあるものだと伝わってきます。
夫婦そろって狂歌を楽しむ
知恵内子は武蔵国川越小ケ谷の出身とされています。
夫の元木網は享保9年(1724年)生まれで武蔵国杉山の出。現在でいえば、東京近郊出身の妻と、横浜市出身の夫となりますね。
この夫にあたる大野屋喜三郎は、京橋北紺屋町で湯屋を営んでいました。
『べらぼう』でも第3回の時点で、大野屋喜三郎として登場。
このときの彼は、蔦重の作った『一目千本』を大喜びで受け取っていたものですが、その時点でただの湯屋主人だけでなく、センス抜群かつ人脈もあったということではないでしょうか。
ドラマの序盤で蔦重が手掛ける出版物は、江戸の女性たちの話題もさらっておりました。
口コミ効果を拡散するうえで、女性のネットワークも取り込まれているのであれば実に自然なこと。
大野屋喜三郎の妻も蔦重の出版物を手にして「いいじゃないの!」と言っていたとすればどうでしょう。
夫妻は気が合い、湯屋を営むころから夫婦揃って同じ趣味を楽しみ、唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)宅の狂歌合に参加。

唐衣橘洲/国立国会図書館蔵
彼らが狂歌仲間に口コミを広げれば、江戸にどんどん広まるというわけです。
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