忠臣蔵

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江戸時代

フィクションの『忠臣蔵』と史実の「赤穂事件」何がどう違うのか比較してみよう

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吉良に払う授業料も負担

二人は、指南役の吉良上野介義央の指示に従い、準備をしていきます。

しかしこの接待役、非常にお金がかかる仕事でした。

「朝廷に失礼のないように!」ということで宴会や高価なお土産を用意しなくてはなりません。

わかりやすく言えば、外様大名(関ヶ原後の徳川に従った大名)の力を削ぐ目的もありました。

こっそりお金や武器を蓄えられて、反乱を起こされてはたまりませんからね。

しかも、指南役である吉良上野介にも授業料として高価な贈り物をしなくてはなりません。

この二重の散財で、特に、小さな藩は非常に苦しめられます。

浅野内匠頭は以前にも饗応役を務めたことがあるのですが、その間に物価が大幅に上がったこともあって、かなりの負担と感じていたようです。

浅野内匠頭こと浅野長矩/Wikipediaより引用

 


本当の原因は浅野vs伊達の因縁?

最近では、

【浅野 vs 吉良】
というより
【浅野 vs 伊達】
の問題なんじゃない?

なんて説も出ています。

というのも、接待役となった二人は分家で、本家はそれぞれ42万石の広島藩と62万石の仙台藩です。

この藩の始祖である伊達政宗浅野長政に因縁があり、両家は断交状態にありました。

伊達政宗(左)と浅野長政/wikipediaより引用

親のいうことは子や孫までも。浅野内匠頭と伊達宗春は気まずかったはずです。

本来は、伊達側にキレたいところでしょうが、それをやると浅野本家に大迷惑がかかります。

そこで、キレる相手を、吉良上野介にしたとしたら……ちょっとかわいそう、吉良さん。

ともかく、あと一日でもてなしも終わるという正念場の日に事件は起こってしまいました。

吉良上野介が梶川頼照(かじかわよりてる)という江戸城の役人と立ち話をしていたときだったとされています。

この梶川さんが日記にその時の様子を詳しく書いているので、興味のある方は調べてみると面白いかもしれません。本当はルールを破った浅野内匠頭が悪いんですけどね……。

さて、この後は皆さんもご存知の通り。

あれだけ気を使っていた朝廷へのもてなしを台無しにされて、綱吉は当然怒り心頭。

浅野内匠頭は、即日切腹を申し付けられました。

意外にも、浅野内匠頭は粛々として命令に従ったそうです。

「恨みがあるのは上野介であって、お上に逆らう意志はない」と言っていたそうなので、もしかするとはじめから覚悟していたのかもしれません。

そして約一年後、四十七士の討ち入りが起こります。

忠臣蔵/Wikipediaより引用

 


討ち入り即ドラマ化決定!

当時としてもこの事件はビッグニュースでした。

世は元和偃武以来の平和の時代。

つまり「チャンバラやめて穏やかに行こうぜ!」という雰囲気が定着してきていたからです。

その中で乱暴なやり方とはいえ、忠義を尽くして討ち入りを果たした赤穂義士達は、一躍時の人になります。

こうして忠臣蔵は庶民に深く愛されていく物語になったのですが、実は討ち入りの前に既に舞台化されたことがありました。

もちろん、討ち入りの部分は含まれていません。

『東山栄華舞台』という演目で、名前や場所は違うものの、明らかに浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかるシーンを意識した場面があったそうです。

しかも上演したのが江戸の山村座だというのがまた何というか、度胸のある話です。

お上に見つかったらお咎めをくらいそうなものですが、平気だったんでしょうか。

討ち入りのあった後は、年が明けてすぐ討ち入りシーンまで入った舞台が上演されていたそうです。

討ち入りは12月14日……ということは、年明けまで半月?

半月で脚本書いて、稽古して、上演したってことですよね??

さらに、上演場所は京都。

仕事が早いってレベルじゃねー!


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
山本博文『これが本当の「忠臣蔵」 赤穂浪士討ち入り事件の真相(小学館101新書)』(→amazon
三田村鳶魚『赤穂義士 忠臣蔵の真相 (河出文庫)』(→amazon
忠臣蔵/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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