人間に備わっている感覚の中で、最も記憶に残るのは「嗅覚」、つまり匂いだそうです。
“たまたま行き交った人が、昔の恋人が愛用していた香水と同じだった”
なんて恋愛小説みたいな話や、ドルガバの歌があるのも、そういった構造に基づいていたんですね。
となると、匂いに関する記憶の中に、私たちが先祖代々受け継がれてきたものもあるわけで。
9月24日は「畳の日」です。
現代では洋室に住んでいる人も多いですけれども、たまに和室に入ると何となく落ち着いたり、懐かしい気持ちになりますよね。
おそらくは、畳が日本という国の形成とともに発達・普及してきたからではないでしょうか。
長い長い畳の歴史をほんの少しご紹介していきましょう。
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語源は「たためるもの」 当初はゴザか筵
「畳」の語源は「たためるもの」。
つまり元々は敷物全般を指していた言葉でした。
単語としては、神武天皇や景行天皇の和歌にも出てきています。
といっても、その頃の「畳」は現在のような厚みのあるものではなく、ゴザか筵(むしろ)を意味していたようです。
今日のような造りのものが「畳」と呼ばれるようになったのは、平安時代だと考えられています。
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この頃には厚みが出ていたため、たたまずに置きっぱなしで使うようになりました。
当初は部屋一面に敷くのではなく、貴人の座る場所や寝所の一部に敷くものでした。
天皇の生活の場だった、皇居の清涼殿が良い例です。
天皇が執務を行う「昼御座(ひのおまし)」や休息所である「御帳台(みちょうだい)」、寝室の「夜御殿(よるのおとど)」などには、畳が二枚敷かれ、その上に天皇の席などが設けられています。
書院造りや茶室でも用いられるようになり
その後、畳は公家の屋敷でも使われるようになりましたが、やはり部屋の一部だけに使われていました。
また、身分によって畳の大きさや縁に使える色・模様が決まっていたため、インテリアとしての意味合いもあったと思われます。
百人一首かるたの遊び方の一つ「坊主めくり」で、「姫」と呼ばれる女性の札の下のほう、畳の縁にあたる部分が派手な色になっていますよね。だいたいあんな感じです。
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鎌倉時代以降は、板間より畳敷きの家が一般的になりました。
これによりほとんど畳を移動させることがなくなったため、更に分厚い作りに変化。
書院造りや茶室など、テストでお馴染みの建築にも畳は欠かせないものとなっていきます。
とはいえ、それはある程度身分の高い人の話です。
庶民にとって畳が馴染み深いものになるのは江戸時代以降でした(農村ではさらに遅く、明治に入ってからだといわれています)。
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