食・暮らし

絶滅寸前まで追い込まれた和犬(地犬)の歴史~原因は維新と戦時毛皮供出運動だった

11月1日は「犬の日」です。

そこで質問してみたいのですが、日本原産の犬って何種類いるのか、ご存知でしょうか?

数え方が少しややこしいながら、以下の合計11種類。

・和犬6種類

・かけ合わせの日本犬5種類

具体的には次のように分類されます。

【古来の和犬】
秋田犬
甲斐犬
紀州犬
柴犬
四国犬
北海道犬

【それ以外の日本犬】
(ちん)
土佐闘犬
日本テリア
日本スピッツ
アメリカンアキタ
(参考:わんちゃんホンポ

いかがでしょう?

想像すると、思わず目を細めてしまう、可愛く凛々しい和犬の姿がアタマに浮かんできませんか?

しかし、現実問題として見ますと、和犬はあまり人気がありません。

ジャパンケネルクラブ発表の【2016年・登録数ランキング】から抽出させていただきますと……(参考)。

5位 柴犬
29位 日本スピッツ
32位 狆
36位 秋田犬
49位 甲斐犬
63位 日本テリア
98位 北海道犬
102位 土佐犬
105位 四国犬
124位 紀州犬

全133種のうち、最高が柴犬の5位。

それもかなり健闘しているほうで、他は、著名な秋田犬ですら36位、半数近くが下位グループに属している印象です(アメリカンアキタは登録ナシ)。

一体ナゼなのか?

単純にビジュアル面や懐きやすさから不人気というのもあるかもしれませんが、そもそも【数が少ない】ことも影響していると思われます。

実は和犬には、数が急激してしまった受難の時代があったのです。

それは先の大戦でした。

 


犬と日本人の関係は?

日本人は、縄文時代から多くの和犬と共に暮らしてきました。

縄文人と縄文犬の復元模型(国立科学博物館)/photo by Momotarou2012 wikipediaより引用

しかし、長い歴史の中で、必ずしも幸せに共存していたとは言い切れません。

弥生時代の遺跡からは、食用にされた犬の骨が見つかっています。

そして、太平洋戦争後の食料難の頃まで、犬を食することがありました。

もともと日本では【肉食がタブー】であり、表だって食べる機会は少なかったものの禁を破ることはしばしばあり、伝統的に犬食が存在しなかったというのは誤りだったのですね。

映画『仁義なき戦い 広島死闘編』でも、親分・広能昌三に精をつけさせるため、子分たちがコッソリと犬を捕獲、焼き肉として出した場面がありました。

それどころか興福寺の僧侶が記した『多聞院日記』にも犬だけでなく猫を食した記録が残されていて、ルイス・フロイスも「日本人は野犬・鶴・猿・猫を食べる」と記しています。

犬肉は、タンパク源として貴重な存在でもあったのです。

武家の時代には、犬を的にして弓術の訓練に励む「犬追物」という武芸も登場しました。

犬追物の様子/wikipediaより引用

矢には、殺傷力の低い特殊な鏑矢を使用したそうですが、それでも犬のストレス、恐怖、痛みは相当なものだったでしょう。

犬と日本人の不幸な関係といえば、豊臣秀吉を挙げないワケにはいきません。

秀吉は【ペットの虎】のため、生きたままの犬をエサに与え、人々に献上を命じていたというのです。

 


「生類憐れみの令」で犬の待遇が改善

人と犬の関係がガラリと変わるのは、徳川綱吉の時代からです。

徳川綱吉/Wikipediaより引用

皆さんもご存知であろう犬公方様。

生類憐れみの令は、何かと評判よろしくないですが、簡単にまとめると「いのちをだいじに」ということです。

法令自体は複数に渡って何度も出されたもので、

『生類憐れみの令』

という名前の法律が一つだけドーン!と制定されたわけじゃありません。

あくまで総称であり、施行は1685~1709年の間でした。

生類憐れみの令
生類憐れみの令は日本人に必要だった?倫理観を正した“悪法”に新たな評価で考察

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その中身を見てみますと、

・子供を捨てない

とか

・家の中で死なれると嫌だからと言って重病人を追い出すない

など、現代人からすれば、ごく普通なことも含まれていたりします

というか、そんな指摘が多く、決して悪法とも言い切れないのです。

戦国時代にあった「命を軽んじる傾向」や、平安時代からあった「死の穢れを嫌うあまり人道性を拒否する傾向」など、倫理的にあまり好ましくない部分が改善されたのは、この令のおかげという面もあります。

そして、その倫理面を大切にしよう――という趣旨の中に、犬の命も含まれていました。

 


大名や上流婦人の間でも愛玩犬が浸透

以来、人と犬の関係性は劇的に変化していきます。

古くは、人にとって、おぞましく、おそろしい生き物だった犬。

死体をあさったり、野犬が子供を噛み殺したり、悪いイメージが先行しておりましたが、「生類憐れみの令」を機にいざ飼育してみると、これが可愛らしいじゃないですか。

飼い主の代わりに犬が伊勢詣をしてくれる――。

後にそんな風習が生まれたのも、徳川綱吉のお陰だったんですね。

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そうこうするうちに庶民だけでなく、大名や上流婦人の間でも、愛玩犬を飼育する人が増えました。

中でも人気だったのは小型犬の狆。

中国原産の犬で、最も古い記録が奈良時代――という日本原産犬の一種になります。

狆は、女性の間で大人気でした。

 

幕末の動乱と犬たちの運命

時は幕末。

来日外国人たちの犬を見て、日本人はショックを受けました。

まず体格が立派で、見た目が美しいのです。しかも賢く、呼べば走って来て、飼い主と交流する――その姿は衝撃でした。

犬の知能の差というよりも、しつけの問題が大きいでしょう。

しかし、当時の人はそう思いませんでした。

江戸時代、犬は「里犬」と呼ばれ、個人ではなく村落や集落単位で飼育されていました。現在の「地域猫」のような飼育方法ですね。

もちろん個人で飼う場合もありましたが、こうした共同体の「里犬」が多数派だったのです。

ところが西洋人は、個人単位で首輪をつけて、綺麗に手入れしたりするではあーりませんか。

『日本の犬はみすぼらしいが、洋犬は立派で賢いなぁ』

そんな偏見が醸成されたのも、犬の飼い方が影響しているのでしょう。

そもそもが、生まれからして全然違います。

日本では、周囲で里犬が産んだものをもらってくることが大半でした。

狆のように血統があり、姿形にこだわって繁殖させる場合もありますが、大半の人にとって犬は【タダで貰える価値のない】存在です。

その一方で、西洋犬は見た目からしてステータスシンボルのカッコ良さ。

人々はこぞって買い求めるようになりました。

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