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【仁徳天皇】
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ピラミッドと同じく公共事業!?
そんなこんなで何かとネタやツッコミどころに溢れている仁徳天皇ですが、人の身であるからには死が訪れます。
仁徳天皇が葬られているとされるのが、日本史の教科書にも必ずデカデカと掲載されている「大仙陵古墳」です。
上記のような情の深い逸話で知られる仁徳天皇が、このようなデカイ墓を作る苦役を課したというのは、なかなかピンと来ない感じもしますね。
ここからは私見ですけれども、もしかすると、仁徳天皇の晩年に何か大きな災害か飢饉があり、その間の公共事業として大仙陵古墳の造営が行われたのではないでしょうか。
ピラミッドの公共事業説と被ってしまいますが、大仙陵古墳の場合は「間違いなく実用性がある」というところがキモになるのではないか、と思います。
実用性の程度は別として、天皇の墳墓は間違いなく必要なわけですから。
「お墓が必要」
「造るのに人出が必要」
「でもこの前の災害で民に元気がなくて無理そう」
「なら、食べ物あげる代わりに働いてもらえばよくね?」
「それだ!」(※イメージです)
ということがあったとしても、別段おかしくはないのかな?と。
まぁ、「荒れてしまった田畑を整備し直す人手はどうするんだ」という問題もありますが……皆で収穫の得られない田畑を直している間に飢え死ぬより、田畑の人出を減らす代わりに他所で働いて食べ物をもらってきて、皆で分けるほうが生き残れそうですよね。
働くほうの心情としても「昔、税を免除してくれた方のために、立派な墓を作るんだ」というのなら、そこそこモチベーションは上がるんじゃないでしょうか。
仁徳天皇の治世中には大規模な治水工事や土木工事もいくつかやっているので、
「今度は墓作りか」
「水が出ない分楽じゃね?」
「何とかなるっしょ」
みたいな感じだった……かもしれません。
免税のきっかけになった件を恨んでいる人もいたでしょうけれども、民草の気持ちはほとんど記録に残らないので、これまた想像の域を出ませんね。
仁徳天皇は83歳で亡くなったといわれていますから、一般人は完全に世代交代が終わって誰も覚えていなかった可能性も無きにしもあらず、ですし。
360度水なのに盗掘犯はどう渡った?
そんなこんなでせっかくできた大仙陵古墳。
後世の人にはあまり大事にされないこともたびたびあったようです。
戦国時代に豊臣秀吉が狩りをしていたとか。江戸時代には盗掘に遭っていたとか。
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なかなか恐ろしい記録が残っています。
皇室でなくても、普通、お墓っておっかなびっくり行くものだと思います。
というか、皆さんご存知の通り、この古墳の周りって360度濠になっており、わざわざこれを越えて狩りとか物取りとか頭おかしい(直球)。
秀吉は船で渡ったと思いますが、盗掘犯はどうしたんですかね。泳いだらめっちゃ不審ですし。それともプロの盗人ともなると、その辺の対策も万全なんでしょうか。
現在は宮内庁が天皇陵の調査・立ち入りを認めていないため、大仙陵古墳のナゾも解明に至っていません。
明治時代に調査が行われたこともあったようですが、その記録は関東大震災で焼失。
たぶん「調査チームの中に不届き者が紛れ込まない保証がない」というのもあるかもしれませんね。
ついでにいうと、大仙陵古墳にはお供の古墳(陪塚)が15ヶ所ほどあったそうなのですが、そのうちいくつかは戦後の土木工事のために土を使われて、なくなってしまったのだとか……。
陪塚には親族や臣下が埋葬されているものなので、いずれにせよ墓荒しということになってしまうのですけども、やった人はそれを知ってたんですかねえ。
墓荒らしはアカンですよ(´・ω・`)
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
百舌鳥古市古墳群/公式サイト
仁徳天皇/Wikipedia
大仙陵古墳/Wikipedia