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三島弥彦67年の生涯~いだてん生田斗真さんが演じる日本初の五輪短距離選手

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ストックホルム五輪に参加したが……

明治45年(1912年)。
三島は、総勢わずか四人でストックホルム五輪に参加しました。

選手は金栗と自身の二人だけ。

随行員合わせて四人という少数メンバーであり、彼らが日本初の五輪代表です。

日本選手は欧米選手と比較すれば圧倒的に不利であり、好成績は期待できません。

それでも次に望みを繋ぐため、スポーツの灯をともすため、彼らは参加したのです。

三島は入場の際、旗手をつとめました。

日本選手団のあまりの少なさに記者たちは憐れみすら感じたものの、その心意気はつたわりました。

ただし、現実は甘くありません。

競技当日。

短距離100メートル予選に出場したところ、アメリカの選手等と同組で走ったところ、いきなりトップに1秒以上の大差をつけられる予選敗退。

200メートル予選も最下位。

400メートルでは一次通過こそしたものの、右足の痛みにより敗退してしまいます。

精神的なプレッシャーもあったようです。

エリート育ちの三島は、ライバルに食らいつく雑草タイプの金栗とは違い、挫折を知らないゆえにメンタルがやや弱かったようです。

三島は大会後、金栗と雪辱を誓いました。

金栗は、競技中に脱水症状となって農家の家に迷い込み、棄権してしまったのです(後に◯年ぶりにゴールの表彰を受けますが……)。

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五輪後は金融マンとして一生を終える

次のベルリン五輪は、第一次世界大戦のために中止。

金栗はそれでもめげずに大正9年(1920年)第7回アントワープ大会、大正13年(1924年)第8回パリ大会に参加。

一方で三島は、五輪挑戦は一度のみとなりました。

彼は五輪翌年の大正2年(1913年)に帝大を卒業すると、兄・彌太郎のいる横浜正金銀行に入行。

金融マンとして一生を終えました。

そして昭和29年(1954年)、死去。

享年67でした。

金栗とは違って生涯をアスリートとして捧げたわけではない――。

それでもアスリート時代は華やかなスターで、青少年に圧倒的な人気を誇っていたのが三島です。

なお、金栗四三と並んで大河『いだてん』の主人公となる田畑政治(たばたまさじ)は、水泳競技の功労者となります。

田畑は1932年のロサンゼルス大会から水泳の参加を目指し、日本のために尽力し、戦後は、1964年東京オリンピックの開催にも漕ぎ着けるのでした。

詳細は以下の関連記事をご覧ください。

 

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文:小檜山青

【参考文献】
『快男児 押川春浪 (徳間文庫)』横田順彌(→amazon
『朝日新聞100年の記事にみる〈7〉スポーツ人物誌 (1979年)』(→amazon

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