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【江戸~明治時代の日露関係】
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蝦夷地に迫る外国船 それでもヤル気ない松前藩
寛政8年(1796年)、今度は思わぬところから蝦夷地探険の西洋船が来ました。
イギリスです。
ウィリアム・ロバート・ブロートンの指揮するプロヴィデンス号が、蝦夷地まで来たのです。
松前藩はろくに対処ができません。
ロシア以外の国も迫っているばかりか、幕府が日本領と意識していた「エトロフ」や「ウルップ」といった島にまでロシア人が住み着き始めておりまして。
しかも幕府がイラついたのは、松前藩がそうしたことを把握していないだけではなく、知ったところで無関心だったことです。
ロシアは、次にレザノフを派遣してきました。
ロシア外交官ニコライ・レザノフ 諸国に翻弄された報われない生涯
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日本と交易を結べないレザノフも気の毒ですが、日本側もロシアとの交渉に疲弊し、ギリギリでした。
レザノフが病気で弱ることは、日本にすればラッキー。我慢強く交渉を続け、そして彼は失敗します。
報復措置は、文化3年(1806年)起こります。
アイヌのクシュンコタンをロシア船が襲撃し、掠奪を行ったのです。
奥羽諸藩の蝦夷地警備のキッカケとなる事件で、ロシア側の暴虐だと認定されがちです。
しかし、レザノフとの交渉を真面目に履行しなかった幕府にも大いに反省点はあるでしょう。
このあと奥羽諸藩は蝦夷地に向かいロシアと戦闘になりますが、不利なことばかりだったようです。
皮肉なことに、戦う気満々だった会津藩と、ロシアは戦闘の機会がありませんでした。
ロシアから圧迫され続けた樺太の歴史 いつから日本じゃなくなった?
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ここで考えなければいけないのが、日本とロシアが揉めた結果、アイヌの地域が被害を受けているということです。
大国に飲み込まれる危機感を彼らが感じても、無理はありません。
幕府の対応もお粗末なのです。
「外国船は打ち払うべし!」の一点張りで放置し、ロシアが再三交易を依頼し、アイヌも困り果てていたのに、結局、有効な対応策は見いだせませんでした。
そして文化8年(1811年)には、千島列島測量を行っていたディアナ号のゴローニンが、幕府役人に捕縛される事件も置きます。
実はペリーが来るはるか前から、日本はロシアを通じて体制に揺さぶりが掛けられていたのです。
そしてその間には、踏みつけられるアイヌの人々がいたことを、忘れてはなりません。
「何とかしないと…俺たちは大国に飲み込まれてしまう……」
『ゴールデンカムイ』は、主人公・杉元をはじめ、日露戦争を戦った軍人が多くおります。
しかし、ロシアとの対立軸はあくまで過去。
回想の場面ばかりがほとんどでした。
それが2018年夏発売の14巻後半の「樺太編」から、変わってゆきます。杉元は谷垣らとともに、樺太へ上陸するのです。
彼らが旅する樺太には、ロシア人が数多く暮らしています。
登場人物の一人はロシア語スキルを披露し、通訳として活躍。
杉元のグルメ趣味には、ロシア料理も追加されました。
彼らはかつての敵と交流し、互いに助け合ったりもするのです。
この「樺太編」では、アイヌの戦士であったキロランケには、ロシアとの深いつながりがあることも明かされてゆきます。
「何とかしないと…俺たちは大国に飲み込まれてしまう……」
そう口走るキロランケ。
彼の絶望、戦闘的な人生は、まさにこの絶望が背景にあったとわかるようになります。
★
漫画をキッカケに、日本とロシアの歴史をたどる。
それもまた興味深いと思いませんか。
キロランケ、アシリパの父・ウイルク。
彼らのようなアイヌの人々を苦しめた“大国”とはどのようなものであったか。
そうすることで本作の奥深さも見えるはずです。
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文:小檜山青
【参考文献】
『黒船前夜 ~ロシア・アイヌ・日本の三国志』渡辺京二(→amazon)
『国史大辞典』