麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第34回 感想あらすじ視聴率「焼討ちの代償」

2020/11/30

元亀2年(1571年)9月――。

織田信長は比叡山延暦寺へ攻めこみ、僧侶やそこで暮らす人々を、男女の区別なくことごとく殺害。大きな打撃を与えます。

覚恕は逃げた……と、尋問した従者から聞く光秀。座主である覚恕は東国へ向かったとのことです。

「この者、斬り捨てまするか?」

そう伝吾に問われ、光秀は葛藤しつつ声を絞り出します。

「放してやれ」

一方、大惨事を引き起こした信長は、綺麗な透き通った、幼い子どものようなキラキラした目をしています。

うーん、この信長……。無心の顔はすごく美形に見える、染谷将太さんの年齢不詳の端正な顔が映えるけれど……表情がつくと、すごく歪むというか、感情がむき出しになって怖くなる。だからこその信長だと感じます。

柴田 勝家が、そんな信長に報告します。

坊主どもはことごとく討ち果たした。比叡山は死に絶えたも同然である!

と、無邪気に喜ぶ信長。

「よし、皆のもの、大儀であった!」

エイエイオー! エイエイオー!

勝家が晴れやかな一方、光秀は複雑な表情をしています。

 


光秀に対する褒美は志賀の地2万石

光秀は、布で包まれた生首の検分をしています。

その首に一礼。生々しい描写が続くことに注目ですね。

最近は、昔よりもこの手の残虐表現に気遣うようになりました。遺体の映像が出る前には、テロップ表示も出る。

そういう時代に、いくら本物ではないとはいえ、遺体をこれだけ見せる意図はあると思います。

信長は、満足そうに語りかけてきます。

「十兵衛。そなたの申す通りであった。高僧どもは皆この近くで見つかった!」

そして、覚恕のもとにいた坊主どもの首を見るか?と聞いてくる。猫が鼠の死骸を持ち込むような軽さでそう言い切るのです。

光秀はこう断ります。

「先ほど検分いたしました」

そうか。信長はそう応じながら、此度の勝ちは光秀あってのもの、明智の一党も活躍したと褒め称えます。覚恕は逃したが、山中の者はほぼ全て討ち取った。そう勝ち誇るのです。

光秀は苦しそうに、全ての者を討てという下知に背き、自分の一存で女子どもは逃したと言います。

そのうえで「お許しくださいませ」と頭を下げて、訴えるのでした。

「それは聞かぬことにしておこう。他の者なら、その首刎ねてくれるところじゃ」

信長はそう言いながら光秀の前にしゃがむ。

何気ない動きのようで、甲冑をつけながらこうすることは大変だと思います。それを染谷さんは軽々とこなす。

そして光秀の胸を叩きながら言います。

「山中に巣食う女子どもは、ここに刃を忍ばせておる。いずれわしらに牙を剥く。以後は、皆殺せ」

そう言い切り、にっこりと笑う信長。

此度の一番の手柄がそなたであることに変わりはない、とケロッとしている。そして、この一帯、志賀の地・領地二万石を光秀に与えると約束しました。それが褒美であると。

しかし……信長も、私たちも、わかっていないことがあるかもしれない。

光秀にとって、血で贖ったような領土や功績は、むしろ重荷になること。信長はそんな心を見ようとすらしない。

信長のこの比叡山焼き討ちを、大袈裟だとか、ありえないとか、自業自得だと庇うことも、当時のことや被害者の心を見ようとしていない。

光秀だって、ああも積極的に参加したからには、大河で描くような甘ったるい英雄のわけがない――そんな意見があるとすれば、人間心理を単純化しすぎではないでしょうか。

罪悪感とともに悪事を働いた人もいる。その心を、もっと見ていくべきかもしれない。

 


激怒する将軍

京の二条城では、将軍義昭が激怒しています。

三淵藤英も、摂津晴門も、ここまでのことはないはずだと言っていた。

それなのに、女子どもまで斬られた! 城内に運び込まれたものの有り様を見よ!

そしてこう言い切ります。

「なにゆえ、この戦を止めようとしなかった!」

そう怒る将軍に、摂津晴門はのらりくらりと返します。

いかな田舎者の信長といえど、叡山には指一本触れられない――覚恕もそう言っていたし、打つ手がなかった。

義昭は苛立ちながら、田舎者だからこそそれがやれると思わなかったのかと問い詰めます。

「信長は何をしでかすかわからぬ男ぞ!」

そう信長の本質を突きつつ、京雀の目線も伝えます。

幕府は信長の言いなりで、叡山滅亡の片棒を担いだと囁かれてしまう。仏門の灯りが消えて闇になるのは、幕府が無能だからと言い募るのです。

宗教と人心の不可分だなぁ。こういうドラマを、今年こそ見たかった。

コロナ禍のもと、宗教にとっても大きな分岐点を迎えると指摘されている。人の命を救うはずの宗教が、その施設や礼拝によりむしろ危険であるとわかったとき、人の心は神とどう向き合うのか? そういう瀬戸際です。

人類と神の向き合い方の、ひとつのターンが劇中の時間軸――信長は、どの時代、どの国でもごく少数現れる、何をしでかすかわからない存在なのです。

 

大和の代理戦争

晴門は、義昭に責任転嫁します。

上洛を助けた大恩人だから、信長に遠慮があると。

しかし義昭のメンタルも以前より強くなってきていて、そなたにも遠慮というものがあるのかと、晴門に嫌味を言い返します。

晴門は、毒を含んだ口調で問いかけます。この際はっきりと、信長との関わりを絶つ覚悟はあるのか?

横から三淵藤英が、そんなことできるのかと問い詰めると、可能であると晴門はいう。では、どのようにして?

答えは“代理戦争”。

筒井順慶
vs
松永久秀

筒井は幕府側、松永は救援を織田に求める。そこで旗幟鮮明にすれば勝算があるという目論見です。

藤英の問いに対し、晴門は、周辺の大名に声をかければよい、戦は数を集めたものが勝つ、田舎大名に頭を下げたくない大名に呼びかけると言うのです。

しかし、これはある意味、悪魔に魂を売りかねない流れでもありますね。

信長を排除しようとすれば、結局戦が起きる。信長に目を瞑って、とりあえず全国統一すれば結果的によいのでは? 人命をただの駒として数え、心なんて見なければできるかもしれません。

義昭に、それができるのか?

そもそも比叡山の焼き討ちだって、摂津晴門ら幕府の古い勢力が私利私欲を優先したのが原因。そういう根幹から目を逸らし、問題を解決しようとして、また新たなトラブルを増やす。そんな濁った流れに突っ込んできます。

義昭は、何かを見失っている。

駒に命ある蜻蛉を土産にしたあたりから、それが現れてきた。

死んでしまった蜻蛉の数にさして意味はない。あるのは、自分の心に従い、命を軽視しかねない流れになってきたことではないでしょうか。

そんな演技がまたも素晴らしいですね。

顔がひきつる義昭に扮した滝堂賢一さん。あの少年のような明るさは消えてゆきます。

首を傾けつつ、どす黒い演技を見せる片岡鶴太郎さん。なんでも顔の筋肉が生理的に動く境地に達しているそうですが、そういう魔法のかかるような空気を、本作は醸し出しているのでしょう。

 


穏やかな国を取り戻すため戦う混沌

駒は二条城で、比叡山から逃れてきた人々の治療をテキパキとこなしています。すっかりたくましくなりました。

筒井順慶がそこにやってきます。

比叡山の戦から逃れた人の窮状を語る駒に対し、順慶は、大和の松永久秀のことを語ります。

東大寺、興福寺……と南部が焼かれてしまった。公方様の力で、大和を穏やかな国に戻したい。そのために松永との戦をしていると言い切るのです。

やむを得ませぬ――そう語る筒井順慶の、この倒錯した状況よ……宗教の矛盾を感じさせます。

混沌とした状況は、門脇麦さんと駿河太郎さんの演技で際立っていますね。

光秀は、比叡山での虐殺を見ています。

瓦礫が崩れ、女子どもの屍が見えてくる。逃げ惑う人の姿がフラッシュバック。

その中で、彼の愛娘である岸とたまも見える。

「父上!」

「父上!」

「岸、たま!」

そう叫ぶと……実は、突っ伏して寝ていただけで、夢だったとわかる光秀。乳母の腕の中では、光秀嫡男・十五郎があやされているのでした。

現実の岸は、左馬助と手習いをしています。光秀がホッとした顔で、娘を見る。と、そこにたまの姿がありません。

煕子といるのかと尋ねると、市場に行ったと聞かされます。

伝吾とともに、珍しい鳥を見に行ったそうです。

 

石つぶてが当たり額から流血するたま

たまは市場で、鸚鵡らしき南国の鳥を見ています。

一見、微笑ましいようで、すぐそばには槍を持った男が護衛として付いています。こういうところに乱世がありますね。

鳥を見て喜ぶたまの額に、どこからか投げられた石つぶてが当たり、頭部から血が流れました。

「たま様、たま様!」

「明智光秀、鬼ッ、比叡の山で何人殺した、鬼め!」

罵倒する者たちを、明智家の護衛たちが追いかける中、藤田伝吾は、医者なら望月東庵の家が近いと聞かされます。

直後、光秀がナンバ走りをしつつ、道を急ぐのでした。

東庵の家につくと、伝吾は「警護を怠るな」と声をかけています。

光秀はホッとしつつ、たまの顔を見ます。そして市場で鳥を見たのかと声をかけます。

「はい」

「どんな鳥だ?」

「南の島からきた鳥で、大層綺麗でございました」

「それはよかった」

たまが丁寧に、はきはきと、敬愛をこめて父に語ります。同時に、伝吾が叱られないよう、市場に連れて行くようせがんだのは自分だと庇うあたりが、たまの優しさです。

そして、南西の国から来た神の教えに美しさを見出すのが、たまの未来でもあります。

光秀は、そんな愛娘にこう言います。

「わかっておる。悪いのは父だ。父が叡山で戦をしたからだ」

ここで駒の横顔がチラリと映る。彼女も、そこはわかっているのです。

 

8文のために死んだ少年

光秀は語ります。

この京都には、身内を失った者が数多おる。そうさせたのは父だ。そなたを左様な目にあわせたのも父だ。

そう謝りる光秀には、娘たちへの愛情が純粋なようで、どこか苦さも滲んでいる。比叡山で見た女子どもたちだって、誰かの妻であり、母であり、子であっただろうに……そんな苦い味が漂っています。

東庵は大きな傷でなくてよかったと笑い、三日後またおいでなさればよいと言います。

東庵と駒に礼をする光秀。

駒が、たまにお手玉を教えようとすると、光秀も美濃の時代を思い出します。

まだ少女だった駒が、伝吾の子どもたちにお手玉を教えていた。

思えば遠くに来たものです。

ここでたまはお手玉を手にして、横に置いて、父にこう言います。

「母上がおっしゃいました。父上はやむを得ず戦をされている。父上は悪くない」

そう無邪気に笑い、お手玉を弾ませる。

すると駒が、十兵衛様にお話があると呼び出します。

話題は、平吉のことでした。

家が貧しく、延暦寺で芳仁丸を500粒を売っていた子。昨日、その母親が息子が死んだことを知らせてくれた。

14歳で、前の日に売り上げを駒にくれた。たった8文! 14歳の子が、8文を残して死ぬのが戦なのだと。

高度な技法です。少年がわずかな金を残して死ぬ。14歳の少年が8文を残して死ぬ。同じことでも、ディテールが細かくなることで、生々しさが増してきます。

戦が起こすそんな責任を、よりにもよって駒から聞かされる光秀。かつて光秀の父が、戦で死にかけた少女として助けた女性が、そう静かに言ってくる。

絶対に逃げられない。運命が人の姿をしてやってきたかのようだ。

おそろしい構図が、そこにはあります。

 

順慶としても板挟みは困る

それから彼女は淡々と語ります。

公方様の側にいれば、何故戦が起きるのかわかる。幕府は信長から離れようとしている。以前のようにはいかない。

そう聞かされた光秀も未然に防ぐと言いますが、駒からその離反の策を聞かされます。

大和での【代理戦争】――これはなにもヤクザ用語でもなく『仁義なき戦い』当時に頻繁に使われていた言葉です。現代でも使いますよね。

筒井vs松永を使い、離反をするつもりだと駒は語ります。

それがまことならば止めねば! 焦り、早速動くことにする光秀。筒井はまだ下京の寺にいると聞かされ、その宿所へ向かうのでした。

光秀を迎えた順慶は「困りましたね……」と言います。

仮に幕府から支援を受けたところで、信長が松永を支援すれば困るわけです。

秀吉ならば、あの目をぎらつかせつつ、信長を敵に回してどうするつもりかと脅しそうに思えますが、光秀はそこまで厳しくはない。

順慶は信長の上洛以来、織田支持だとは言う。

とはいえ、父祖伝来の地に踏み込む松永は捨て置けぬのだと。

そこで光秀は提案します。順慶が大和に戻る前に、堺へ寄り道せぬか?と。堺には今井宗久がいて、茶席を開こうというのです。

なるほど、戦国時代に茶道が発展する理由がよくわかりますよね。

茶にかこつけて、密談ができる。飲食ってそういう経緯で発展してきた一面がありますね。西洋のコーヒーハウスも、世論形成に役立ったそうです。

順慶が、駒殿も付いてくるのかと尋ねると、彼女も丸薬の商いで向かうと言います。

「駒殿もご一緒でしたら……」

順慶はそう言いました。公方様の信任あつい彼女は、いわば幕府側交渉窓口ということでしょう。駒は極めて重要な人物になってきています。

 

順慶・松永・光秀の三つ巴

色鮮やかに踊る獅子舞。堺では、宗久や町民の衣装にしても、異国情緒があります。

今井宗久の館には駒がきています。そして“光秀と話したい方”は、既に2階にいるそうです。

光秀は、順慶に松永がいることを打ち明け、しばしお話なされるますかと聞きます。

「よろしいように」

ここで家来は別室に控えるように言われます。暗殺をしないと安心させるためです。

室内に入っていくと、松永久秀が筮竹を握っていました。昔のフィクションですと筮竹を持った占い師が出てきたものです。かつての定番です。

「埸? 占いですか? 松永様が易を嗜まれるとは意外でございました」

光秀は驚きますが、こちらもそうですよ!

だってこんな筮竹持たせちゃって、動かし方も練習が必要で、大変じゃないですか。手抜きをしていませんね。

すると久秀が占いにこだわる理由を言います。

二年前に母が亡くなったとき。さしたる家柄でもなく、勝手気ままに生きている我が子に道を教えるものがいるのか、母以外に誰がいるのかと言っていた。

あの孔子様も、齢五十を過ぎてからは易占いで行き先を決めていた。

よって、50を過ぎてからは易を立てることにした。

おぬしもそうしろ。

そう言ってくるのです。

はて、これがのちの「ときは今 雨が下知るる 五月かな」にでも繋がってくるのかどうか。物事を決められないとき、いっそコイン投げでもして決めるのは、ひとつの手ではあります。

占いが当たるかどうか。

そう尋ねる光秀に、久秀は言います。なるほどそうかと思うこともあれば、これはいかがかと思うこともある。

「今日はいかがですか? 戦は勝ちますか?」

そう問われると、久秀は目をぎらつかせます。

敵を前にして教えるわけにはいかぬと。

「のう、順慶!」

「しかし、知りとうございます」

さらりと返す相手を前にして、久秀は茶器を突きつける。

「この唐物の肩衝を、1000貫で買うというなら教えよう」

順慶は涼しい声音で言い返します。

四年前、京の大文字屋で見せてもらった肩衝とはちがう。釉薬の流れ方にも趣がない、形もよくない。せいぜい10貫だと。

「見たか、あの初花を」

そう問われ、順慶は今は信長様のもの、あれこそ1000貫の値打ちがあると断言します。

「いかにも」

順慶はここで、久秀からの値踏みが終わりました。もしここで動揺するなり、取引に応じたら? 久秀は自分の持つ審美眼に屈する取るに足らぬ相手と侮り、言いようにできたかもしれない。

しかし順慶が手強い相手だと悟ったのか。刀を持ち、光秀の肩を叩いて、「来い」と誘い出すのでした。

「しばし」と断り、二人は室外へ。

 

信長と義昭は水と油じゃ

久秀は困惑しつつ、「わしにどうしろというのじゃ?」と光秀に訴えかけてきます。

筒井様との戦をやめて欲しい、公方様と信長様の気持ちはわかっているはずだと答える光秀。

けれども、大和国の切り取り次第は信長の認めたこと。それを公方様と筒井が関与し、割り込んできた。公方様が勝手に荒らしているだけ。久秀から見れば、そういう正当な主張もある。

さらに偽らざる気持ちを吐露します。

「わしは大和が好きだ。大和は美しい。それを我が物にしたい、そう思ってきた」

これが久秀の本質だと思います。彼は自分の審美眼、うつくしいものを見出す、そのことに誇りがあるのです。

伊呂波太夫を口説いた時も、彼女の持つ美しさへの敬愛があった。金や権力で彼女を手にすることは、久秀の美意識からすれば醜い。

今週も派手な衣装、そして吉田鋼太郎さんの演技も伴って、美意識の権化のように見えてきます。

そんな久秀に、光秀は美しい誠意を見せる。

焼き討ちの褒美で信長から託された近江志賀の2万石を譲る、それでいかがか?と伝えます。

「おぬしがわしに? 本気か?」

久秀もこれには驚くばかり。光秀はさらりと言ってのける。

「そのつもりで参りました」

「信長殿が承知されると思うか?」

「承知させてご覧にいれます」

久秀は参ったのか、光秀に「ちょっと座れ、座れ、座れ」と三度も言う。「座っております」と光秀は返す。

「左様か……」

ちょっとユーモラスなやりとりです。そこまで久秀は、何らかの美に感動してしまったのでしょう。

ここでお礼を彼なりにしたいのか、久秀は「よいか、わしはな……」と、自分の審美眼が見通したことを語ります。

信長と義昭が上洛して以来、長持ちしないと思っている。光秀がいかに案じようと、いずれ袂を分かつ。

光秀がそれでは困ると困惑しても、久秀は見通しを語ります。

信長は何でも壊してしまう。一方、義昭は守る。古きもの、仏、家柄。

あの二人は、水と油ほどにも違う。久秀は信長が好きだけれど、それでも比叡山をああまでしろと命じられたら、二の足を踏む。そしてこうも言うのです。

「神仏をあそこまで焼き滅ぼすほどの図太さは、わしにはない。あれば天下を取れた……」

光秀は苦しげに顔を覆い、こうしぼり出します。

「松永様と同じでございます! あの戦のやり方は私には……」

「だが信長殿を尾張から引っ張りだし、ここまで動かしてきたのはそなたではないか。比叡山のことは、心が痛む。けれどもあれほどやらねば世は変わらない。おぬしはそう思うておろう? ちがうか? 所詮、信長殿とお主は根が同じときとる。公方様とは相容れぬものたちだ。いつか必ず、公方様と争う時がくる。わしはそう思うておる」

松永様! 光秀は苦しげにそう言うしかない。

そのうえで、久秀はこう続けるのです。志賀の領地を自分に寄越すという心はよし。筒井との戦、いったん止めてもよい。

「まあ茶でも飲もう。順慶を呼べ、話し合おう」

「松永様! かたじけのうございました」

「宗久、話はついたぞ。茶を所望じゃ」

そう重苦しいセリフを、軽くまとめる久秀。

吉田さんの超絶技巧よ! 軽やかに、ユーモラスに、その合間に重い本質をつく表現を入れてくるのでした。

 

信長の甘ったるいノスタルジー

美濃の岐阜城で、漢籍らしき書物を読んでいた信長は、光秀の報告を満足げに聞いています。

これはよいヒントかも。虫のたとえ話とか、独自のセンスのように思われます。

ただ、漢籍ではむしろ虫や小動物を例えに使う話が多いもの。そういう古典の基本にたちもどったことが斬新に思われているのではないかと思います。漢籍知識を使うと、理解がスッキリできることも、本作の特徴です。

光秀は志賀の領地を欲しがらないことに意外性を感じています。これは久秀の美意識ゆえであって、光秀のきれいな心を買ったということでしょう。

心さえあればいい、実際にもらったらむしろ無粋で醜くなる。そういう強烈なまでの美意識を感じます。

けれども、信長は光秀の困惑ではなく、自分のことを語る。

公方様から筒井を助け、松永を攻める計画があった。弱ったと思っていたけれども、松永と戦をせずに済むと喜んでいるのです。

困惑するしかない光秀。信長が、弱ると言いつつも、幕府の思惑のようには動かないことがわかります。あっさりと松永久秀でも切ると示されました。

光秀が困っていると、松永側に立つと公方様との争いになり、都に荒波が立つと信長は言います。

「公方様のご意向に沿うためではないのですか?」

光秀は困惑しつつ、そう確認します。

信長は手にした書物を強く閉じる。感情が仕草に出ます。

「ちがう! 公方様の言われることはいちいち的外れじゃ。相手にしておれぬ。それを思えば帝の仰せになることは、万事重く、胸に届くお言葉じゃ」

信長の中で、帝がどんどん甘ったるい理想像になってゆく。

自分を受け入れてくれた亡き父・信秀が敬愛していたあの帝! 彼の中で、父の思い出と褒め言葉が入り混じり、理想となって輝いているようです。

でも……それは彼の甘ったるいノスタルジーであって、皇室への敬意ではないように思えることも確かであり。

光秀はまた御所に参られたと聞きました、と話を促します。帝の反応が知りたいようで、信長はこう答えます。

比叡山の戦に、帝は理解を示したとのこと。座主の覚恕は弟であり、まことに痛ましき戦ではあったが、やむを得まい。それで都に安寧がもたらせるならよしとしよう、こののちも天下静謐のため働くよう褒められた、楽しみにしておる――。

そうあっけらかんと笑いますが、ここでも信長の欠点が出ている。少しイライラしているのは、これほど自分を理解している光秀なのに、なぜ帝への熱い思いは伝わらないのかと考えてしまうのでしょう。

大好きな人は、自分の気持ちをスッと理解するはず。無邪気で甘えん坊なところがある。そういう信長像だから。

NHKだって、これが斬新だということくらい、わかっているでしょう。だからこそ高橋克典さんに、従来の信長像をイメージした信秀を演じさせたのです。

これこそが新解釈の信長ですが……これはまずい。なぜ、こんなに怖いんだ。

帝の心を守るといいつつ、その弟を死の淵寸前にまで追いやっている。帝に信心があれば心が痛むどころか破壊されかねない、そんな比叡山焼き討ちを堂々としてしている。

しかも、帝が自分の武力や暴虐に恐れをなして、怒らせないように気遣っているかもしれない、そんな可能性を全く考慮していない……。

ピュアといえば、そうだけれども。どうしてこんなに悲しくて、怖いのだろう?

しかも久秀は、そんな信長と光秀は根が同じだと言う。悲しくて怖いもの同士の相打ちが、今年の本能寺なのでしょうか。

これだけ酷いことをしているふたりなのに、ものすごく悲しくて、かわいそうな存在に思えてきてしまう。

世の中を変えるんだから、ちょっと他の人とはちがう根から生えてきて咲いてみる花になろう。勝手に運命にそう決められて、ちがう根だからこそ周囲を苦しめて、罪の意識に悩まされる。

信長と光秀を、こんなに悲しく解釈するとは。

 

帝と京都の怖さ

さて、京の内裏では――。

帝こと正親町天皇が東庵と囲碁を売っています。なんでも、世間ではこんな戯言があるとか。

帝が織田信長を使い、比叡山から覚恕を追い払ったのではないかと。

不埒千万な戯言と一蹴する東庵ですが……ん、待てよ?

信長に対する評価は、当然のことながら時代ごとに変わりました。

今よりもずっと天皇への忠誠が重視された明治から第二次世界大戦終結前までは、信長は勤皇であるとされてきました。

しかし思えばこの説って、私が前述したように帝の弟を苦しめたことを無視しているわけです。

信仰心があればその心をも痛めつける所業でもあると。

ただ、明治以降の国家神道からすれば、天皇家の仏教帰依なんて無視されたのでしょう。足利一門の評価も低い。そう考えると、何かストンとくるものがある。

第二次世界大戦後は、信長が勤皇か、それとも天皇にすら牙を剥いていたのか、さまざまな考え方があります。

はっきりしているのは、本作はなかなか挑発的な歴史観が根底にあるってことですね。

ここで帝は「あるいはそうかもしれぬ」と関白に言ったと漏らします。

東庵が驚くと、関白は呆れたと帝は明かす。

信長は荒々しきものゆえ、あまりお近づけにならぬ方がよいのではないかと苦言を残し帰っていったのだと。

それでも帝は問うてしまう。

信長の他に、誰があの覚恕を叡山から追い払うことができた? 僧侶でありながら、有り余る富と武具で大名を従え、この都を我が物にせんとしたではないか。

そう問いかけます。

なんだろう? 雲も上から声が降ってくるみたい。この帝の言葉は、比叡山焼き討ちを擁護する意見そのものではあるのですが……。

東庵が、信長が参内したことを尋ねると、帝はこう言います。

「褒めて欲しそうであった。褒めてやった。まことを申さば無残な戦じゃ」

ああ、なんという、このおそろしさよ……。そう、これが京都だ。

京都はよいところではある。それは認める。ただ、歩いていて裏表のような、京都らしさを知ると、外から来た者は恐れ慄く、そういう瞬間がある。

ぶぶ漬け問答じみた話です。

むろん、だから京都の人は悪いとか、そういうことではありません。

どういう歴史的な経緯を経て、京都に住む人の意識が形成されていくのか?

そういうことが腑に落ちる気がするのです。

本音と建前を使い分けねばならない。そういうことが学べた気がする。

問題は……信長に、そういう使い分けが絶望的なまでに通じそうにないところですけれども。

そしてこの帝、坂東玉三郎丈は今日もおぼろに漏れる光のような美しさで、このふわっとした感覚が役柄そのものだと思えます。

 

ぶっちぎりの正統派信玄

京都からはるか東、甲斐国では――。

覚恕が織田信長に全てを焼き尽くされた口惜しさを訴えています。

背後には「諏訪大明神」。

その男は、比叡山の痛ましい有り様はつぶさに聞き及んでいると言います。信長は仏法の火を消した鬼である、と。

「覚恕様、憎き信長を、この信玄が討ち滅ぼしてご覧に入れまする!」

数珠を引きちぎる、今週も絶好調の春風亭小朝さん・覚恕。

そしてこの武田信玄。

個人的には、松永久秀よりも「お前がそれを言うか?」感満載、それがこの武田信玄ですよ。

こやつ……風林火山を掲げ、あの真田昌幸を育てた、そんな煮ても焼いても食えない『孫子』マニアのくせに、何が仏法の火だ! それを利用する気満々ですよね。

汚いなぁ。本音と建前を使い分ける器用な大人、実に汚い!

『孫子』と著者の孫武|信玄や曹操など名将が愛用した兵法書の何が凄い?

続きを見る

魏武注孫子
『魏武注孫子』は今も必見の一冊|曹操が兵法書『孫子』に注釈をつけていた

続きを見る

と、憎まれ口を叩きたくなるのも、石橋凌さんが素晴らしすぎるからかもしれない。

一周回っての正統派信玄。

圧迫感が半端ない、そんな武田信玄。

ご本人は『武田信玄』で信長を演じ、そして今回信玄ということに「なんの因果でしょうか」とコメントしているそうですが、因果というか、必然でしょう。

そこまで迫力ある顔、演技力、人間になってしまったということです。おめでとうございます!

これはもう、なんというか、信玄が生きて蘇った感がある。

岐阜県旅行で、織田と武田のはざまで生きた悲劇の女城主・おつやの方関連史跡である岩村城を見たことを思い出しました。

おつやの方
信長の叔母おつやの方の生涯|結婚すること四度 最期は武田家の秋山と結ばれ処刑

続きを見る

岐阜県も、エリアによっては武田領が非常に近い。そりゃおつやの方も苦労するわ。

嫌だなあ、武田信玄、この圧迫感、嫌だなぁ……そういう圧迫感を擬人化した信玄が、画面に映っておりました。

すごいとか、そういうことを超えて、なんだかおそろしかった、とでも言いましょうか。

信玄が幕府につく過程を丁寧に描けばよいという意見もありますが、本作はあくまで織田視点です。

なんだかわからんけど、いきなりなんかすごいやつが敵対心燃やしている!

そういう演出の方が、むしろ効果的ではありませんか。

 

MVP:松永久秀

武田信玄に脳みそ蒸発しかけましたが、いやいや、今回は審美眼の男・松永久秀でしょう。

何よりも、自分の美を見抜く目を信じ、愛する男。そういう一歩間違えると勘違いしたナルシストになりそうな人物像に、吉田鋼太郎さんは命を吹き込みました。

松永久秀像(高槻市立しろあと歴史館蔵)
信長を2度も裏切った松永久秀は梟雄というより智将である 爆死もしていない

続きを見る

ここの松永久秀は、筮竹を持っていた風情もあり、占い師そのもののように見えた。

そしてその言葉からは、こんな言葉を思い出します。

きれいは汚い、汚いはきれい――。

『マクベス』において、主人公マクベスの運命を暗示する、三人の魔女の不思議な言葉です。

マクベスはそこまで悪者じゃない?スコットランド王の統治事情は厳しい

続きを見る

下克上を達成すれば、どんな悪事も綺麗にできる。そういう意味とか、さまざまな解釈ができますが、ここでもグルグルと万華鏡のように回ります。

光秀の心はきれい。でも、そのきれいな心でする戦は汚い。

義昭の心はきれい。でも、その義昭の幕府がすることは汚い。

信長の心はきれい。でも、その心で何もかもを壊し、汚いものを残してゆく。

それに、これは久秀自身の運命でもあるかもしれない。

久秀と光秀のヤリトリでは、東大寺大仏殿焼き討ちはどうなんだ! というツッコミもあることでしょう。

近年の研究では、意図して焼いたというよりも、失火原因であるとわかってきている。久秀主犯とも言い切れない。

では、なぜそうなったのか?

というと、信長が久秀の悪名をことさら後世まで吹聴した結果ではありませんか。

きれいなところもある英雄が、汚い梟雄そのものになる。きれいな大和を、汚い梟雄がおさめようとした。その報いを受けた!

と、なりそうですが、本作はひねってきます。

信長が久秀を責める言葉は、自分自身を棚上げした身勝手なものだとして定義し、久秀はその美意識ごと破壊され、吸い尽くされる、そんな犠牲者となりそうで……今後の運命はどうなるのでしょうか。

結末はわかっていても、解釈次第でこうもおもしろくなるとは。

久秀は、物語に何かを吹き込む存在です。

彼の予言が正しかったと、このあときっと思うのでしょう。マクベスが魔女の予言を思い出したように。

 

総評

武田信玄で思考力が蒸発しそうですが、そういうわけにもいかない。

本作からは、誰かの影を感じる。

それは池端さん世代の、父親の像です。池端さんはインタビューでお父様のことを語っていました。そこからも思うところはあったけれども、たまとのやりとりで見えてきたものがあります。

このドラマからは、戦争の臭いがします。第二次世界大戦の臭いです。

今回、光秀が比叡山で殺された中に我が子の幻を見て、それが夢だとわかり安堵しつつも動揺するあたりに、圧倒的な生々しさを感じました。

我が子にやむを得なかったと言われても、納得していない戸惑いにも、何かがあった。

戦争から帰ってきた兵士が、我が子や孫を抱いた瞬間、ふっと蘇るものがある。自身が手にかけた誰かにも、こんな子や孫がいたのではないか? そう思うことで、罪悪感が襲ってきて、涙がグッと盛り上がってくる。唖然としてしまう。

正しい戦争だった? 仕方なかった?

そうはいえども、この手に残る生々しさは消えん。

たまと光秀の姿は、池端さんとお父様の反映では? そう思えてしまうのです。

我らが父の罪――。

そういう言葉もある。そんな池端さんの父親世代への愛憎が入り混じったものを感じるドラマなのです。

漢籍の知識が豊富で、優しかった父。そんな父が、戦争の話になると暗くなる。こんなものじゃないと言い出す。どうしてなのか? そこへの探求を感じます。

そういう人物像を、池端さんの子世代のハセヒロさんが演じているところが、これまた素晴らしくて。

記憶を継承する意義を感じますし、そういう役柄に彼が選ばれたことは、必然だとも思えるのです。

このドラマで描きたいのは、有名な合戦での武勇だとか、おなじみの場面ではなく、人間の心そのものだと思えます。

信長の人の心に無頓着な無邪気さ。

久秀の美しさを求める心。

義昭の濁る心。

光秀の揺れる心。

そういうものが素晴らしいとは思うけれども、演じる側は長いセリフなり、しゃべりっぱなしの現場で、とても大変だとは思うのです。

歴史はただの豆知識とか、終わったことであるとか。いろいろそういうことは言われる。

でも、そういうもの?

そう単純ですか?

その時代を生きた人間の心を読めば、もっとおもしろいはず。

そんな歴史を探る根源を思い出させてくれるから、今年の大河は見逃せません。こう、心がつかまれるのです。


あわせて読みたい関連記事

比叡山焼き討ちイメージ
信長の比叡山焼き討ち事件|数千人もの老若男女を“虐殺大炎上”は盛り過ぎ?

続きを見る

戦国時代の大寺院
興福寺・延暦寺・本願寺はなぜ武力を有していた? 中世における大寺院の存在感

続きを見る

明智光秀の肖像画
史実の明智光秀はドラマのような生涯を駆け抜けたのか?本能寺までの足跡を辿る

続きを見る

織田信長
織田信長の生涯|生誕から本能寺まで戦い続けた49年の史実を振り返る

続きを見る

濃姫(帰蝶)
道三の娘で信長の妻・帰蝶(濃姫)の生涯|本能寺の変後はどう過ごした?

続きを見る

【参考】
麒麟がくる/公式サイト

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-麒麟がくる感想あらすじ
-

右クリックのご使用はできません
目次