麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第34回 感想あらすじ視聴率「焼討ちの代償」

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順慶・松永・光秀の三つ巴

色鮮やかに踊る獅子舞。堺では、宗久や町民の衣装にしても、異国情緒があります。

今井宗久の館には駒がきています。そして“光秀と話したい方”は、既に2階にいるそうです。

光秀は、順慶に松永がいることを打ち明け、しばしお話なされるますかと聞きます。

「よろしいように」

ここで家来は別室に控えるように言われます。暗殺をしないと安心させるためです。

室内に入っていくと、松永久秀が筮竹を握っていました。昔のフィクションですと筮竹を持った占い師が出てきたものです。かつての定番です。

「埸? 占いですか? 松永様が易を嗜まれるとは意外でございました」

光秀は驚きますが、こちらもそうですよ!

だってこんな筮竹持たせちゃって、動かし方も練習が必要で、大変じゃないですか。手抜きをしていませんね。

すると久秀が占いにこだわる理由を言います。

二年前に母が亡くなったとき。さしたる家柄でもなく、勝手気ままに生きている我が子に道を教えるものがいるのか、母以外に誰がいるのかと言っていた。

あの孔子様も、齢五十を過ぎてからは易占いで行き先を決めていた。

よって、50を過ぎてからは易を立てることにした。

おぬしもそうしろ。

そう言ってくるのです。

はて、これがのちの「ときは今 雨が下知るる 五月かな」にでも繋がってくるのかどうか。物事を決められないとき、いっそコイン投げでもして決めるのは、ひとつの手ではあります。

占いが当たるかどうか。

そう尋ねる光秀に、久秀は言います。なるほどそうかと思うこともあれば、これはいかがかと思うこともある。

「今日はいかがですか? 戦は勝ちますか?」

そう問われると、久秀は目をぎらつかせます。

敵を前にして教えるわけにはいかぬと。

「のう、順慶!」

「しかし、知りとうございます」

さらりと返す相手を前にして、久秀は茶器を突きつける。

「この唐物の肩衝を、1000貫で買うというなら教えよう」

順慶は涼しい声音で言い返します。

四年前、京の大文字屋で見せてもらった肩衝とはちがう。釉薬の流れ方にも趣がない、形もよくない。せいぜい10貫だと。

「見たか、あの初花を」

そう問われ、順慶は今は信長様のもの、あれこそ1000貫の値打ちがあると断言します。

「いかにも」

順慶はここで、久秀からの値踏みが終わりました。もしここで動揺するなり、取引に応じたら? 久秀は自分の持つ審美眼に屈する取るに足らぬ相手と侮り、言いようにできたかもしれない。

しかし順慶が手強い相手だと悟ったのか。刀を持ち、光秀の肩を叩いて、「来い」と誘い出すのでした。

「しばし」と断り、二人は室外へ。

 

信長と義昭は水と油じゃ

久秀は困惑しつつ、「わしにどうしろというのじゃ?」と光秀に訴えかけてきます。

筒井様との戦をやめて欲しい、公方様と信長様の気持ちはわかっているはずだと答える光秀。

けれども、大和国の切り取り次第は信長の認めたこと。それを公方様と筒井が関与し、割り込んできた。公方様が勝手に荒らしているだけ。久秀から見れば、そういう正当な主張もある。

さらに偽らざる気持ちを吐露します。

「わしは大和が好きだ。大和は美しい。それを我が物にしたい、そう思ってきた」

これが久秀の本質だと思います。彼は自分の審美眼、うつくしいものを見出す、そのことに誇りがあるのです。

伊呂波太夫を口説いた時も、彼女の持つ美しさへの敬愛があった。金や権力で彼女を手にすることは、久秀の美意識からすれば醜い。

今週も派手な衣装、そして吉田鋼太郎さんの演技も伴って、美意識の権化のように見えてきます。

そんな久秀に、光秀は美しい誠意を見せる。

焼き討ちの褒美で信長から託された近江志賀の2万石を譲る、それでいかがか?と伝えます。

「おぬしがわしに? 本気か?」

久秀もこれには驚くばかり。光秀はさらりと言ってのける。

「そのつもりで参りました」

「信長殿が承知されると思うか?」

「承知させてご覧にいれます」

久秀は参ったのか、光秀に「ちょっと座れ、座れ、座れ」と三度も言う。「座っております」と光秀は返す。

「左様か……」

ちょっとユーモラスなやりとりです。そこまで久秀は、何らかの美に感動してしまったのでしょう。

ここでお礼を彼なりにしたいのか、久秀は「よいか、わしはな……」と、自分の審美眼が見通したことを語ります。

信長と義昭が上洛して以来、長持ちしないと思っている。光秀がいかに案じようと、いずれ袂を分かつ。

光秀がそれでは困ると困惑しても、久秀は見通しを語ります。

信長は何でも壊してしまう。一方、義昭は守る。古きもの、仏、家柄。

あの二人は、水と油ほどにも違う。久秀は信長が好きだけれど、それでも比叡山をああまでしろと命じられたら、二の足を踏む。そしてこうも言うのです。

「神仏をあそこまで焼き滅ぼすほどの図太さは、わしにはない。あれば天下を取れた……」

光秀は苦しげに顔を覆い、こうしぼり出します。

「松永様と同じでございます! あの戦のやり方は私には……」

「だが信長殿を尾張から引っ張りだし、ここまで動かしてきたのはそなたではないか。比叡山のことは、心が痛む。けれどもあれほどやらねば世は変わらない。おぬしはそう思うておろう? ちがうか? 所詮、信長殿とお主は根が同じときとる。公方様とは相容れぬものたちだ。いつか必ず、公方様と争う時がくる。わしはそう思うておる」

松永様! 光秀は苦しげにそう言うしかない。

そのうえで、久秀はこう続けるのです。志賀の領地を自分に寄越すという心はよし。筒井との戦、いったん止めてもよい。

「まあ茶でも飲もう。順慶を呼べ、話し合おう」

「松永様! かたじけのうございました」

「宗久、話はついたぞ。茶を所望じゃ」

そう重苦しいセリフを、軽くまとめる久秀。

吉田さんの超絶技巧よ! 軽やかに、ユーモラスに、その合間に重い本質をつく表現を入れてくるのでした。

 

信長の甘ったるいノスタルジー

美濃の岐阜城で、漢籍らしき書物を読んでいた信長は、光秀の報告を満足げに聞いています。

これはよいヒントかも。虫のたとえ話とか、独自のセンスのように思われます。

ただ、漢籍ではむしろ虫や小動物を例えに使う話が多いもの。そういう古典の基本にたちもどったことが斬新に思われているのではないかと思います。漢籍知識を使うと、理解がスッキリできることも、本作の特徴です。

光秀は志賀の領地を欲しがらないことに意外性を感じています。これは久秀の美意識ゆえであって、光秀のきれいな心を買ったということでしょう。

心さえあればいい、実際にもらったらむしろ無粋で醜くなる。そういう強烈なまでの美意識を感じます。

けれども、信長は光秀の困惑ではなく、自分のことを語る。

公方様から筒井を助け、松永を攻める計画があった。弱ったと思っていたけれども、松永と戦をせずに済むと喜んでいるのです。

困惑するしかない光秀。信長が、弱ると言いつつも、幕府の思惑のようには動かないことがわかります。あっさりと松永久秀でも切ると示されました。

光秀が困っていると、松永側に立つと公方様との争いになり、都に荒波が立つと信長は言います。

「公方様のご意向に沿うためではないのですか?」

光秀は困惑しつつ、そう確認します。

信長は手にした書物を強く閉じる。感情が仕草に出ます。

「ちがう! 公方様の言われることはいちいち的外れじゃ。相手にしておれぬ。それを思えば帝の仰せになることは、万事重く、胸に届くお言葉じゃ」

信長の中で、帝がどんどん甘ったるい理想像になってゆく。

自分を受け入れてくれた亡き父・信秀が敬愛していたあの帝! 彼の中で、父の思い出と褒め言葉が入り混じり、理想となって輝いているようです。

でも……それは彼の甘ったるいノスタルジーであって、皇室への敬意ではないように思えることも確かであり。

光秀はまた御所に参られたと聞きました、と話を促します。帝の反応が知りたいようで、信長はこう答えます。

比叡山の戦に、帝は理解を示したとのこと。座主の覚恕は弟であり、まことに痛ましき戦ではあったが、やむを得まい。それで都に安寧がもたらせるならよしとしよう、こののちも天下静謐のため働くよう褒められた、楽しみにしておる――。

そうあっけらかんと笑いますが、ここでも信長の欠点が出ている。少しイライラしているのは、これほど自分を理解している光秀なのに、なぜ帝への熱い思いは伝わらないのかと考えてしまうのでしょう。

大好きな人は、自分の気持ちをスッと理解するはず。無邪気で甘えん坊なところがある。そういう信長像だから。

NHKだって、これが斬新だということくらい、わかっているでしょう。だからこそ高橋克典さんに、従来の信長像をイメージした信秀を演じさせたのです。

これこそが新解釈の信長ですが……これはまずい。なぜ、こんなに怖いんだ。

帝の心を守るといいつつ、その弟を死の淵寸前にまで追いやっている。帝に信心があれば心が痛むどころか破壊されかねない、そんな比叡山焼き討ちを堂々としてしている。

しかも、帝が自分の武力や暴虐に恐れをなして、怒らせないように気遣っているかもしれない、そんな可能性を全く考慮していない……。

ピュアといえば、そうだけれども。どうしてこんなに悲しくて、怖いのだろう?

しかも久秀は、そんな信長と光秀は根が同じだと言う。悲しくて怖いもの同士の相打ちが、今年の本能寺なのでしょうか。

これだけ酷いことをしているふたりなのに、ものすごく悲しくて、かわいそうな存在に思えてきてしまう。

世の中を変えるんだから、ちょっと他の人とはちがう根から生えてきて咲いてみる花になろう。勝手に運命にそう決められて、ちがう根だからこそ周囲を苦しめて、罪の意識に悩まされる。

信長と光秀を、こんなに悲しく解釈するとは。

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