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【エルヴィン・フォン・ベルツ】
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伊藤博文は自らを卑下しすぎではないのか?
エルヴィン・フォン・ベルツさんは、つまり、こう言いたかったようですね。
「今までもいいとこいっぱいあったのに、何でもかんでも西洋に同化すればいいと思ってんのかお前ら! 違うだろ! もっと日本人らしく熱くなれよおおおおおおお!!」(超訳)
超訳しすぎた気もしますが、彼が言いたかった意味としては間違ってないと思われます。
ちなみに「我々に歴史はない」と言ったのはビスマルク大好き伊藤博文でした。
秀吉並の超出世で足軽から総理大臣となった伊藤博文~松陰に愛された才とは?
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時代も合いますし、おそらくベルツは直接伊藤に「ちょ、待てよ!」って言いたかったんでしょうね。
ビスマルクは「日本は日本で一人前の国家であることを証明すべきだ」と言ったのであって、日本の歴史や文化を否定したわけじゃないんですけども。あんまり知らなかった可能性も微レ存。
伊藤は「昔の学問は十中八九までは虚学である」=「日本に昔からある学問は学問じゃない」とも言っていたそうで。
ビスマルクやベルツの真意がわからなかったはずはないと思うのですがどうしてそうなった。
まあ伊藤への批判はそこまでにしまして、ベルツに話を戻しましょう。
日本文化を愛し、 火山活動中の草津白根山へも登山
彼は仕事以外でも日本にかなり親しみを持っていたようで、美術・工芸品の保護や歌舞伎鑑賞、剣術家への弟子入りなどいろいろな面で日本文化を愛していました。
また、草津温泉を「ハンセン病に効く温泉」「温泉以外にも、日本で一番良い空気と水がある場所」として本や論文を書いています。
さらには「政府は温泉治療を促進すべき」とし、自らも温泉つきで6000坪もの土地を買って保養地作りを試みていました。金の使い方パネェ。
そして、ついでに近隣の草津白根山(※火山活動中)にも登っています。
しかも記録までつけてます。度胸ありすぎ。
無闇に賛美するつもりはありませんが、この「良いところも悪いところも認めて評価をする」という姿勢はぜひ見習いたいですね。
まぁ、あくまで外国人から見た話で、実際の明治時代は、弱者に非常に厳しい社会だったことも付け加えておきたいと思います。
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長月 七紀・記
【参考】
梅渓昇『お雇い外国人 明治日本の脇役たち』(→amazon)
片野 勧『明治お雇い外国人とその弟子たち』(→amazon)
エルヴィン・フォン・ベルツ/Wikipedia