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【不平等条約の改正】
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外貨が稼げず近代化が遅れてしまう
日英通商航海条約を締結するにあたり明治政府が目指した不平等条約解消の中身は前述の通り
・領事裁判権の撤廃
・関税自主権の回復
です。
領事裁判権の撤廃が割とスンナリ受け入れられたのに対し、関税自主権の回復は遅れます。
これは本来なら日本側に与えられる権利ですが、回復が遅れた理由は、まぁ一言で言えばお金です。
そもそも関税とは、自国の産業保護のため、輸入品に対してかける税金のことです。
関税自体はどの国でもやっていますし、その料率を決めるのも輸入する側の権利。
ただし、経済が厳しい国を助けるために、特別に関税をかけないなどのイレギュラーもあります。その辺は現代史の話なので割愛しますが、個人輸入などに興味のある方は調べてみると面白いですよ。
幕末から明治の日本には、この関税率を自分で決める権利がありませんでした。
当初はさほど暴利というわけではなく、例えば酒類には35%も関税がかかっていたので、自国内の産業保護にはあまり問題がなかったようです。
さらに、神奈川開港の五年後には日本から税率引き上げを要求できる(実際に引き上げられるとは言っていない)ということになっており、それなりに公平に見えました。
しかし、下関戦争(1863~1864年)の後に結ばれた「改税約書」で、「関税は四年間の物価平均による原価の5%」と決められてしまいます。
このため、西洋諸国の製品が大量に日本に入り、国内産業の近代化が著しく阻害されることになりました。
輸出入で外貨を稼げなければ、近代化への投資もしにくいからです。
そんなわけで関税は国家の重要な財源になるため、明治政府にとって関税自主権の回復は大きな目標になったのです。
関税自主権は1911年まで回復されず
イギリスと日英通商航海条約が結ばれると、それ以外の14ヶ国とも同様の条約が結ばれ、この時点ではまだ日本が自主的に関税率を決めることはできませんでした。
「531品目のうち104品目については、相手国と協定の上で税率を決める」というものです。
現代の我々からすると「1/5ぐらいなら相手の言うこと聞いてもいいじゃん?」と思ってしまいますが、実はその1/5の中に綿織物・毛織物・精製糖・鉄鋼など、当時の重要な(=お金を稼げる)品物が多く含まれていたのです。
これらの品目については、条約通りに協定で税率を決めたのですけれども、それは他の4/5の品目と比べて低いものでした。
基本的に関税が低いほど輸出側が儲かるので、この場合は「欧米が得して日本が損をする」という構図は変わらなかったといえます。
もっとゲスくいうと、欧米としては「一応俺らに近づいてきたみたいだから、ちょっとくらいなら譲ってやってもいいけど、ウチが旨味を吸えるコレとソレとアレと(中略)は今まで通り稼がせてもらうから^^」ということになります。
そして日清・日露戦争が終わってしばらく経った1911年、【日米通商航海条約】が新たに結ばれました。
同じ名前の条約が1894年と戦後の1953年にも結ばれていますが、1911年のものが歴史的にも受験的にも最も重要だと思われます。
なぜなら、1911年の日米通商航海条約によって、日本が初めて正式に関税自主権を得たからです。
「第一次世界大戦の3年前」と考えるとだいぶ遅く感じますかね?
しかし「日露戦争から6年後」と考えると、当時は軍事力がモロに直結しているというか、国際社会で実力を認められることの重要性が浮き彫りにされますね。もちろん戦争賛美ではありませんが。
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ちなみに、このときの外務大臣はミスターいい度胸(勝手に命名)の小村寿太郎です。
この人はホントに面白い人なので、また後日ご紹介させていただきます。
ちなみに、治外法権については、現代でも限定的に使われています。
各国の大使館や領事館内です。
「大使館・領事館の内部は、大使が所属する国(駐日アメリカ大使館ならアメリカ)の領地に準ずる」ので、法律もそれに倣うということになっています。
2002年、中国の在瀋陽日本国総領事館へ北朝鮮の亡命者が駆け込んだ事件が大きく報じられたのをご記憶の方も多いでしょう。
日本の領事館の中に中国の警察は入れませんから、脱北者たちは一時的にでも助けてもらえるのではないかと期待して、ああいった行動に出たのですね。
法律関係もややこしくて小難しくてイヤになりやすいところですが、そんな感じで現代との繋がりや違いなどを比較できるのは結構面白いものです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「治外法権」「領事裁判権」「ノルマントン号事件」「関税自主権」