鬼滅の刃遊郭編

『鬼滅の刃 遊郭編』公式サイトより

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遊郭がセーフティネットだと?鬼滅の刃遊郭編で学ぶべきはむしろ大人だ

東京藝術大学大学美術館で3月26日に開催を予定していた『大吉原展 江戸アメイヂング』がSNSで炎上しています。

吉原はポップでイケてる場所――そんなスタンスで取り組もうとしていることがキャッチコピーなどから読み取れるとして、内容の変更や中止の求めも起こるほどなのです。

思えば遊郭の取り扱いについては2021年にもネット上で大きな話題となりました。

鬼滅の刃 遊郭編』です。

「遊郭」を放送するのはいかがなものか?

子供に見せてもいいのか?

ついにはこんな観測記事が出るほど。

「”無限列車編”の次は”吉原遊廓編”という、主人公の竈門炭治郎たちが風俗街に潜入するという話のため、放送倫理に触れる恐れがあるんです」

引用:『鬼滅の刃』アニメ続編計画、フジテレビの調整が難航する「理由」(→link

原作を既読の方はご存知のように、遊郭編では炭治郎と伊之助と善逸が女装して遊郭に潜入し、ド派手な戦いを繰り広げます。

そうした点がマズいとして「原作を改変するのではないか」と懸念されているんですね。

個人的には『それはないだろう』と感じていました。

伏線がかなり巧妙に張り巡らされており遊郭編をカットすることは難しいからです。

しかし、この問題を巡っては思わぬ方向へと飛び火していきます。

「遊郭をどうやって子どもに説明したらいいの?」と困惑する親世代がいるだけではなく、「遊郭はセーフティネットだった」なんて発言までネット上で飛び交うようになったのです。

これは一体どうしたことなのか。

当の大人たちの中に、遊郭が救いの場であるか(あるいはそういった一面もあったと是認するか)のように認識している者がいるとは……子供に説明するどころの話ではありません。

私も天元に倣って、こう言ってみたい。

「ド派手に証明してみせる!」

なんてオフザケではなく、非常に重要な問題であると感じます。

自分なら遊郭をどう伝えるか……いや、そもそも親や大人が「伝えることだけ」に主眼を置くべきなのか。

せっかくですのでその歴史を振り返っておきましょう。

【TOP画像】『鬼滅の刃 遊郭編』公式サイト(→link

 

【譜面】を読むように、相手の立場を考える

「遊郭編」では、元忍である天元が情報収集をしていたことが発端となります。

ド派手なようで実は慎重な天元は、女房三人を使って情報を集めていました。

※以下は天元の考察記事となります

宇髄天元(鬼滅の刃・音柱)
音柱・宇髄天元を歴史目線で徹底考察!その魅力の真髄は誠実さにあり

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そこへ潜入する炭治郎と伊之助と善逸の三名。

遊郭が舞台となる以上、やはり表現に難しい箇所は多々ありますが、結論から申しますと『鬼滅の刃』は巧みに描いていました。

その詳細は後述するとして、では、なぜネット上では「遊郭がセーフティネット」だなんて恐ろしい発言まで出てしまうのか。

まず大前提として5つの問題があると考えています。

問題①~⑤にしてまとめてゆきましょう。

 

【問題①】近現代史、ジェンダー史、民衆史のインプット不足

これは前提事項として確認しておいた方がよい点だと思います。

日本は、近現代史とジェンダー史の教育面が遅れている。

海外では近現代史に重点を置き、過去においてどれほど悲惨な生活を送っていたのか、庶民の生活ぶりという情報に触れる機会は多いものです。

昔はどんな料理を食べていたのか。

どんな最悪の仕事があったのか。

庶民の生活ぶりはどうであったのか。

そういう目線での教育があり、かつフィクションも豊富にあります。

ここが欠落していると、どうにも話が噛み合わなくなってしまう。

『鬼滅の刃』は稗史(はいし・公的な記録ではなく庶民などの民間伝承を含む歴史)を重視する傾向が強いため、実は遊郭編のみならず、難しい問いかけが山のようにあります。

「どうして不死川実弥は手紙の返事が書けないの?」

「なぜカナヲは売られていたの?」

「炭治郎が学校に行かないで働いているのはどうしてなの?」

こういう問いかけに全部しっかり答えていく上では、実は子ども以上に“元子ども”の大人が鍛えられる――それが『鬼滅の刃』という作品です。

 

【問題②】当事者性

語り手の性別も当然関係があります。

作者の価値観も反映されますから、男性作家のフィクションでは憧れの眼差しで遊郭を扱うものも多いものです。落語のような伝統的な観点からもそうなる。

自分が同じ目にあう可能性がないと、どうしたってそこは真剣になれない。そこが限界点です。

これは性別だけではありません。

アメリカで暮らす誰かに「警官を見たらどうしますか?」と尋ねたとしましょう。

黒人と白人では、当然反応が異なるはずです。

そんな状況に対して、白人が黒人に「大袈裟だよw」と言おうものならば問題視されるのは当然でしょう。

当事者性により意見は当然のことながら異なるのです。

◆人種差別抗議運動「BLM」、ノーベル平和賞候補に(→link

 

【問題③】イデオロギーと偏見

非常に厄介だったのがネット上でよく見られたこの問題ですね。

「どうせ遊郭編にケチつける奴いると思ったw」

「遊郭って福利厚生だよ。技術を身につけ、縁談も世話するんだからさw」

「遊郭はアイドルみたいなもんでキラキラだろ、文句つけてどうすんのw」

「ネタにマジレスw」

以下のようなまとめサイトを鵜呑みにしてしまう層です。

◆【悲報】「鬼滅の刃」遊郭編 放送前から大炎上 フェミさんたちから「子供に遊郭を肯定するな」 : まとめダネ!(→link

こんな風に私が指摘すると「ネットから何かを学んでしまおう」という層を非難しているように思われますが、実際はそう単純でもありません。

私は数年前、大手出版社の日本史書籍で遊郭の記載を見つけました。

そこには、遊郭において数少ない恵まれた例外を大きく扱い、「言われているほど悪いものではない」と記されてあったのです。

SNSの投稿ではありません。子どもに向けて丸めた意見ではありません。

大人が読む歴史の本として、研究者監修と銘打ち、そう記載されていた。

他にも不正確な記述が多く、色々と考え込んでしまいました。

これは現在のBLM運動へのニュースをみていても、理解できることでもありますし、繰り返されてきたことではある。

「なんだかんだで被害者連中は大袈裟に言うけど、そう悪いことじゃなかったんだろ」

歴史のうえでの被害を過小化する【歴史修正】です。

女性の性被害は、ただでさえ過小評価されやすいことが指摘されています。

※性犯罪被害者女性がどれほど理不尽な目にあうか、性別を逆転して再現したBBCの動画(英語)

どんな荒唐無稽なことでも、活字の本となっていればそれがある程度受け入れられる。そういう需要があれば供給もある。良心の呵責さえなんとかすれば、そういう本は出版され流通するのです。

遊郭について的外れなことを言う人がいれば、その人の心を割って観察してみましょう。

少し飛ばしまして次は問題④へ。

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