今から80年前――昭和16年(1941年)の12月8日。
南雲忠一率いる機動部隊がアメリカ合衆国ハワイ準州オアフ島にある米軍基地を奇襲しました。
ご存知、真珠湾攻撃です。
世界中に衝撃を与えたこの奇襲。
アメリカ本土でも様々な反応がありました。
その詳細は以下の記事にお譲りさせていただくとして、
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真珠湾攻撃のときアメリカ本土の米軍人たちはアメフトを観戦中?
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それでは日本での反応はどうだったのでしょう。
過去の戦争話ともなりますと、すでに結果が見えていることもあり『強引な判断を押し進めたのは一体誰なんだ』となりがちですが、逆に結果が見えてない人にとっては様々な思いを抱くシチュエーションであります。
当時の庶民はアメリカへの攻撃をどのように考えていたか。
中には、まだ中学生ながら「敗戦をハッキリと予感していた」笠原和夫氏のような人物もおりました。
開戦を喜ぶ人々「ついにこの日が来た!」
奇襲を受けたアメリカが激怒していた頃。
日本では『アメリカとも戦争を始めて、我々の未来は恐ろしいことになる……』なんて声は少数派で、むしろ『ついにこの日が来た!』と喜ぶ人たちが大勢いました。
例えば、徳富蘇峰、太宰治、正宗白鳥、長与善郎、伊藤整、上林暁といった作家たち。
彼らは、真珠湾攻撃を感動と共に受け入れました。
もちろん相応の理由はありました。
当時、日本は国際的に孤立していました。
昭和8年(1933年)に国際連盟脱退を表明してからというもの、世界中から圧迫感で包まれているような状況。
ゆえに、真珠湾攻撃は「虎の尾を踏んだ」というより、むしろ「閉塞感が打破された!」と考える人が多かったのです。
「ついにこの日が来た」というのは、戦争自体を賛美しているのではなく、苦境を打破するキッカケになるのではないか、という期待感だったんですね。
町ゆく人々はラジオを聞き入り、頰を紅潮させていました。
感極まって涙をこぼし、「僕の命も捧げねばならぬ」と思った坂口安吾のような人もいたのです。
かくして庶民の日常生活も急速に変貌しつつありました。
『もうこれからはアメリカ映画を見られなくなる』
太宰治は銭湯からの帰り道、驚きます。
灯火管制を受け、急に道が暗くなったのです。
戦争が始まったとはいえ、いくらなんでも暗すぎるのでは?と感じました。
作家の野口冨士男は『もうこれからはアメリカ映画を見られなくなる』と思い、映画館へ向かいました。
軍監マーチがけたたましく流れ、映画の音声をかき消さんばかりの中、彼はなんとか俳優の口から台詞を聞き取ろうと努力しました。
幸田露伴は、真珠湾攻撃で命を落とした若い男性たちのことを思い、涙をこぼしながら娘の文に語りかけました。
「考えてもごらん、まだ咲かないこれからの男の子なんだ。それが、暁の暗い空へ、冷や酒一杯で、この世とも別れて遠いところへ、そんな風に発っていったのだ、なんといっていいか、わからないじゃないか」
「アメリカに勝てるわけない」とは言えるわけない
大人たちが浮かれる中、笠原和夫という名の中学生は、
「アメリカと戦争したって、勝てるわけがない」
と冷静に考えていました。
映画好きの彼は、日頃からアメリカ映画を鑑賞し、日米の国力差を子供ながらに痛感していたのです。
とはいえ中学生の笠原少年に、そんなことを大きな声で言えるわけがないとも認識しておりました。
笠原少年は、後に『仁義なき戦い』シリーズで知られる脚本家になります。
そして後年になってようやく「映画好きの中学生にもわかることを、なぜ偉い大人がわからなかったのか」と当時を振り返っています。
この笠原少年の経験は『裸の王様』を連想させます。
あのころ日本で
【この戦争は負けるんじゃないの?】
と、表明することは、
【王様は裸だ】
と言うよりはるかに難しいものでした。
王様が「バカには見えない服」を着ていたように、真珠湾攻撃に感動していた大人の目には、日本という国が何か特別なものでも纏っているように思えたのでしょう。
当時44才の作家・横光利一は、こう記しています。
「先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ。自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟を拝したことがついに顕れてしまったのである」
外遊時代に毎晩パリで、伊勢神宮に向かって祈っていた効果が出た、と。
こうした神がかり的なものが、笠原少年には見えない「特別なもの」であったのでしょう。
後世の人間が、真珠湾攻撃後に昂揚する人々のことを振り返ると『一体なぜか?』と疑問を感じるかもしれません。
そこには、当時の人には見えた「特別な何か」があり、かつ人々が実は追い詰められていたことを、考慮する必要があるのでしょう。
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文:小檜山青
【参考文献】
山田風太郎『同日同刻―太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日 (ちくま文庫)』(→amazon)