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【エドワード・モース】
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○日本と中国の違いについて
例えば、
「横浜居留地ではだいたいの仕事を日本人が行っているが、為替取引などの金銭が絡む場では中国人が多い」
「世界中で、銭勘定の速さや偽硬貨の選別に最も長けているのは中国人だ」
としています。
この頃の清は既にアレな感じでしたが、アメリカに渡って新しい生活を始めたり、日本の外国人居留地で仕事を見つけたりして、たくましく生活している中国人がたくさんいました。
現代でも世界各国にチャイナタウンを作っていたり、経済的に成功を収めている中国人が多いあたり、モースの言は正しい気がしますね。
もう一つ、言語的な面で日本と中国を比較した箇所もあります。
モースいわく「日本語には"L"の音がなく、中国語には"R"の音がない。そのため彼らは英語を苦手としている」とか。
現代の我々も、LとRの発音を使い分けるのは困難……というか不可能ですよね。中国の方はどうなんでしょうか。
※以下は英語教育の歴史の考察記事となります
昔から「LとR」が苦手だった日本人~英語学習は黒船前に始まっていた
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旅先で感じたことや和食のことなど
この他、モースが滞在した都市部や漁村、日本での旅先の生活風景が事細かに書かれています。
政府が「西洋に追いつけ追い越せ!」「西洋の真似をして文明国になるんだ!」と躍起になっていたかたわらで、「古き良き日本」を感じて評価し、書き残してくれたモースのような人もいたわけです。
もちろん、他国に学んで良いところを取り入れていくのも大事ですが、日本の良さも残していきたいですね。
最後に、彼自身のちょっとおちゃめなところを少しご紹介しましょう。
モースにとって、貝やその他の海中生物は「研究対象」でした。
しかし、日本にやってきてそれが「庶民の食べ物」であることを聞き、彼はモノの試しに、と自ら口にしています。
「味は悪くない」と感じたようで、その後も度々日本食に挑戦していたようです。
この時代の西洋人としては、結構珍しいタイプだったでしょうね。
「ここ二週間、米とさつまいもと茄子と魚ばかり食べている」と、食傷気味に陥っていたらしき時期も見受けられますが、アメリカへ帰る前に、日本の教授たちがモースのために開いた送別会では、再び日本食を積極的に口にしていました。
このときは鯛や百合根、抹茶が気に入ったようです。
特に百合根については「じゃがいもの素晴らしい代用品になる」とまで絶賛しています。
現代のものとは少し違うかとは思いますが、じゃがいもと百合根って……似てますかね……? 根菜という意味では近いでしょうけれど。
もちろん、彼も日本食の全てを受け入れられたわけではありません。
この送別会で出されたものの中で「銀杏は嫌だった」とハッキリ記しています。まぁ、これは日本人でも好き嫌いが分かれますよね。
別の日の送別会では、食事の後に葉巻やコーヒー、お酒をたしなみながら、お互いの国の手遊びを教え合ったそうです。
指相撲と思しき遊びに興じたり、二人三脚をして遊んだり……と、実に微笑ましい遊びの風景が綴られています。
モースを含め、その場にいたのがほぼ全て大学教授であるということを考えると、余計に。
皆、いい意味で少年の心を持ち続けていたんでしょうね。
他には、西南戦争から帰ってきた政府軍の兵を見かけたり、明治天皇の誕生日式典で初めて花火を見て感動したり、時代をうかがわせるエピソードもたくさんあります。
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『日本その日その日』は「”お勉強”っぽくない歴史モノを読みたい」という方に、ピッタリな本です。
文庫版が出ていますので、ご興味のある方はぜひ。
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長月 七紀・記
【参考】
エドワード.シルヴェスター・モース/石川欣一『日本その日その日 (講談社学術文庫)』(→amazon)