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【殖産興業】
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八幡製鉄所の誕生によって鉄の生産も本格化する
第三期の代表的な事業所としては、日本初の近代製鉄所である【八幡製鉄所】が挙げられます。
富岡製糸場と並んで、この辺の話をするときにはお馴染みの単語ですよね。
実は八幡製鉄所は明治三十四年(1901年)に創業で、富岡製糸場よりずっと後のことです。
明治二十四年(1891年)には計画が出ていたのですが、国会で反対されて予算案が通らなかったために遅れたのでした。
が、日清戦争とロシア対策のために軍備増強の必要性が高まり、そのためには国内で鉄を作れたほうがいいということで、ようやく設置に至ったわけです。
初期の頃は、他の事業同様に外国人技術者の指導・援助を受けていました。
しばらく赤字が続き、利益が出始めたのは明治四十三年(1910年)以降の話です。鉄の原料となる鉄鉱石が国内であまり採れなかったため、黒字化に至るまで苦労が続いたのでした。
一方その頃、清でも、近代化のため色々取り組むようになりました。
例えば中国中部・湖北省の大冶鉄鉱(鉄鉱山)を開発しています。
しかし「鉄鉱石はあるのに、石炭が足りなくて生産できないよ!」ということが発覚。
そこで日清両国の政府が相談し「日本の石炭と清の鉄鉱石をお互いに融通しあう」ことで折り合いがつきました。
日清戦争の後だということを考えると、奇妙なほどの連携ぶり。そのままうまく行っていれば……と思ってしまうのは、現代人のエゴですかね。
この後、義和団の乱の際、欧米と日本の連合軍が乱を収めたので「ウチが乱の鎮圧に一役買ったんだから、優先的に鉄鉱石を回してくれますよね^^」という話になったり、二十一箇条の要求などにも繋がっていくのですが、そこまで扱うとものすごく長くなるのでこの辺にしておきましょう。
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1890年にはストライキも起きていた
こうした世の中の動きは国を富ませていく一方、「経営者・大資本家」と「労働者」の間に貧富の格差を生み出しました。
紡績業の工場で働く女性(工女)や工場の従業員、鉱山や運輸業などで労働問題が発生し、日清戦争後の明治三十年(1897年)にはストライキも起こり始めています。
この辺はまんまイギリスの産業革命と同じですね。
岩倉遣欧使節もそこまで勉強して、予防策を考えるところまでやっておけばよかったんですが。
後から整備するほうが金も手間もかかるでしょうに、それに対する答えの一つが明治三十三年(1900年)の【治安警察法】であれば、もう的外れとしか。
※治安警察法……労働運動を取り締まるために制定され、敗戦直後の1945年11月に撤廃される
労働者だって、普通に働いて普通にお金を稼ぎたいだけなのに、「お上に意見を言うなんてけしからん」と押さえつけてるのは理不尽ですよね。
まぁ、政府側は、何が何でも国力増強=欧米諸国に対抗という考えだったのでしょうけど。
現代でも、ブラック企業の問題が囁かれる一方、「ノー残業」を徹底した結果、優秀な学生が集まるようになって業績が伸びた企業が話題になったりします。
もちろん今は【殖産興業】の時代とまるで違いますが、歴史を振り返って働き方を一考するのも悪くないのかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「殖産興業」「富岡製糸場」「八幡製鉄所」
日本歴史地名大系