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【杉原千畝】
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ウラジオストックの根井三郎も杉原の方針に賛同
それでも残念なことに、翌年、独ソ戦が始まってからリトアニア周辺だけでも数万人のユダヤ人が犠牲になっています。
また、シベリア鉄道のチケットが買えず、途中で命を落とした人も多々いました。
しかし、世界各国には「私の父や祖父はスギハラ氏に救われた」と感謝している人が今もたくさんいます。
そういう輝かしいことを成し遂げた人なのですが、当人の存命中は日本政府から冷遇され続けました。いろいろ小難しい理屈はあるのですけれども、一言でまとめると「政府の命令に逆らったから」です。
これ、インドネシアでの今村均中将も似たようなことを言われていましたね。人道と形式とどちらが大事なのやら……。
旧日本陸軍大将・今村均はマッカーサーも「真の武士道」と認めた人格者だった
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一方で、ウラジオストックにいた総領事代理・根井三郎は、杉原の方針に賛同しています。
やっとの思いでたどり着いたユダヤ人たちに同情した彼は、日本政府へ「日本の領事が出したビザをそう簡単に無効扱いしては、わが国の威信を損なうことになるのでは?」(意訳)と、政府のプライドを逆手にとって抗議しました。
その裏で、本来漁業関係者に与えるはずの乗船許可証をユダヤ人たちに発行し、やはり命を救っています。
杉原と根井は日露協会学校の同窓生とも先輩後輩ともいわれているので、同校の教育が良かったといえるかもしれませんね。
また、外務省は命令を守らない彼らにビキビキしていましたが、ときの外務大臣・松岡洋右は個人的にユダヤ人迫害を嫌がっていたようなので、陰ながら認めていた可能性がなくもないですね。
松岡も昔、ユダヤ人救済のために列車を動かしたことがありますし。
話を杉原に戻しましょう。
終戦から23年後にイスラエルで再会を果たす
リトアニアから強制退去させられた杉原は、その後、ヨーロッパ各地の公使館などを転々。
日本へ帰国したのは終戦後の昭和二十二年(1947年)でした。
その後は一時神奈川県藤沢市に住みましたが、外務省から退職を促されたり、息子や義理の妹を失うなど、不幸が続きました。
昭和四十年(1965年)からは新たに就職した会社のモスクワ支店に配属され、再び渡航しています。
しかし、嬉しいこともありました。
終戦から23年後の昭和四十三年(1968年)、かつてリトアニアを去る杉原を見送ったユダヤ人の一人とイスラエルで再会することができたのです。
なんでこんなに時間がかかったのかというと、「“チウネ”じゃ外国人には読みづらいだろう」ということで、”センポ”と呼んでもらっていたからです。
そのため元難民達が日本へ問い合わせても「誰それ?」と言われてしまって、なかなか見つからなかったのだとか。
音読みと訓読みの違いくらい、ちょっと頭を使えば気付きそうですけどね。
しかし、杉原もいつかは元難民達に会いたいと考えていたので、イスラエル大使館へ行って自分の住所を教えていました。そのおかげで再会が叶ったというわけです。
されど日本政府や国民からは冷遇を受け続け……
その後も日本政府や国民の冷遇振りは変わらず、「ユダヤ人から金をもらってたからやったんだろw」「国賊め!」といったゲスいにも程がある中傷も多々あったといいます。
昭和三十一年(1956年)には「もはや戦後ではない」と言われていたのに、この有様ではへそで茶が沸くどころか蒸発してやかんが焦げ付こうというものです。
一方で、イスラエル政府からは杉原へ「諸国民の中の正義の人」「ヤド・バシェム賞」などが贈られたり、それ以前に他国からも「彼の功績を認めないのはおかしい」と高く評価されていました。
日本で彼の偉業が公式に認められたのは、彼が亡くなってから14年も経った平成十二年(2000年)のこと。
それでも外務省の中には反対する人がいたとかいないとか。まったく。
ただ、その頃から杉原を取り上げる番組や書籍が多数出てきたことで、現在では輝かしい日本人の一人として知られるようになってきました。
厳密にいえば迫害が起きないことが一番なのですが、彼の功績は功績として、これからも語り継いでいきたいものです。
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長月 七紀・記
【参考】
白石仁章『杉原千畝―情報に賭けた外交官―(新潮文庫)』(→amazon)
杉原千畝/Wikipedia