光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第29回「母として」露わになる道長の欠点とは

2024/07/29

長保3年(1001年)正月、天皇に屠蘇を献じて、一年の無病息災を祈る儀式が行われています。

帝が飲みきれなかった薬を飲み干す――名誉の役目を担ったのは藤原宣孝。

当時はごく一部の人しか飲んでいなかったお屠蘇が、時代がくだるにつれ庶民にまで広まり、現代ではごく当たり前に普及しているのです。

元々は『三国志』でおなじみ、伝説の名医・華佗が生み出したとされます。

宋代でも、正月に屠蘇を飲む記録があるものの廃れていったようで……打毱、鳴弦の儀、抹茶、下駄、褌など、中国由来でありながら、現在では日本にのみ残された伝統の一つです。

 


受領功過定にて

名誉な役を務め終えた宣孝は、まひろの元へ戻ってきました。

夫妻の娘という名目の賢子も三歳になっています。

まひろが帝の様子を尋ねると、顔色が悪く、覇気がないとのこと。一方で左大臣の道長は息災であったと宣孝は言います。

まひろは賢子が鞠を転がした話をすると、おなごなのに威勢がいいと宣孝は喜ぶのでした。子をあやす宣孝の笑顔はなんとも素敵ですね。

そして次なる除目の季節が訪れました。

新たな除目を行う前に、各国の国司の働きを評価する受領功過定が行われます。要するに評定ですね。

越前守の藤原為時は、滞りなく納税し、帳簿の記載にも誤りや不審点はない。

ただし、宋人帰国という役目は果たせておりません。

藤原斉信は「宋の言葉ができるのに怠慢だ」というと、藤原実資は「真面目なのに怠慢は言い過ぎだ」と反論します。

それでも赴任して四年目だと言葉を濁すのが藤原公任

道長としては続投させたいのでしょうが、結果的に任官はかないませんでした。

それにしても、道長は政治能力があまり高いとも思えないし、賢いかどうかもわかりません。

まひろが越前にいたころ、突如、宋人の脅威を恐れているような発言をしていました。今にして思えば、あれはまひろの安全確保のためだったのでしょうか。

あのとき日本の防衛云々語っておりましたが、本気でそこが気になっているのであれば、何らかの対策はしたことでしょう。日々の業務にかまけて忘れてしまったのでしょうか。

道長以外の公卿も問題外ではないでしょうか。

そもそも、宋人はなぜ越前にいるのか?

金儲けができるからでしょう。ここに居並ぶ公卿たちの中にも、越前経由の唐物を愛好しているものはいます。

今後そういう貿易を阻止する気なのか。

なんなら思い切って実資の邸宅へ乗り込み、あのカワイイ鸚鵡を没収するくらいの果断を示せば貿易がたちゆかなくなり、宋人の滞在理由も消滅します。

そんな対策もなく、ただ「まひろのお父さんに利益誘導できないなんてなぁ」と思うだけならば、政治家としての力量に限りはあるということです。

道長は、付き合う上では好い人なのでしょうけれども。

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『枕草子』は清少納言が「光る君」定子へ捧げた

まひろは『蒙求』を読ませながら育児をしています。

いとは福丸に「殿が戻ってきても来るように」と釘を刺しています。なんでも殿にも会わせるのだとか。

彼女は、正室を亡くした為時にとって、深い仲であったとも思われます。もし、そうであればなかなかすごい人間関係ですよね。

するとここで、清少納言ことききょうがやってきました。

「どうしておられたのか?」

まひろがそう尋ねると、ききょうは定子の遺児の面倒を見ながら、『枕草子』の執筆に励んでいたそうです。

美しく聡明で、キラキラと輝いていた皇后のことを。

この世のものとも思えぬほど素晴らしかった宮中のことを。

書き残しておこうと決意を固めたのです。

ききょうにとっての『光る君へ』とは、定子に捧げる『枕草子』のことなのでしょう。

思えばまひろが書くようにと勧めたことが契機だとして、まずは読ませたいとのこと。まひろが目を通し、生き生きと弾むような書きぶりだと感想を言います。

ただ、まひろは「皇后の影の部分も見たい」と付け加えました。複雑な方が人物として魅力的であろう。そう告げると

「皇后様に影などない!」

ききょうはキッパリとそう言い切り、あったとしても書く気はないと強い口調で返します。

華やかな姿だけを後世に残したい――そんな彼女の願いは通じたのか、藤原定家は『百人秀歌』に定子の辞世を入れ、『百人一首』からは外しております。

そうしたことが積み重なり、今なお定子の像は鮮やかで輝く姿が残っているのでしょう。

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まひろはききょうの想いを悟り、謝ります。

するとききょうは、鬼気迫る顔で「皇后様の命を奪った左大臣に一矢報いてやろうという思いもある」と告白します。

左大臣は皇后の兄弟を失脚させた。

出家を口実にして皇后と帝を引き離した。

まだ幼い娘を中宮にした。

帝にさえ有無を言わせぬ強引なやり口のせいで、皇后は命を縮めたと憎々しげに吐き捨てるのです。

まひろは困惑しながら、夫は感謝していると左大臣こと道長をフォローすると、ききょうは頑なな態度で「騙されてはいけない、恐ろしい人だ」と深刻な表情を崩しません。

あの明るく裏表のない、快活なききょうは、どうやら何かに取り憑かれてしまったようです。

 

宣孝との永別

まひろが物思いに沈んでいると、藤原宣孝が帰ってきました。

藤原為時は越前守を求めたものの、その願いは叶わず。

宋人を帰国させなかったからか……とまひろが事情を察すると、理由がわからないがそうかもしれないと宣孝は答えます。

宋人は我々と違って裏表があって扱いが難しい。父は精一杯やっていた。まひろは自らの体験からそう語ります。

彼女の目からしても、あの状態で現場判断で宋人を帰国させることは無理だとわかっているのでしょう。

宣孝はまひろを安心させ、次に官職を得るまで面倒を見る、越前の疲れを癒してもらうと請け負います。藤原為時は、宣孝にとっても義父上である。

頼もしい婿殿だと安堵するまひろ。困窮すれば下人に暇を出さねばならぬと警戒しています。

宣孝は、まひろに惚れ切っているから強気でいていいと、調子よく応じていると、そこへ賢子もきました。

明るい月を眺める親子三人。

しかし……。

宣孝は国司を務める山城国からそれきり戻ってくることはなかったのでした。

口調は明るいものの、思えば顔色が悪いものでした。

まひろに、宣孝の北の方から使者が来ます。

宣孝は俄な病で4月25日に亡くなったとのこと。弔いの儀も既に済んだ。

まひろは「俄な病」は何かと聞こうとします。

劇中では睡眠時無呼吸症候群が見られましたし、何らかの病があったという目撃証言も残されています。

突然の死が訪れる――それがこの時代なのでしょう。

しかし、北の方は、豪放で快活であった殿様の姿だけをお心に残して欲しいと告げ、下人にも最期の様子は語っていないとか。

妾(しょう)の苦しい立場がここで響いてくるのでした。

 


困窮する一家に、差し伸べられる手

さて、まひろとしては現実を考えねばなりません。

為時は無官。

宣孝は死去。

家はどうなるのか。

乙丸が連れてきたきぬも不安がり、越前に戻り海女をやると言い出します。そのうえで乙丸も一緒に来ないか?と誘っています。

道長も、宣孝の訃報を耳にしました。

父の死を理解できない娘の賢子は、父上はどこにいるのか、と無邪気に聞いてきます。

ここでやっと呆然としていたまひろも娘を抱きしめて号泣するのでした。

下人にも生活はあります。

賢子の乳母であるあさは逃げる。いとは恩知らずと罵りつつ、乳母などおらずとも姫を育てるとまひろを勇気づけています。

いとの忠義はありがたい。されど、心もとないのは事実です。

と、そこへ、道長の使いである百舌彦がやってきました。

まず、為時の勤めをねぎらい、宣孝への弔意を述べます。

痛ましく、慰めの言葉も見つからない。くれぐれも御身を大切にして欲しいと告げる。

為時は道長にお礼を言いつつ、一代の名誉だと丁寧に返します。その上で越前守再任がかなわぬことを詫びるのでした。

すると百舌彦は「道長からのお誘い」を持ってきました。

なんでも嫡男である田鶴に漢籍指導をして欲しいとのこと。正式な官職ではないものの、禄は十分に出る――左大臣家お抱えの御指南役という破格の案件でした。

しかし為時は、暮らしのことまでご心配いただきありがたい、もったいないことだと言いつつ、それでも辞退すると断るのです。

 

それを拒むなんてとんでもない

道長の申し出を丁重に断る藤原為時

これには横で聞いていたまひろだけでなく、百舌彦も驚いています。

為時は続けます。

道長の父である兼家も雇ってくれた。それで正式な官職を得るまで耐えたのだと。

しかし、それを恥だと思った。

左大臣のお心を無にして申し訳ないと返しながら、次の除目でのお力添えを願います。

大人たちの深刻な思いも知らず、彼らの周囲を走り回る無邪気な賢子がなんとも言えません。

これは道長の欠点かもしれません。

かつて兼家は、為時など歯牙にもかけていなかったのに、偶然目にした彼の書状を見て、こいつは使えると目をつけたものでした。

そうなると甘い。為時とわざわざ顔を合わせ、猫撫で声でその見識を誉めつつ、見事手駒にしました。

道長も、百舌彦で済ませずに本人がやってくるか、あるいは書状でも託すか、プライドの高い為時の心をくすぐるようなことができればよかったのかもしれません。

それでも警戒はするだろうけれども、そこは「父とは違う」とでも強調するとか。

それこそまひろが好きな『蒙求』では「孔明臥竜」とありますね。

これは誰にも仕えず世間との交わりを絶っていた諸葛亮のもとへ、劉備がわざわざ訪ねてきたところが重要です。

ただの若造ではなく、臥竜、すなわち身を伏せた竜だと目をつけたからこそ、劉備と諸葛亮は出会い、躍進できました。

まぁ、ここでの道長にとって為時は、臥龍といえないといえばそうですが。

しかし、だからこそ見えてきた気がします。

道長にとっての臥竜はこの父ではなく、娘の方だとすれば?

まひろは父にこれでいいのかと迫ります。

「断るしかない」と即答する為時。まひろの心を思えば、北の方様の嫡男に漢籍を教えることなどできないとのことでした。

なんと、父としての娘を思う心のためでしたか……。

母となったまひろは、私の気持ちはどうでもいいと断言し、父が無官で夫もいなければ、どうやって子を養い育てていくのかと詰め寄ります。

そして道長のもとへ向かって御指南役を受けるといって欲しいと言います。

次の除目もあてにならない。賢子にひもじい想いをさせないためにもお願いしますと頼み込むのです。

「そうであるな……そうである」

まひろにズバリ言われて、現実に目を向ける為時。

まひろは恋心より親心。母として覚醒しています。道長にとっても、産ませっぱなしの娘が飢えたら困りますもんね。本人はまだ知らぬとしても……。

 

藤壺に帝を惹きつけるには?

そのころ、娘・彰子のため源倫子は色々ととものを選んでいました。

そこへ道長がやってくる。そして何の気なしに倫子が選んだものを触ろうとして、彰子におさめるから触らないように!と嗜められます。

道長は、いつも倫子がいると帝が足を運びにくいから気をつけるようにと釘を刺すのですが……。

帝の御渡りがないのは私のせいか?と倫子はやんわり反論。

あわてる道長。

帝が御渡りになるよう、華やかにするために知恵を絞っているのは私だと倫子は反論します。

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これには道長も謝るしかありません。

倫子を上回るほどの工夫はどうすれば発揮できるのか。

劇中では道長本人の意図はわかりにくいものの、清少納言ことききょうの言葉を思い出しますと……。

左大臣は積極的に嫌がらせばかりしてくる!

そういう認識になりますよね。

呼び寄せるのではなく、相手に嫌がらせばかりするなんて最低だとなりかねない。

道長は彰子のいる藤壺を、キラキラとして華やかな場所にしなければなりません。

さぁどうしましょうか。

その藤壺にいる彰子は、今日も華やかさはありません。側にいる赤染衛門も、教養はあって賢いけれども、愛嬌があるタイプでもありません。

帝はどこか生気のない顔で廊下に佇んでいます。

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敦康を藤壺の人質にせよ

女院こと詮子は病に伏せっていました。

彼女の背中をさするのは弟の道長。

詮子が話があると切り出すと、道長は明日にしたいと言います。

しかしそれは許されず、詮子は「敦康親王を人質にする」と話し始めました。定子の忘れ形見である敦康親王を彰子が養育することで、帝の心を惹きつけるのだと。

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きょうだいのうち、もっとも父・兼家に似た詮子。人質を使う手は父から学んでいます。

詮子が産んだ親王、つまりは今の帝も、兼家は東三条院の人質としたのでした。

道長が、父と同じことをしたくないと怯むものの、詮子は即断で許しません。

「お前はもう父上を超えているのよ」

その通り。あの清少納言が語った通り、謀略に塗れた権力者であるというのが世間の評価でしょう。いつまでも逃げられるわけもないのです。

道長は帝に、敦康を彰子が預かることを進言。

御簾の奥では帝が「定子はどう思うのか」と迷いますが、道長は敦康を無事に育てることは鎮魂になると引きません。

帝は説得され、敦康を彰子に託すことに同意。

かくして敦康は道長の後見を得て、彰子と藤壺で暮らすこととなったのでした。

 

返り咲きたい伊周は『枕草子』を得る

そのころ道長を憎む藤原伊周は、幼い嫡男の舞を監督していました。

「お家を再興する気はあるのか!」と語気を強めて息子をしごく伊周。

伊周が、父と母に甘やかされていたことを思えば、どういうことなのか……妻の幾子も困惑しています。

弟の藤原隆家はしらけきっていて、兄の気持ちもわかるが左大臣の権勢は揺るがないと呆れた様子です。

揺るがせてみせると強気な伊周に対し、隆家は「内裏に官職を得るまでは逼塞しているほうが利口だ」と全くやる気を出しません。

伊周はこれに怒りました。

「なぜこんなことになったのだ! お前が院に矢を放ったからであろう! お前に説教される謂れはない!」

そうなんですよね。

換言すれば、道長があのやらかしに匹敵するくらいのことでもしない限り、勝ち目はないのです。

中関白家から内裏に送り込める美女でもいれば話は別……実はこのきょうだいには妹がおり、帝の寵愛も受けるのですが、作劇上の都合か今の所でておりません。

しかし伊周の前に、隠し球が登場します。

清少納言です。

伊周が出迎え、定子が世話になったのに何もしてやれず済まないと詫びると、里に下り華やかであった御所の様子を書き連ねていたと清少納言が答えます。

皇后様の素晴らしさが皆の心にとどまるように、宮中にお披露目願いたい。それが清少納言の頼みでした。

「早速、読んでみよう」

新作の原稿を受け取り、目を通す伊周。

隆家は我らも控える身だというものの、伊周は前向きで「なんとかする」と言い出しました。

清少納言から、定子という光る君へ捧げる『枕草子』は、かくして世に出る日々を待つことになるのです。

注目したいのは、和紙の品質と根本先生の文字ですね。

和紙は眼福ものの高品質。そして根本先生はそれぞれの筆跡を書き分けて担当されています。

どれだけ忙しいのかちょっと心配になるほど。

来年『べらぼう』は今年とは異なる書もみどころですので、こちらも注目したいところです。

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詮子、四十の賀

10月9日、詮子四十の賀が、道長主催により華やかに行われました。

定子がああも早くに亡くなったことを思えば、この時代の四十は長生きとわかるものでしょう。

帝も丁寧に母の長寿を祝います。

一方、伊周は呪詛に励んでいます。呪詛を頼むならば、公務員である安倍晴明は無理にせよ、フリーランス呪詛師も存在します。

しかし、それを使うと情報が漏れるかもしれない。機密意識のあらわれでしょうか。

この席で、公卿たちはやや困惑しています。

それというのも、道長は妻の倫子と明子を伴っているのです。しかも、その妻二人が産んだ男子に童舞をさせる。正直、気がしれないと困惑するものもいます。

明子の兄である源俊賢もその一人。お堅い実資と、呑気な道綱は純粋に楽しんでいるようです。

倫子と明子は、表向きは穏やかに笑い合いながら、心中はいかほどか。

最終的に、舞を上手にこなしたのは、倫子を母とする田鶴ではなく、明子を母とする巌君でした。

帝は巌君の舞の師匠を従五位の下とします。

ニッと笑みを浮かべる明子。

困惑する倫子。

泣き出す田鶴。

道長のプライベートに巻き込まれ、祝宴の席が重苦しくなり、泣くのはやめろと田鶴を叱る道長です。

水を差したと詫び、酒宴にすると宣言する道長。

すると姉の詮子が苦しみ始めます。

道長に続き、帝が近寄ろうとする。と、詮子が帝を遠ざけます。

「穢れたら政が滞る! あなた様は帝でございますよ!」

断固として息子を遠ざける、誇り高き詮子です。

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このあと、詮子は薬湯が持ち込まれても「薬はいらぬ」と断ります。道長がなんとか飲ませようとするも、薬は飲まないとキッパリ。

そして道長に頼みを告げます。

伊周の位を戻し、帝と敦康のために、怨念をおさめたいと言うのです。伊周は呪詛をしていましたので、その効果があったように思えます。

しかし、これを最期に彼女は息を引き取るのでした。

 

物語を書き始めるまひろ

まひろは賢子に『竹取物語』を読み聞かせています。

あの落ち着きのない賢子がじっと聞き取り、続きをせがんでいる。

そのころ、詮子の望み通りに内裏に戻った伊周は、帝に美々しく製本された『枕草子』を差し出しました。

素晴らしい紙質に製本――まさに伊周の気合いを感じさせるものです。

一方、娘が『竹取物語』に興味を持ったことに刺激されたのか、まひろは筆を執り、自ら物語を書き始めました。

できるかどうかはわからない。

でも書く。

我が子のためか、己のためか。まひろは筆を執るのでした。

 

MVP:清少納言

『枕草子』を世に出す――そう誓った彼女は、凄みのある顔になりました。

彼女も裏表がなく、影のない、光あふれる存在でした。

そこに暗い影がさすことで、深みが出ます。

影あるほうが深みがでるとまひろは言いました。確かにこの影ある清少納言の方が魅力があり、ファーストサマーウイカさんの演技にもさらに磨きがかかったように思えます。

苦しくて苦しくて、誰かを恨まずにはいられない。

そんな清少納言と伊周からたちのぼってくる『枕草子』が、光に満ちていて輝いているというのは、なんという皮肉でしょうか。

あくまでドラマはドラマです。これは創作です。

しかし、『枕草子』の成立過程として実にうまくできているのではないでしょうか。

彼女の像が完成したように思える圧巻の演技……なんて悲しいのだろう。

こんな深い悲しみから、あんなに輝く言葉が生まれたのかと思うと、それだけでたまらないものがあります。

 

善良な道長

道長の人の良さが、ますます露わになってきています。

ギラついた権力者像よりも、別の像を模索している本作。

道長は確かに父・藤原兼家のような悪どさはなく、善良で流されやすいからこそ厄介であり、必ずしも有能とは言えない造型に思えてきました。

今週は、宋人対処を現場に投げっぱなしにしていたことがわかりました。

それで失職した為時のフォローに回るところは「善良」です。しかし、根本的な対策を何一つしていません。

問題から逃げ回るところも欠点でしょう。何かあればオロオロして困り果てるようで、政治的課題に対し根本的な対処法を出していません。

そして今週、よりにもよって妻二人を祝宴に同席させ、周囲からも「あれはない」と呆れられています。

良くも悪くも道長は、目の前にいるみんなが笑顔でいればいいと思うタイプなのでしょう。

あの場の妻二人は表向きはニコニコしている。その内面にどれだけ黒い澱がたまろうと、道長は「でも笑顔じゃないか」と片付けてしまうんでしょうね。

この道長の描き方は、善良といえばそう。

しかし、善良なだけでは解決しない問題もあると思える描き方でもある。

道長の欠点も見えるところがこのドラマのよいところです。

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【参考】
光る君へ/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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